軍事評論家熊谷直の社会評論

アジアを中心にした社会・軍事の情勢やニュースの分析

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 閣議が決定した日本の防衛費が5兆円をわずかに超えたことで、左翼系の人々は軍事大国化と声を大にしている。日本はこれまで国内総生産GDPに対する防衛費の比率を1パーセント内に抑えるという方針で来ているので、この10年間で見て、4兆7000億円前後で推移していた。西欧諸国では少ないところでも1.5パーセントが普通なのであり、スペインのような貧乏国が日本並みに抑えられているにすぎない。現在の中国は、GDPが日本をはるかに超えて大きくなったので、公式の発表分だけで日本の3倍以上の国防費を使っている。この国防費で核開発や宇宙兵器開発を進め、南シナ海では増強した海軍力をバックにしてベトナムやフィリピンの支配諸島を制圧しつつある。尖閣列島には日本の巡視船以上の能力を持つ海警船多数を派遣して来ており、そのうち民兵を上陸させようとするだろう。
 国民一人当たりの所得が日本よりもいくらか多く人口が3分の1 強の韓国は、日本の7割もの高額を国防費として使っている。北朝鮮は韓国よりも人口も面積も小さく、国民の多くが食うや食わずの生活をしているといわれる状態なので、核兵器など一部の突出した兵器を除けば、韓国軍よりは戦力が小さいといえよう。それでも特異な国であり、日本にとって警戒すべき相手であることは間違いない。相変わらずシベリア以東に大兵力を保有し、ウクライナでは力で領地を奪い取った危険なロシアももちろん警戒せねばならない相手である。
 このような周辺国の戦力に対応するためには、アメリカ軍の戦力と中国や韓国の立場を利用するほかない。アメリカは日本を助けることはしないという意見があるが、もちろん米軍が行動するのは自国の国益に関係するときだけであることは間違いない。それだけに日本も米軍に基地を提供したり、海上で共同訓練をしたり、日本の南西諸島防衛の訓練につき合わせたりして、何かの時にはアメリカが引くに引けない体制を作っておく必要がある。韓国は北朝鮮や中国への防波堤になることもあるので、対立してばかりいる状態を解決しておかねばならない。その意味では、安倍政権は好ましい外交と防衛の施策をしているとみるべきだろう。数千億円といういくらかの防衛費の増額はやむを得ないとみるべきではないか。自衛官にとっては、法的な後ろ付けがないままに身を危険にさらしてきたPKOなどの問題点が、いくらかでも解決の方向に向かったというだけだが、それでもありがたいというほかない。危険なままにしておくために、安保法制整備に反対した勢力と、それに乗せられた軽はずみな人たちは、何も考えていない人と言えるのではないか。
 私の若いころには、防衛費は今と同じで対GDP1パーセント以内にすぎず、また一般会計予算の1割に満たない防衛費をすべて社会保障費に回せという左翼的な人たちの意見に自衛隊が振り回されてきた。大江健三郎氏などはその旗手の一人であった。そのなかで、何か外交問題あると日本列島に接近して威嚇するソ連機への対応現場で、国民に知られないままに懸命に対応していた我々は、常に歯噛みしていた。今や社会保障費は一般会計予算の75パーセントに膨らみ、相対的に少ない防衛費を社会保障に回せという人は、進歩がない昔人間と思われる時代になっている。私は年金で生きていることを考え、医療費はできるだけ節約し赤十字などへの寄付にも協力している。5年前から100兆円を超えている高齢化社会の医療費などの節約に、皆さんも協力すべきであろう。
 世の中が変わるのはやむを得ない。社会学では、流行は下層階級で受け入れられているものが上層階級のものに変わっていくという説がある。たとえば背広は100年前には中流以上の平服であったが、今では国際会議の礼服のようになっている。私は、これには二つの流れがあるとみている。たとえば士農工商の江戸時代には、本来は下層の大商人が金に任せて殿様の邸宅のような自宅を建てているのがみられる。ただこの場合、役人から叱られないように、殿様の御用達であるので殿様が休息されることもあり、その時のための特別の部屋を用意しているというような言い訳を用意している。家の間口は狭くし、奥に豪華な部屋を造って事実上は当主の部屋にしたりしているのである。
 これは金にあかせて生活様式を上層のものと同じにして、自己満足したり、名主などの上層農民よりも実質的には上に立っていることを誇示したりしていることになる。今はそのような金に任せたものが尊ばれている。
 もうひとつは社会生活の中で、やくざや遊び人のような下層から上層に上がる可能性がない人々が、大商人も含む上層の生活に反発して、特異な行動をして目立つことで劣等感を優越感に変えようとする行動として現れるものである。歌舞伎の六方を踏む大げさな衣装やしぐさは、それに共感する下層の大衆たちが造り上げたといえるのではないか。現在、俳優などの流行の服装スタイルをすぐに真似たがる若い人の存在は、それと同種の心根が中層以下の若い人にあるからだとはいえまいか。真の上層の人は自分なりの服装などの基本精神を持っているので、俳優などの服装をまねることはしない。その場その場に合う無難な着こなしをしている。
 最近一時的に、希子とか大輔のような昔的な名前を子供につける流行があったというが、皇室など上層社会へのあこがれから始まった流行ではないか。細かい分析はしていないがこれは、中層のサラリーマンぐらいのところからはじまったもので、江戸時代の豪商の心理と共通するものがあるのではなかろうか。ミセスなど婦人向けの雑誌にその傾向がみられる。
 歌舞伎のような場ではやった特異な服装や行動は、現代ではテレビの登場人物、特に俳優・女優やスポーツ選手のものが始まりになっているようだ。ラグビーの五郎丸歩選手の拝むような手つきの流行は、その代表的なものだろう。やがてはこれが、この選手の日常の服装へのあこがれになり、それが服装の流行になる可能性もある。
 さてここでいつも気になっていることを述べると、インタビューを受けてテレビなどに登場するスポーツ選手が、先輩の表現や言葉遣いをまねていて、野球界なら野球界、相撲の世界では外国人力士も先輩と同じようにしゃべっていることである。野村監督は昔から、「…ねぇ。…だな」というようなグランドで目下の記者たちにしゃべるような口調が身に付いているためか、一般の人を意識してしゃべるべきスタジオでも同じ口調で話している。口が重い関取りは、いつも部屋の親方と話しているような言葉遣いをしている。
 言葉づかいはいつの時代でもその時代の雰囲気を表わしているのであり、しゃべっている人がその時代のどの階層に属しているかを表す大切なものだと言えるのではあるまいか。たとえぱお菓子を「おいしい奴」と前半は丁寧語で、後半は奴という「あいつ」「あ奴」という下層社会で使われていた表現をないまぜにして表現するご婦人が多くなっている。「猫に餌をやる」のを「餌をあげる」というのは猫を目上の存在ととらえている場合で、かわいいペットだからというのならともかく、上司に頼まれてその家の猫に餌やりをするような場合以外の使用は原則的には誤りだ。まして「洗濯機を修理してあげる」などは、その人のために修理してあげるのならよいが、そうではなく自分のために修理に出すようなときに、人間の道具にまで「あげる」をつけることは、敬語の使用法にはない。「あげるは」そのものを目よりも高く捧げ持って、相手に渡すことを表わしている。この場合は「修理します」といわなければ、話している修理業者などの相手を洗濯機以下に見て馬鹿にしたことになる。
 このような、相手の地位や立場を判断して、場合に応じた敬語の使い方ができる人は本当の意味の上層社会の人であろう。若い時にそのような雰囲気の中で育っている人は、自然に敬語が出てくる。それができないだけでなく漢文を学ばず、中途半端な聞きかじりで言葉のもとの意味を知らない若い人で、中途半端に自分は中流だと思っている人が、最も聞き苦しいしゃべり方をする。友達との話ならともかく、公的な場での、それも早口でしり上がりのしゃべり方の相手には、拒絶感しか出てこない。
 江戸の昔の100年は、今の5年ぐらいに当たるだろう。特にコンピューター関連の変化は速すぎて、私のような80歳近いものにはついていけない。しかしそれと同じ速さで表現や口調まで変えられては、若い人と年寄りとの会話は成り立たなくなる。スマホ片手に人にぶっつかりながら歩いても、相手がよけてくれるだろうと思って平気でいる人との会話は成り立たないのが現代だ。駅の上りエスカレーターに殺到する高校生を横目に見ながら、一歩一歩階段を上っているのが、われわれ年寄りである。これからの高齢化社会では、若い時に自分本位で育った人が高齢化して自分本位で行動するとしたらどうなるのか心配だ。
 
 
 

転載元転載元: 軍事評論家熊谷直の社会評論

 世の中が変わるのはやむを得ない。社会学では、流行は下層階級で受け入れられているものが上層階級のものに変わっていくという説がある。たとえば背広は100年前には中流以上の平服であったが、今では国際会議の礼服のようになっている。私は、これには二つの流れがあるとみている。たとえば士農工商の江戸時代には、本来は下層の大商人が金に任せて殿様の邸宅のような自宅を建てているのがみられる。ただこの場合、役人から叱られないように、殿様の御用達であるので殿様が休息されることもあり、その時のための特別の部屋を用意しているというような言い訳を用意している。家の間口は狭くし、奥に豪華な部屋を造って事実上は当主の部屋にしたりしているのである。
 これは金にあかせて生活様式を上層のものと同じにして、自己満足したり、名主などの上層農民よりも実質的には上に立っていることを誇示したりしていることになる。今はそのような金に任せたものが尊ばれている。
 もうひとつは社会生活の中で、やくざや遊び人のような下層から上層に上がる可能性がない人々が、大商人も含む上層の生活に反発して、特異な行動をして目立つことで劣等感を優越感に変えようとする行動として現れるものである。歌舞伎の六方を踏む大げさな衣装やしぐさは、それに共感する下層の大衆たちが造り上げたといえるのではないか。現在、俳優などの流行の服装スタイルをすぐに真似たがる若い人の存在は、それと同種の心根が中層以下の若い人にあるからだとはいえまいか。真の上層の人は自分なりの服装などの基本精神を持っているので、俳優などの服装をまねることはしない。その場その場に合う無難な着こなしをしている。
 最近一時的に、希子とか大輔のような昔的な名前を子供につける流行があったというが、皇室など上層社会へのあこがれから始まった流行ではないか。細かい分析はしていないがこれは、中層のサラリーマンぐらいのところからはじまったもので、江戸時代の豪商の心理と共通するものがあるのではなかろうか。ミセスなど婦人向けの雑誌にその傾向がみられる。
 歌舞伎のような場ではやった特異な服装や行動は、現代ではテレビの登場人物、特に俳優・女優やスポーツ選手のものが始まりになっているようだ。ラグビーの五郎丸歩選手の拝むような手つきの流行は、その代表的なものだろう。やがてはこれが、この選手の日常の服装へのあこがれになり、それが服装の流行になる可能性もある。
 さてここでいつも気になっていることを述べると、インタビューを受けてテレビなどに登場するスポーツ選手が、先輩の表現や言葉遣いをまねていて、野球界なら野球界、相撲の世界では外国人力士も先輩と同じようにしゃべっていることである。野村監督は昔から、「…ねぇ。…だな」というようなグランドで目下の記者たちにしゃべるような口調が身に付いているためか、一般の人を意識してしゃべるべきスタジオでも同じ口調で話している。口が重い関取りは、いつも部屋の親方と話しているような言葉遣いをしている。
 言葉づかいはいつの時代でもその時代の雰囲気を表わしているのであり、しゃべっている人がその時代のどの階層に属しているかを表す大切なものだと言えるのではあるまいか。たとえぱお菓子を「おいしい奴」と前半は丁寧語で、後半は奴という「あいつ」「あ奴」という下層社会で使われていた表現をないまぜにして表現するご婦人が多くなっている。「猫に餌をやる」のを「餌をあげる」というのは猫を目上の存在ととらえている場合で、かわいいペットだからというのならともかく、上司に頼まれてその家の猫に餌やりをするような場合以外の使用は原則的には誤りだ。まして「洗濯機を修理してあげる」などは、その人のために修理してあげるのならよいが、そうではなく自分のために修理に出すようなときに、人間の道具にまで「あげる」をつけることは、敬語の使用法にはない。「あげるは」そのものを目よりも高く捧げ持って、相手に渡すことを表わしている。この場合は「修理します」といわなければ、話している修理業者などの相手を洗濯機以下に見て馬鹿にしたことになる。
 このような、相手の地位や立場を判断して、場合に応じた敬語の使い方ができる人は本当の意味の上層社会の人であろう。若い時にそのような雰囲気の中で育っている人は、自然に敬語が出てくる。それができないだけでなく漢文を学ばず、中途半端な聞きかじりで言葉のもとの意味を知らない若い人で、中途半端に自分は中流だと思っている人が、最も聞き苦しいしゃべり方をする。友達との話ならともかく、公的な場での、それも早口でしり上がりのしゃべり方の相手には、拒絶感しか出てこない。
 江戸の昔の100年は、今の5年ぐらいに当たるだろう。特にコンピューター関連の変化は速すぎて、私のような80歳近いものにはついていけない。しかしそれと同じ速さで表現や口調まで変えられては、若い人と年寄りとの会話は成り立たなくなる。スマホ片手に人にぶっつかりながら歩いても、相手がよけてくれるだろうと思って平気でいる人との会話は成り立たないのが現代だ。駅の上りエスカレーターに殺到する高校生を横目に見ながら、一歩一歩階段を上っているのが、われわれ年寄りである。これからの高齢化社会では、若い時に自分本位で育った人が高齢化して自分本位で行動するとしたらどうなるのか心配だ。
 
 
 
 夫婦同姓の最高裁大法廷での判断が示されたので、しばらくは、法的には同姓が原則になるだろう。
ところで80歳間近のわたしにとって、明治はそれほど昔ではない。NHKの大河ドラマ「花燃ゆ」や毎朝の連続テレビ小説「あさが来た」は、曾祖父母や祖父母の時代を描いているのであり、描かれている家というものについての感じ方も私の意識と違いはない。そういう人も多いのである。
 しかし日本の若い人で東京大阪という都会で活動したり世界に出て行っている人の、同姓の問題についての考え方がメディアが取り上げているものに近いとしても、日本の田舎の若い人にもそのまま通用すると考えることには、疑問がある。夫婦別姓が世界の流れだとする活動家女性の主張は、自分のためにする主張ではないのか。日本の世論調査では別姓にしたいとする者は一割に満たないという。田舎ではお嫁さんだけが別姓だと、外国人扱いされかねない。世界を見ると人口が多い中国では、法的には自由だというが事実としては同姓が多いらしい。インドもそうだ。インドも中国もイスラム教徒は原則として同姓だという。中東のイスラム教徒は一夫多妻が許されているようだが、何人目までが同姓でなければならないのか、宗派によってその区別もあるだろう。
 問題は明治の日本が当時のドイツ式法制を取り入れたので、民法も同姓主義になったという点にある。しかしその後の男女平等の意識の浸透からヨーロッパが別姓を認めるようになったので、日本だけが取り残されているというのが、活動家女性の言い分のようである。これはヨーロッパが先進国だとする差別的な考えにもとづくものではないのか。人口で言うと中国やインドに多い同姓が世界の標準だと言えないことはない。
 しかしここで私が言いたいのは、そのようなことではなく日本の同姓主義は、江戸時代に氏姓を持っていた武士がつくった身分制度に根があるということを、皆さんが理解していないということである。士農工商という身分制度の中で、氏姓を持つということは大変な特権であった。功績がある名主(西国では庄屋)の一部は、農民であるにもかかわらず名字帯刀を許されたがこれは原則として一代限りである。武士であると思われている場合がある足軽身分の者は、公式には姓(名字)を名乗ることはできないのがふつうである。氏というのは源平籐橘が発端であり、後に居住地などから姓が付け加えられることになった。平氏一族であった先祖が今の熊谷市を領地にした子孫が、私こと、熊谷直であり、熊谷が姓である。たとえば伊藤博文は足軽の子であり、農民であった父親が金で足軽の権利を譲ってもらったのであって、若い時は利助と呼ばれていた。彼は足軽としての働きが認められてから一代限りの伊藤春輔を名乗り下士相当の身分を与えられたので、イギリスに留学することができたのである。姓がない足軽のままでは、留学できなかったであろう。
 ドイツ式の法制度を取り入れたのが明治憲法の制定にかかわった伊藤博文(江戸時代の足軽利助や伊藤春輔)であった。もともと農民出の足軽利助が、内閣総理大臣になってからも萩には帰りたがらなかったというのは、多忙であったためもあろうが、昔のことを知っている古老との人的な出会いを避けたためとも言われている。そのような人的な関係から夫婦別姓が左右されるとすると、問題であろう。昔の人は、個人的に今の姓に執着があるというような理由で別姓にすることはなかったが、通称として多くの名前を使い分けていた。伊藤も花山春太郎、林迂一などの通称を場合により使い分けているし、芸人の襲名もその一種であろう。
 江戸時代は武士や農民の地位が子孫に引き継がれた。足軽も表向きは引き継ぎなしであったが、実際は引き継がれている。そのため家の地位と収入を守るために、継嗣がいないときは身分がほぼ同じ他家の次男以下を養子として貰い受け、家付きの娘がいるときはこれと結婚させ、それもいないときは遠い親せきから花婿花嫁を養子や養女の形で家に入れて地位と収入を守ったのである。商人は姓がないのが普通なので、屋号を頭につけて、越後屋の小兵衛さんなどの通称で呼び、、店を守るためにその子供や番頭に後を継がせた。越後屋というのは姓ではない。明治になってから屋号が姓になった例もあるが、もともとは武士も商人も、主人を中心とする一族の収入や地位を後代に伝えて、安穏な一族の生活を守るものとして家制度を発達させていたのであり、それをドイツ式の憲法、民法に取り込んだのが現在、別姓の関係で問題になっている家制度の始まりであった。
 そのような明治憲法とそれに根がある民法が、日本の占領時代に占領米軍の占領政策として一方的に変えられてしまったので、今のような問題が起こっている。夫婦中心の生活になり昔とはいくらか社会も変わってきたので、江戸時代のような養子、養女はなくなったが、収入や家族の地位を守るということは今の社会でも人々が大切にしていることであろう。そのために大切なのが子供の教育および同じような教育や同じようなしつけを受けた人同士の結婚で家を守るということになる。しかし全く違う過去を持つ人同士が、若い時の感情で好きだというだけで結婚してしまい、離婚が多くなり、経済的に晩婚化し、子供の数も少なくなっているのが現在だと言えるのではないか。夫婦同姓の問題は、その裏に多くの状況を抱えている。
 簡単に夫婦同姓が憲法違反だというような申し立てをして、それですべてが解決するというのとは違う気がしている。感情だけではなく人々が理性を働かせて結婚をすることも社会的に求められているのではないか。そのほかに議員定数や選挙のあり方、結婚の制度の問題、9条の問題も含めてあらゆる問題点を憲法改正に結び付けていくことが必要だと思っている。個人的には議員定数は多くの要素を考えて決めるべきであり、人口だけに比例すべきものではないと思っている。三権分立の在り方も憲法改正の問題であろうし、18歳選挙権の問題も、世の中が複雑になり学ぶべきことが多くなっているのに、西洋の多くが18歳だからといって引き下げるのは問題ではないか。西洋では歴史的にみると、18歳を義務としての徴兵適齢にしたことと連動して、成人年齢が決められている。日本は兵役適齢者が少なくなった敗戦前年から、しぶしぶ兵役年齢を1歳下の19歳に下げたのであり、日本のほうが進んでいたといえるのかもしれない。それより若い時に少年兵として入営することもできたが、それには学歴や能力に制約があった。そのような時代ではないにしても、その他多くの問題を抱えている憲法の改正検討は、早い時期に進めるべきであろう。
 
 
 

転載元転載元: 軍事評論家熊谷直の社会評論

 夫婦同姓の最高裁大法廷での判断が示されたので、しばらくは、法的には同姓が原則になるだろう。
ところで80歳間近のわたしにとって、明治はそれほど昔ではない。NHKの大河ドラマ「花燃ゆ」や毎朝の連続テレビ小説「あさが来た」は、曾祖父母や祖父母の時代を描いているのであり、描かれている家というものについての感じ方も私の意識と違いはない。そういう人も多いのである。
 しかし日本の若い人で東京大阪という都会で活動したり世界に出て行っている人の、同姓の問題についての考え方がメディアが取り上げているものに近いとしても、日本の田舎の若い人にもそのまま通用すると考えることには、疑問がある。夫婦別姓が世界の流れだとする活動家女性の主張は、自分のためにする主張ではないのか。日本の世論調査では別姓にしたいとする者は一割に満たないという。田舎ではお嫁さんだけが別姓だと、外国人扱いされかねない。世界を見ると人口が多い中国では、法的には自由だというが事実としては同姓が多いらしい。インドもそうだ。インドも中国もイスラム教徒は原則として同姓だという。中東のイスラム教徒は一夫多妻が許されているようだが、何人目までが同姓でなければならないのか、宗派によってその区別もあるだろう。
 問題は明治の日本が当時のドイツ式法制を取り入れたので、民法も同姓主義になったという点にある。しかしその後の男女平等の意識の浸透からヨーロッパが別姓を認めるようになったので、日本だけが取り残されているというのが、活動家女性の言い分のようである。これはヨーロッパが先進国だとする差別的な考えにもとづくものではないのか。人口で言うと中国やインドに多い同姓が世界の標準だと言えないことはない。
 しかしここで私が言いたいのは、そのようなことではなく日本の同姓主義は、江戸時代に氏姓を持っていた武士がつくった身分制度に根があるということを、皆さんが理解していないということである。士農工商という身分制度の中で、氏姓を持つということは大変な特権であった。功績がある名主(西国では庄屋)の一部は、農民であるにもかかわらず名字帯刀を許されたがこれは原則として一代限りである。武士であると思われている場合がある足軽身分の者は、公式には姓(名字)を名乗ることはできないのがふつうである。氏というのは源平籐橘が発端であり、後に居住地などから姓が付け加えられることになった。平氏一族であった先祖が今の熊谷市を領地にした子孫が、私こと、熊谷直であり、熊谷が姓である。たとえば伊藤博文は足軽の子であり、農民であった父親が金で足軽の権利を譲ってもらったのであって、若い時は利助と呼ばれていた。彼は足軽としての働きが認められてから一代限りの伊藤春輔を名乗り下士相当の身分を与えられたので、イギリスに留学することができたのである。姓がない足軽のままでは、留学できなかったであろう。
 ドイツ式の法制度を取り入れたのが明治憲法の制定にかかわった伊藤博文(江戸時代の足軽利助や伊藤春輔)であった。もともと農民出の足軽利助が、内閣総理大臣になってからも萩には帰りたがらなかったというのは、多忙であったためもあろうが、昔のことを知っている古老との人的な出会いを避けたためとも言われている。そのような人的な関係から夫婦別姓が左右されるとすると、問題であろう。昔の人は、個人的に今の姓に執着があるというような理由で別姓にすることはなかったが、通称として多くの名前を使い分けていた。伊藤も花山春太郎、林迂一などの通称を場合により使い分けているし、芸人の襲名もその一種であろう。
 江戸時代は武士や農民の地位が子孫に引き継がれた。足軽も表向きは引き継ぎなしであったが、実際は引き継がれている。そのため家の地位と収入を守るために、継嗣がいないときは身分がほぼ同じ他家の次男以下を養子として貰い受け、家付きの娘がいるときはこれと結婚させ、それもいないときは遠い親せきから花婿花嫁を養子や養女の形で家に入れて地位と収入を守ったのである。商人は姓がないのが普通なので、屋号を頭につけて、越後屋の小兵衛さんなどの通称で呼び、、店を守るためにその子供や番頭に後を継がせた。越後屋というのは姓ではない。明治になってから屋号が姓になった例もあるが、もともとは武士も商人も、主人を中心とする一族の収入や地位を後代に伝えて、安穏な一族の生活を守るものとして家制度を発達させていたのであり、それをドイツ式の憲法、民法に取り込んだのが現在、別姓の関係で問題になっている家制度の始まりであった。
 そのような明治憲法とそれに根がある民法が、日本の占領時代に占領米軍の占領政策として一方的に変えられてしまったので、今のような問題が起こっている。夫婦中心の生活になり昔とはいくらか社会も変わってきたので、江戸時代のような養子、養女はなくなったが、収入や家族の地位を守るということは今の社会でも人々が大切にしていることであろう。そのために大切なのが子供の教育および同じような教育や同じようなしつけを受けた人同士の結婚で家を守るということになる。しかし全く違う過去を持つ人同士が、若い時の感情で好きだというだけで結婚してしまい、離婚が多くなり、経済的に晩婚化し、子供の数も少なくなっているのが現在だと言えるのではないか。夫婦同姓の問題は、その裏に多くの状況を抱えている。
 簡単に夫婦同姓が憲法違反だというような申し立てをして、それですべてが解決するというのとは違う気がしている。感情だけではなく人々が理性を働かせて結婚をすることも社会的に求められているのではないか。そのほかに議員定数や選挙のあり方、結婚の制度の問題、9条の問題も含めてあらゆる問題点を憲法改正に結び付けていくことが必要だと思っている。個人的には議員定数は多くの要素を考えて決めるべきであり、人口だけに比例すべきものではないと思っている。三権分立の在り方も憲法改正の問題であろうし、18歳選挙権の問題も、世の中が複雑になり学ぶべきことが多くなっているのに、西洋の多くが18歳だからといって引き下げるのは問題ではないか。西洋では歴史的にみると、18歳を義務としての徴兵適齢にしたことと連動して、成人年齢が決められている。日本は兵役適齢者が少なくなった敗戦前年から、しぶしぶ兵役年齢を1歳下の19歳に下げたのであり、日本のほうが進んでいたといえるのかもしれない。それより若い時に少年兵として入営することもできたが、それには学歴や能力に制約があった。そのような時代ではないにしても、その他多くの問題を抱えている憲法の改正検討は、早い時期に進めるべきであろう。
 
 
 

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