軍事評論家熊谷直の社会評論

アジアを中心にした社会・軍事の情勢やニュースの分析

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 夜中のブーンという騒音に悩まされているという書き込みを見た。私の経験では、これはファンの音だ。窓際の特定の位置で強く聞こえる。隣近所の音のように聞こえるので何軒かに聞いてみたが分からないという。自宅でも他の部屋で寝ている孫に聞いたところ、確かに聞こえるという。そこで冷蔵庫を止めるなどして原因を探ったが、自宅ではなさそうだ。
 地下から聞こえる感じもするので水道関係の人に聞いてみたところ、深夜電気など夜間に自動的に回りだすファンの低周波音だろうとのことであった。確かに聞こえ出した時期にそれらしい装置を付けた家もあるので、注意して観察したが、どこのものかはっきりしない。冷え込みが厳しく、放射冷却で地面近くに空気の境界層ができているような明け方には遠くの電車の音がはっきり聞こえるが、そのような条件のときにブーンという音も響いてくる。 比較的遠くから伝わってくるものらしいと考えられたが、それ以上の追求はできなかった。しかしファンの低周波音らしいと分かっただけでも収穫があった。
 いずれにしろ自然エネルギーがもてはやされるようになってから、風車があちこちで見られるようになったが、低周波などの発生源になることもあることを考えて、これまでの自然や社会のバランスを壊さないように十分に事前調査をすべきであろう。原発が危ないと騒ぎ立てている一方で、このようなものには注意がはらわれていないのが現実だ。
 比較的歴史が長く技術も蓄積されている原子力関係は、全面的に否定すべきものではあるまい。福島の津波による原発災害は、外部の反対勢力が強い中で、予備電源などの確保や事故対応訓練が秘密裏にしか行われていない中で発生した。同じことは今予算の無駄遣いの関係で敦賀の高速増殖炉の実験が停止されていることが指摘されているが、これも冷却材のナトリウムの扱いのミスで事故になり、メディアなどがそれ以上の実験を中止させたといえる状況があって、結果的に予算が有効に使われない状況になった。
 一方で宇宙線を利用した巨大装置を利用してノーベル賞に輝く成果を上げた実験には、クレームは付けられていない。コンピューターが世界二位だと悪いのは何かということを理解できない人は、世界が社会的にも技術的にもつながっているのであり、一位を競っていたからノーベル賞受賞者が出たということを理解できない人であろう。科学技術はある程度の失敗を重ねることで進歩する。失敗が公開されて、それを受け入れる社会があれば、人類の進歩につながる。しかし技術者は失敗に慎重でなければならないのは当然であり、今回国産ジェット旅客機MRJが初飛行するまでに何回も初飛行が延期されている。不具合点を注意深く修正したからだ。
 管理学で言われていることだが、議会は自転車置き場の増設のような簡単な問題になると、議論が活発になるが、原子力のような分かりにくいことは、反対派の大きい声が結果を左右する。それでは社会はよくならない。原発だけではなく普天間の移設問題もその例であろう。長い間憲法九条に特別の反応をするように習慣づけられ、安全保障問題を棚上げしてきた日本人は、安全保障の意味を理解できない。そのためこの法制整備が徴兵制につながるという、ありもしない宣伝に迷わされている。表向き国民皆兵の中国でさえも、陸軍の徴兵数を減らして海軍や空軍に振り向けつつある。陸軍の志願兵は、海空技術や核ミサイルなどの先端の職務や、運転手や衛生など後方的な職務を主体にして募集している。
 もう少し国民は、広い視野で世間を見る必要があろう。日本で徴兵制が布かれた明治6年以後も、毎年徴兵されたのは1万人ばかりにすぎなかった。昭和の初めの時代でも10万人程度であり、20歳になった男子の5人にひとりぐらいが兵営生活をするだけであった。銃を持って戦闘ができればそれでよかった時代でも、そのような状況であり、戦争技術が進歩した今は、自衛官の半数以上が専門技術者なのである。主婦であってもこのような事実に目を向け、反対派の小手先の宣伝に迷わされない知識を持つことが望まれている。そのためにはまず真実を知る意欲が必要である。セレブな生活にしか関心がなく、鳩山由紀夫の真実を見極めなかった人たちが、沖縄問題を難しくしている。
 

猫の助け合い

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 我が家のベランダにときどきやってくる白黒の野良猫がいる。今日は肩が凝らないこの猫の話をします。
 昼間の豪雨の後、家内が、この猫がタヌキのようなものを引きずりながら咥えてきたと、騒いでいる。行ってみると白黒猫よりやや小さい動物だ。びしょ濡れになっているのですぐには分からなかったが、どうも、きじ猫のようだ。それにかすかに口を動かしている。裏山の崖から落ちたか大雨に流されたかして、10メートルほど離れた路地で雨に打たれていたらしい。孫が、一時間ほど前に見たと言っていた。
 野良猫にえさ付けしているわけではないが、家内がときどき、残り物を庭先のベランダに置いている。私もこの猫が来ると、声をかけることがある。それを知っているからか、死にそうなこの猫を咥えて10段ほどの玄関口の階段を上り、ベランダまで引きずって来たのであろう。どうも、助けてやってくれという意味らしく、一応雨に打たれないように小さな段ボールに入れて一晩様子を見ることにした。白黒猫はその処置をしたころにやってきて、心配そうにのぞきこんでいた。
 翌朝、多分死んでいるだろうからと思い、どこかに埋葬するつもりで覗いてみると、段ボールが芝生の上ににころがっていて、中身は空っぽだ。引きずったようなあとはないので、いくらか元気を取り戻して山に帰って行ったのだろう。あたりを探してみたが姿が見えなかった。白黒猫も見当たらない。これで家内ともどもにホッとした。以前に親猫らしい2匹が、生まれたばかりの子猫を連れてきてニャン、ニャンと鳴きながら、飼ってくれというそぶりを見せたが、餌をやったものの一晩そのままにしておいたら冷たくなっていたので、山に埋めてやるということがあった。親猫はしばらく、そのあたりをうろついていた。猫には感情がある。しかしこちらも感情に流されてしまうと、家じゅうが猫ということになってしまう。自然のおきてには従わねばならない。
 野良猫は飼い猫と違って7、8年の寿命のようであり、それが天命なら、死後の処置をやってやればよいと思っている。以前飼っていた2匹の猫は、生まれて間もない野良ネコであったが、飼い猫にしてから約20年の寿命であった。死後は庭先に埋めて墓標を建ててやった。それほどにはしなくても、生命は大切だ。天寿は全うさせたい。
 80歳の傘寿が半年後にやってくる今の私は、死に際を綺麗にしたいと願っている。在家の修行者として戒名を授けてもらい、仏前の毎日のお勤め供養は欠かしていない。生老病死は仏教の大切な課題だ。感情に流されず、天命に従い、死ぬときはできるだけ他人の手を煩わせない、日常の生活でも他人に尽くして、種としての生命の循環の一環の役割を果たすのが悟りの境地であろう。猫だけでなく自然の生き物は動物も植物も、自然の摂理に従って生きている。鉱物さえもそうであろう。天体であったものが集まって地球を造り、マントルになり火山から噴出するなど、動物と同じだ。自然のおきてに従って生きて行き、綺麗な最期を遂げたい。
 私は武士としての自衛官のときはいつでも任務を果たして戦死できるように、身の回りを整理して置く事を心がけていた。退官後も国防のために歴史家・軍事評論家としてできるだけのことをしてきた。40歳代から50歳代のときもそれなりの努力を続けた。しかし今、人間の個人の一生は非常に短いということを、猫の一生を通じても感じている。結局は次世代の人に譲っていくのが老人の役目になるのであろう。
 歴史家としての私は一万年前の縄文時代も、昨日のことのように思える。先祖の1000年前の熊谷直実など武将たちの活動は、それ以上に身近だ。個人の一生をつないで種としての人類がいかにして生きていくか、そのなかで個人がどのような役割を果たしていくべきかは、先人が教えている。個人の欲望達成だけイメージが生の目的だとしたら、悲しいことだ。猫に学ぶことも必要だろう。写真は上が黒白ネコと下が昔親子で来た猫一家

転載元転載元: 軍事評論家熊谷直の社会評論

猫の助け合い

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 我が家のベランダにときどきやってくる白黒の野良猫がいる。今日は肩が凝らないこの猫の話をします。
 昼間の豪雨の後、家内が、この猫がタヌキのようなものを引きずりながら咥えてきたと、騒いでいる。行ってみると白黒猫よりやや小さい動物だ。びしょ濡れになっているのですぐには分からなかったが、どうも、きじ猫のようだ。それにかすかに口を動かしている。裏山の崖から落ちたか大雨に流されたかして、10メートルほど離れた路地で雨に打たれていたらしい。孫が、一時間ほど前に見たと言っていた。
 野良猫にえさ付けしているわけではないが、家内がときどき、残り物を庭先のベランダに置いている。私もこの猫が来ると、声をかけることがある。それを知っているからか、死にそうなこの猫を咥えて10段ほどの玄関口の階段を上り、ベランダまで引きずって来たのであろう。どうも、助けてやってくれという意味らしく、一応雨に打たれないように小さな段ボールに入れて一晩様子を見ることにした。白黒猫はその処置をしたころにやってきて、心配そうにのぞきこんでいた。
 翌朝、多分死んでいるだろうからと思い、どこかに埋葬するつもりで覗いてみると、段ボールが芝生の上ににころがっていて、中身は空っぽだ。引きずったようなあとはないので、いくらか元気を取り戻して山に帰って行ったのだろう。あたりを探してみたが姿が見えなかった。白黒猫も見当たらない。これで家内ともどもにホッとした。以前に親猫らしい2匹が、生まれたばかりの子猫を連れてきてニャン、ニャンと鳴きながら、飼ってくれというそぶりを見せたが、餌をやったものの一晩そのままにしておいたら冷たくなっていたので、山に埋めてやるということがあった。親猫はしばらく、そのあたりをうろついていた。猫には感情がある。しかしこちらも感情に流されてしまうと、家じゅうが猫ということになってしまう。自然のおきてには従わねばならない。
 野良猫は飼い猫と違って7、8年の寿命のようであり、それが天命なら、死後の処置をやってやればよいと思っている。以前飼っていた2匹の猫は、生まれて間もない野良ネコであったが、飼い猫にしてから約20年の寿命であった。死後は庭先に埋めて墓標を建ててやった。それほどにはしなくても、生命は大切だ。天寿は全うさせたい。
 80歳の傘寿が半年後にやってくる今の私は、死に際を綺麗にしたいと願っている。在家の修行者として戒名を授けてもらい、仏前の毎日のお勤め供養は欠かしていない。生老病死は仏教の大切な課題だ。感情に流されず、天命に従い、死ぬときはできるだけ他人の手を煩わせない、日常の生活でも他人に尽くして、種としての生命の循環の一環の役割を果たすのが悟りの境地であろう。猫だけでなく自然の生き物は動物も植物も、自然の摂理に従って生きている。鉱物さえもそうであろう。天体であったものが集まって地球を造り、マントルになり火山から噴出するなど、動物と同じだ。自然のおきてに従って生きて行き、綺麗な最期を遂げたい。
 私は武士としての自衛官のときはいつでも任務を果たして戦死できるように、身の回りを整理して置く事を心がけていた。退官後も国防のために歴史家・軍事評論家としてできるだけのことをしてきた。40歳代から50歳代のときもそれなりの努力を続けた。しかし今、人間の個人の一生は非常に短いということを、猫の一生を通じても感じている。結局は次世代の人に譲っていくのが老人の役目になるのであろう。
 歴史家としての私は一万年前の縄文時代も、昨日のことのように思える。先祖の1000年前の熊谷直実など武将たちの活動は、それ以上に身近だ。個人の一生をつないで種としての人類がいかにして生きていくか、そのなかで個人がどのような役割を果たしていくべきかは、先人が教えている。個人の欲望達成だけイメージ 1が生の目的だとしたら、悲しいことだ。猫に学ぶことも必要だろう。写真は上が黒白ネコと下が昔親子で来た猫一家
  南シナ海のスービ礁、ミスチーフ礁に米海軍イージス艦ラッセンが接近した行動が報道されている。ラッセンは横須賀を準母港にしている空母(レーガン)部隊第五空母打撃軍の一部であり、ボルネオ島のマレーシア領から出港したという情報もあるが、中国艦の行動に備えて、背後に空母部隊が控えていることは間違いあるまい。アメリカではオバマ大統領の弱腰を非難する世論も強く、米海軍は出動に備えて早くから準備を進めていたからである。それがアメリカ的民主主義で動いているアメリカ人が納得する平均的な考え方であろう。
 中国は対抗して駆逐艦2隻を現場に派遣したというが、尖閣で行っているように今後、米中の軍艦によるにらみ合いが続くと予想される。場合によってはこれが、日本の尖閣方面でのにらみ合いの激化につながる可能性もある。日本国民はそのような先を読んで行動すべきだろう。危ないことは保安庁や警察、自衛隊に任せておき、心情的に関係者の強い態度には反対するというのでは、元自衛官の身としてやりきれない。前大戦も、軍人が起こし自分は被害者だという態度を示している人の無知には、軍人の息子として食うに食われない生活をした経験を思い起こして腹が立つ。戦争当時は朝日新聞も戦争賛成であった。
 中国は相変わらず、国連海洋法条約を無視して、この方面は昔から中国領であったと主張しているが、国際法は力比べによって造られると主張しているのであり、ソ連時代からの共産党の主張そのものである。つまり自分の力で暗礁を埋め立てて人工島を造ったのだからそこを自分の土地と主張するのに問題はないというのである。その伝でいくと、日中中間線付近の中国ガス田施設は海底に固定しているのだから中国領土の一部と主張することも可能になる。ヘリコプターポッドも設けてあるそこを起点にして領域を拡大解釈し、琉球列島近くまでが自領だと主張しかねないのが、最近の中国の態度である。
 日本は今後、海軍力を強化しアメリカと連携して、そのような中国の主張を封じ込めないと、やがて琉球列島は中国のものになり、沖の鳥島をはじめとして太平洋の日本の島嶼も中国に奪われることになるであろう。安保法制制定をいかにも戦争を始めるための法制であるかのように宣伝した反対勢力のデモは、そのような中国に取り込まれてしまった人の反対論としか言えない。普天間基地問題も元鳩山由紀夫首相の態度のように、そのような要素がからんでいるのであろうが、起こっている状況の裏を読むことが必要だ。
 キャンプシュワープの前で10数人が現在も道路の一部を占拠して新基地建設反対を唱えているが、シュワープの中では沖合に滑走路を新設するための準備が始まっている。滑走路はシュワープの基地の一部として新設されるのであり、普天間の返還をめざしてシュワープを拡張利用するための工事をするにすぎない。沖縄人かもしれないが10数人の地元とは無関係の反対者のおかげで、地元民は迷惑している。名護市長は多くの賛成派の市長たちからは孤立している。米軍に沖縄本島から出て行ってほしいという願いを持っているウチナンチュは多いにしても、沖縄経済を直視している理性的な沖縄の人は、それだけでは沖縄は生きていけないことを知っている。琉球王国時代の沖縄は、古代から血縁上関係が深いヤマトンチュとの関係を保ちながら、中国やさらに南方とも交易をするために、明国や清国に貢物を捧げていた。その時代に中国からやって来た子孫の大田元知事や中国との関係を大切にしようとする現知事だけの言い分を聞いていると、沖縄は滅びてしまうだろう。沖縄左翼新聞の沖縄タイムスも、独善的な翁長知事を見放しつつあるようで、このところ論調が変わってきている。
  紛争はないに越したことはない。しかしそのような紛争反対、ひいては戦争反対論者は、隣近所や居住地での紛争で、相手が役所や学校など相手が強く出ることができない場合は強腰でも、暴力団が介入してきて脅しをかけると、腰を引いてしまう人であろう。平和主義、自分の身の保全主義、ひいては自己実現第一主義の人は、場合により相手の目的を見届け、先を読んで使い分けて行動する必要がある。相手に対抗できるよう自分の精神を鍛え、体を鍛えることも含めて。
 

転載元転載元: 軍事評論家熊谷直の社会評論

  南シナ海のスービ礁、ミスチーフ礁に米海軍イージス艦ラッセンが接近した行動が報道されている。ラッセンは横須賀を準母港にしている空母(レーガン)部隊第五空母打撃軍の一部であり、ボルネオ島のマレーシア領から出港したという情報もあるが、中国艦の行動に備えて、背後に空母部隊が控えていることは間違いあるまい。アメリカではオバマ大統領の弱腰を非難する世論も強く、米海軍は出動に備えて早くから準備を進めていたからである。それがアメリカ的民主主義で動いているアメリカ人が納得する平均的な考え方であろう。
 中国は対抗して駆逐艦2隻を現場に派遣したというが、尖閣で行っているように今後、米中の軍艦によるにらみ合いが続くと予想される。場合によってはこれが、日本の尖閣方面でのにらみ合いの激化につながる可能性もある。日本国民はそのような先を読んで行動すべきだろう。危ないことは保安庁や警察、自衛隊に任せておき、心情的に関係者の強い態度には反対するというのでは、元自衛官の身としてやりきれない。前大戦も、軍人が起こし自分は被害者だという態度を示している人の無知には、軍人の息子として食うに食われない生活をした経験を思い起こして腹が立つ。戦争当時は朝日新聞も戦争賛成であった。
 中国は相変わらず、国連海洋法条約を無視して、この方面は昔から中国領であったと主張しているが、国際法は力比べによって造られると主張しているのであり、ソ連時代からの共産党の主張そのものである。つまり自分の力で暗礁を埋め立てて人工島を造ったのだからそこを自分の土地と主張するのに問題はないというのである。その伝でいくと、日中中間線付近の中国ガス田施設は海底に固定しているのだから中国領土の一部と主張することも可能になる。ヘリコプターポッドも設けてあるそこを起点にして領域を拡大解釈し、琉球列島近くまでが自領だと主張しかねないのが、最近の中国の態度である。
 日本は今後、海軍力を強化しアメリカと連携して、そのような中国の主張を封じ込めないと、やがて琉球列島は中国のものになり、沖の鳥島をはじめとして太平洋の日本の島嶼も中国に奪われることになるであろう。安保法制制定をいかにも戦争を始めるための法制であるかのように宣伝した反対勢力のデモは、そのような中国に取り込まれてしまった人の反対論としか言えない。普天間基地問題も元鳩山由紀夫首相の態度のように、そのような要素がからんでいるのであろうが、起こっている状況の裏を読むことが必要だ。
 キャンプシュワープの前で10数人が現在も道路の一部を占拠して新基地建設反対を唱えているが、シュワープの中では沖合に滑走路を新設するための準備が始まっている。滑走路はシュワープの基地の一部として新設されるのであり、普天間の返還をめざしてシュワープを拡張利用するための工事をするにすぎない。沖縄人かもしれないが10数人の地元とは無関係の反対者のおかげで、地元民は迷惑している。名護市長は多くの賛成派の市長たちからは孤立している。米軍に沖縄本島から出て行ってほしいという願いを持っているウチナンチュは多いにしても、沖縄経済を直視している理性的な沖縄の人は、それだけでは沖縄は生きていけないことを知っている。琉球王国時代の沖縄は、古代から血縁上関係が深いヤマトンチュとの関係を保ちながら、中国やさらに南方とも交易をするために、明国や清国に貢物を捧げていた。その時代に中国からやって来た子孫の大田元知事や中国との関係を大切にしようとする現知事だけの言い分を聞いていると、沖縄は滅びてしまうだろう。沖縄左翼新聞の沖縄タイムスも、独善的な翁長知事を見放しつつあるようで、このところ論調が変わってきている。
  紛争はないに越したことはない。しかしそのような紛争反対、ひいては戦争反対論者は、隣近所や居住地での紛争で、相手が役所や学校など相手が強く出ることができない場合は強腰でも、暴力団が介入してきて脅しをかけると、腰を引いてしまう人であろう。平和主義、自分の身の保全主義、ひいては自己実現第一主義の人は、場合により相手の目的を見届け、先を読んで使い分けて行動する必要がある。相手に対抗できるよう自分の精神を鍛え、体を鍛えることも含めて。
 

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