軍事評論家熊谷直の社会評論

アジアを中心にした社会・軍事の情勢やニュースの分析

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10月27日午前、今上天皇陛下の叔父にあたる三笠宮崇仁(タカヒト)殿下が100歳で薨去された。殿下は終戦時は陸軍参謀として内地の航空総軍参謀少佐の配置で服務されていた。報道は軍歴について触れることが少なく、若い記者たちはもちろん、現役の自衛官でさえ戦前の軍の制度についての知識が乏しいので、殿下の軍歴についての説明を受けても聞き流すだけになってしまうと思う。そこで軍人一族の出で防衛大学校を昭和34年に卒業し、航空自衛官としての在官後半から定年退官後も軍事専門家として活動してきた私が、今後の参考のために記事を残しておきたい。まず軍事用語を使って、殿下の軍人としてのご経歴を述べておく。説明なしにこれが理解できる人は、後半を読む必要はない。

 殿下は私が生まれた直後の昭和11年6月に陸軍士官学校を卒業(陸士第48期)され騎兵士官として服役後に

陸大も卒業され、後には大本営参謀にも就任された。昭和18年の支那派遣軍総司令部の参謀勤務時には若杉参謀と名乗られ、兵士たちには存在を秘匿された。終戦時は内地の航空総軍参謀少佐であった。学習院から予科士官学校を経由されているので、戦後の陸士同期生との交流もあった。また歴史の研究者として講壇に立たれたこともあって拝聴したことがある。私が感心するのは、騎兵出身ということもあってか常に背筋を伸ばしておられ、つい最近まで足取りも、私よりもしっかりしておられたことである。
 そこで本題に入ろう。軍人は、警察官や消防官を含む文官、つまり一般の公務員とは別の存在であって、法的に特別の権限を与えられ特別の責任を負う。権限や責任はほとんど世界共通である。そのため戦闘により人を殺しても罪を問われないのが普通である。ただしゲリラは世界から認められた戦闘員ではないので、ゲリラの殺人行為は罪になる。戦闘員は指揮官や指揮官の補助者としての参謀(幕僚、スタッフ)を務める将校とその指揮を受けて戦う下士官、兵に区分される。国民皆兵制度の国では、兵は一般国民から徴兵されて、平時に戦闘訓練を受けているのが普通である。特に志願したものを選んで技術的な訓練をしておく志願兵制度もあり、海軍は技術を重視するので志願兵が中心になる。下士官は兵から昇進するのが普通であり、特に能力があるものは下級の将校に昇進する場合もある。
 ところで西欧式の陸軍将校は、日本の幕府の旗本に相当する100石取り以上、小領主以上のクラスであった。馬に乗る資格を持っている。国民皆兵制度になってから、能力があるホワイトカラークラスの子弟の少年を、試験選抜して陸軍士官学校(16歳ぐらいで入学)または陸軍幼年学校(13歳ぐらいで入学)で教育・訓練して将校にするようになった。このとき本来の旗本クラスの若者は、試験なしに将校に登用することができるようになった。それを日本の皇室に準用したので、明治時代に皇族の男子は、全員が将校になるように定められた。
 昭和天皇の弟君は秩父宮が陸軍、高松宮が海軍、末弟の三笠宮が陸軍の将校に任官され、軍の学校などで将校としての教育・訓練を受けられている。昭和天皇は皇太子殿下として、早くから病がちの大正天皇の摂政を務めておられたので、連隊などで実際の軍務につかれることはなかったが、皇太子に指定されてまもなく陸海軍の少尉に任官され、制度上の最短年数で進級して、大正天皇の崩御のときは陸海軍の大佐であった。その後正式に天皇の地位に就かれてからは、陸海軍の大元帥という憲法上の統帥者になられたのである。弟君の宮様方は陸軍士官学校の同期生として事実上のトップであった一般選抜の将校よりも何年か早く進級し、少・中尉のころに入学する陸軍大学校での教育(平時3年、戦時の最短で半年)を受けてから参謀として服務された。宮様は天皇陛下の直接のご子息ではない方でも軍の学校は無試験入学であり、一般の将校よりは短期間で進級される制度になっていた。
 海軍将校は軍艦という機械を動かすのだから、それなりの技術が身についていないと操艦できない。そのためか高松宮殿下の進級は陸軍の場合よりはゆっくりであったが、一般の海軍将校より早いのは確かである。これは他の宮様方も同じであった。
 このように宮様方は特別扱いされていたのであるが、元の大名華族で陸軍に入った人は、あまり特別扱いされなかった。長州藩毛利公爵家のご当主であった方は、砲兵中佐で予備役になり長州軍閥の将軍たちに気を使わねばならなかった。加賀の100万石前田家の一族の前田利嗣侯爵は養子であるが、自力で陸大も卒業して陸軍中将になった実力派であった。戦争中に召集されて勤務中の飛行機事故で亡くなり、大将に昇進しているのが珍しい例である。
 宮様方で軍学校で学ばれた方が一番困ったのは、健康問題であった。丈夫ではない方もむりやりに軍学校で他の生徒と同じような教育・訓練を強制されるのであり、若くして事実上の軍人引退に追い込まれる方も多かった。秩父宮殿下は昭和15年38歳の大佐のときに発病され、戦後昭和22年に薨去されている。三笠宮殿下は戦後に東大で歴史を勉強しなおされ、大学の教壇にも立たれたので、比較的自由な道を歩まれたといえよう。ご長命であったのは精神的な束縛が少なくなったためかもしれない。今上天皇陛下のご退位問題が議論されているが、現憲法が明治憲法以上に天皇を束縛しているのであれば、憲法上の統帥権を盾にして軍人が威張り散らしていたといわれている明治憲法時代よりも悪い時代を国民が作っているといえないでもない。問題を提起しておく。
 

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