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出版不況といわれているが一応の物書きを名乗っている私も、新しい出版が難しくなっていることは肌身で感じている。新聞も某新聞が大きく部数を減らしたため、立て直しに骨を折っていることはよく知られていて、サービスの名で日にち限定で配布してきたので、一応最近のものに目を通してみた。感じたのは、昔ながらの論説欄を年寄りが手放したがらない問傾向があるのではないかということである。売れる新聞にするためには、「年寄り引っ込め」というほかあるまい。しかしそうすると、大衆迎合的になることは目に見えている。政党が民進党のようにいわば外国人にかじ取りをゆだねる方向に走ったり、アメリカではトランプが選挙戦の手段として国家を二分するような主張をしたりと、これまでの常識とは違う大衆迎合的な方向に向かっているのと同じことになるだろう。それが人間の本性だからだろうか。
戦後のいわゆる平和憲法のもとでの日本国内の政治的な主張は、大衆迎合そのものであり、声高に反戦平和の主張を繰り返したいわゆる文化人は、その時の大衆に迎合しただけであった。かれらが、陸軍が日本を戦争に引きずり込んだという主張をしたり本を出したりしていたのも、振り返ってみると、売れるものを売って出版の採算がとれるようにしようという大手出版社のトップたちに、編集者たちが従っていたからと考えることができる。
それでも中には、人々の真の幸福追求のために出版をしてきた中堅以下の限られた出版社社長や、あまり日が当たらないところでこつこつと仕事をしてきた結果を、そのような社長たちの求めに応じて本にする人もいた。私がかかわってきた出版関係者には、そのような篤志家が少なくない。国家百年の計という長い目で、かつ自分の名誉欲や金銭欲を度外視して国防問題を論じ、また自身がそのために仕事をしていても、決して報われない世の中で、自衛官という立場で仕事をしていた身として、このことはよくわかる。
しかし防衛関係も世代が変わり、メディアからも高位高官の人々がもてはやされるようになった。現職中は情報を持っているからである。西郷隆盛は「子供や孫のために財産を残すことはしない」という意味の詩を残しているが、薩摩藩の重役から政治的な意味で島流しにされてからも、存在感を失わなかった。その後復帰してからもお国のため人のためには「名誉も命も投げ出す」という意味の文言を残しているが、そのままではないにしても、感嘆すべき精神を持っていたことがわかる。長州の吉田松陰にも隆盛に通じる精神があったろう。武士道精神を持っていた人々には、そのような人物を見出すことができる。しかし明治から大正と時代が進むにつれて、世の中からそのような精神が失われてしまった。お公家さんの子孫はもちろん、武士の子孫である軍人たちも、「今様で売り家と書く三代目(文化的な今様の書体で、財産を売りに出すことを書く孫)になってしまった。お金や勲章などの名誉だけが生きがいという最近の会社人間の時代には、精神の荒廃だけが目立つようになっている。少なくとも自衛官にはそうではないことを期待したいが、今様が目立つ世の中にがっかりすることが多いのはなぜだろう。
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