軍事評論家熊谷直の社会評論

アジアを中心にした社会・軍事の情勢やニュースの分析

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 ピアノの中村紘子さんの訃報を受けてメディアは大きく報道しているが、お父さんが陸軍士官学校出身の将校であったことは全く報道にない。私も記憶がはっきりしないが、確か私の母方の長州藩野村一族の一人ではなかったかと思う。50年ぐらい前の私が若かったころには、敗戦後の占領軍の政策のおかげで陸海軍将校の評価が下がっていたが、それでも帝国大学に入学できる資質を持ち、入学難関校の陸軍士官学校や海軍兵学校を卒業していた元陸海軍将校は、世間的にそれなりの評価を得ていた。特に陸軍士官学校に入る前に13歳で陸軍幼年学校を経由してから士官学校に入った陸軍将校や中卒(現在の高校上位校)で海軍兵学校に入り、これらの学校を中位以上の成績で卒業した陸海軍の将校は、戦前には社会のエリートであった。欧米の将校は今でも同じような扱いを受けている。
 その理由は、欧米では将校は貴族であり、それなりの教養がある人物が選ばれて将校教育を受けた歴史があるからだ。特に陸の連隊長や大艦の艦長を務めることができる大佐になってからは、特別の存在になっていた。日本でそのような教育が明治初年に始まった時には、まだ東大さえも基礎がはっきりしていなかった。
 昭和30年に防衛大が発足(それ以前は保安大であり陸海要員のみ)して保安大から通算して3回目の入学の3期生として横須賀の小原台という砲台跡に新設された防大の土を踏んだ3期性の我々は、まだ戦前の香りも残っている教育訓練を受けた。オイルを垂れ流す米空母を横目にして6時間の遠泳をしたり、対岸の房総半島往復のカッター漕ぎをしたり、名物の棒倒しで血を流したり、台風接近の中で富士山麓で戦闘訓練をしたりと、普通の工科大学の授業のほかに、心身を鍛えるための教育訓練が課された。そのような防大に志願してはいってきた学生には父や縁者が士官学校や兵学校の卒業生というものも多かった。7パーセントぐらいはいたのではないか。占領政策のおかげで、父親が戦地から生きて帰ってきたものの公職に就くことを禁止されて占領期間中は路頭に迷った軍人一家の息子は珍しくなかった。私も戦病死扱いになっている父の亡き後、アルバイトに精を出しながら中学・高校を卒業した。九州大学と防大に合格して母に反対されながら防大を選んだ理由の中に、経済的なものも含まれていた。下に弟妹3人が控えていたからである。
 自民党の谷垣幹事長の自転車事故が話題になっているが、かれの外祖父は戦時中の中国で情報関係の繁務をしたことで知られている影佐禎昭陸軍中将である。谷垣の名前の禎の字は中将の名前の一字をもらったというから、自転車という運動を趣味にしていることがうなずける。彼の場合は外祖父も本人も有名人であるだけに名前の由来までメディアが取り上げているのであろう。
 しかし中村紘子さんだけでなく父親などが将校や自衛官の場合は、世間は無視に近い扱いをするのが現在であろう。音楽関係でも湯川れいこさんのお兄さんの湯野川守正さんは昭和17年11月に海軍兵学校を卒業し、私も航空自衛官時代にお世話になった先輩だが、私が知っている限りではメディアに登場したことはない。宇宙飛行士の山崎直子さんの父親が、私と防大同期の陸上自衛官であることも無視されている。防大出身者に人材がいないわけではないが、一部の将官を除き元将官であっても世間からは無視に近い状態なのが普通である。そのなかで防大出の自衛官出身の国会議員などが政治家として頑張っている姿には感謝している。ただ彼らのほとんどが将官の経歴を持っていないことに、自衛隊内での役割と国会での役割は異質のものなのかなと考え始めている昨今である。かつて空の将官であった田村某氏は金銭問題にどっぷりつかってしまって、防大出の政治家として名を残すことはできなかった。
 私自身は軍事史専門の研究者・学者・教育者としての道を歩みつつ、一等空佐としての8年近くを過ごした勤務歴を持っている。その間に沖縄の防空情報関係の部隊長も務めた。平和を愛することは大切だが、これでもし何かのきっかけから、例えば尖閣問題で中国と日本が対峙するような事態になれば、180度世論が転換するのが日本人の習性であろう。そのときは過激になりすぎないように、バランサーの役割を果たすべきなのが私のような人物だと思っている。個人として名前を売り、成功者扱いされることは望んでいない。世間が私のような人物に期待するのもその程度であろう。
 
  沖縄については、1993年に『琉球沖縄受難史』を新人物往来社からまとまった本として出版したほか、雑誌や新聞に発表した記事は数えきれない。沖縄に初めて行ったのは本土復帰から5年後であり、昭和57年(1982年)から2年あまりを現地の防空情報統括部隊の指揮官として勤務したこともある。その後も東京で統合幕僚学校教官(Joint Staff-Collage Professor)として教育・研究をしていたときは、学生たちを現地に連れて行き見学や教育をしたので、琉球・沖縄については一応の専門家になった。もともと防衛大でも教官を務めた軍事史軍事制度史の専門家であったので、現地滞在中に学問レベルで現地の人と付き合いを深めたほか、武道や尺八の関係でも現地の人との付き合いを深めたので、琉球人や沖縄人については相当に理解をしているつもりである。
 ただ70歳になるまでは頻繁に沖縄を訪問して人々との親交を温め、多くの現地情報を入手していたが、その後は体調の関係で自分の目で現地を見る機会がほとんどなくなった。しかし最近、『沖縄の不都合な真実』(2014年新潮新書)を通読する機会があった。日経新聞の那覇支局長を務めた大久保潤氏と経済学者で沖縄にも詳しい篠原章氏の共著である。沖縄の比較的最近の事情について詳しく述べられていて、私の欠けいる部分を補ってくれる記述が多かった。
 記述の方向としては、私のこれまでの思索と一致している部分が多いが、沖縄には右も左もないというこれまでこのブログでも何度も私が指摘してきたことを、うまくまとめて表現してある点に感服した。昔の藩政時代の本土と違い琉球・沖縄の侍(サムレー)は無茶苦茶に数が多く、その子孫・後進である教師や公務員と一部の大企業の幹部社員が支配階級として県を牛耳っているという指摘についてである。見方によっては琉球も今の沖縄も昔のサムレーが6割であり、それを残りの農民が養っていた、あるいは今も下層の生活者が養っているというのであって、昔の体制がそのまま現代に引き継がれているというのである。
 琉球王国を支配していた薩摩藩は西郷家などの城下の侍階級と陪臣といえる各地の郷士が計3割であり、その他の本土各藩の1割前後に比べて多かったので、西郷家なども農作業をしなければ食べていけなかったという。これは吉田松陰実家の20石余取の長州萩藩の杉家と似ている。長州藩は陪臣・足軽中間まで含めて侍が家族とも1割余であって多いほうであったが、薩摩は郷士である庄屋クラスまで含めて4割という侍大所帯であり、それよりも多いのが琉球王国であった。
 琉球では農民一人が侍(サムレー)2人を養う形になっていた。特に今の八重山・石垣地方は琉球王国の属領の形にされていたので、人々は搾取されていた。その支配形態がそのまま現在に残されているというのである。
 台湾に近い与那国島まで足を延ばしたことがある私には、その意味がよくわかる。沖縄の本土復帰の直後でさえ、八重山方面の小基地の指揮官として駐在した自衛官が、琉球王府から現地に派遣されていた役人と同じか、それ以上の扱いを受けていたというのである。沖縄本島では自衛官の子供が先生からいじめられていた時期の話である。まして県知事とその取り巻きは八重山方面の人にとっては、琉球王一家のようなもので、口をきくのも恐れ多いということになる。
 そのように支配階級の県の役人や昔の支配者の子孫たちが威張っているのと同じなのが現在の首里や那覇の有力者であり、日教組の退職者でさえ、辺野古(キャンプシュワーブ)の付近で毎日の生活をしている一般住民よりも格が高い扱いを受けるというのである。基地のゲートの入り口に毎日現れる年寄りは、そのような人だという。つまり東京の人が彼は右だ、左だという格付けをするのは意味がないということになる。
 中央から沖縄に派遣されてくる役人は、数年間沖縄の有力者と交際して有力者のおぜん立てに乗って行動していれば、任期を務めあげて中央に帰っていくことができる。下層末端の人との交際は、飲食街でというのがほとんどで、それで沖縄を理解した気分になる。鳩山由紀夫総理はそのような人から得た情報をもとに行動して普天間問題の解決法を誤ったのであろう。歴代の総理や関係大臣が一度や二度の在任中の沖縄訪問で分かった気分になるのも怖い。これは沖縄に限らず外国との関係についてもいえることだろう。
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たたき上げの田中角栄が最近見直されているのは、下積みからの体験の積み重ねがあったからだろう。親戚の建築関係の大学教授は新潟出身であったが、角栄が自宅に始終顔を出していたころの話をその一世代前の大叔母から聞かされている。有力者が下積みを経験しないままに、責任がある地位に就くマイナス面を、沖縄でも中央でも検証し反省してみる必要があろう。
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 新聞にも報道されている日韓関係の日韓共同世論調査に応じた。日韓それぞれ約1000名の識者の反応として発表された結果を見てみると、日韓関係は昨年よりもいくらか改善されてきているということになっている。ただ韓国側が、たとえば竹島問題などで日本が40パーセント台の良い方向の賛意を示しているときに韓国側は10パーセント台という根本的な意識の違いからくる程度の差が大きく縮んだわけではない。日韓ともに、今後数十年は相互の現感情はそのまま続くという人が40パーセント台であるのもうなずける。日本が明治期に朝鮮半島を支配する政策をとったのは、否定しようがないからだ。日本としては当時の世界情勢からみて、朝鮮で侵略的に行動しないと日本がロシアなどの大国に飲み込まれるので、やむを得なかったといえるにしても、李朝の支配者の流れを引くインテリたちが多い彼らが、民族意識を払しょくして日本の行動を認めるのは難しかろう。
 姜在彦という在日関係で昔日本の大学教授をした人が書いた『日本による朝鮮支配の40年』という古い本を繙いてみると、朝鮮半島全域が中国に支配されたことは一度もないと強調している。しかし日本的な感覚でいうと、李王朝などが中国皇帝に貢物を捧げていた時期が長かったことは、事実ではないとは言えない。
 現共産中国政権は、琉球王国が明国や清国に二年に一度の貢物を捧げ、見返りにそれ以上の品物を貿易的に毎年のように琉球に持ち帰っていたことに触れて、これを、琉球が中国に服属していたからだと強弁している。その結論として琉球はもともと中国のものであり、尖閣諸島などが日本のものであるはずがないと主張している。しかし他方で琉球が薩摩に服属していたのも事実である。中国皇帝の代替わりの時に、何十年かに一度だけ中国使節の中国船が琉球を訪問するのと、薩摩の武士がずっと那覇に駐在していた薩摩と琉球の関係を比べてみると、琉球は薩摩、ひいては江戸幕府との関係のほうが中国との関係よりもはるかに密接であった。
 朝鮮半島と中国の支配被支配の関係は、陸続きであるだけに琉球と明国や清国との関係よりももっと密接であったといえよう。それに清国はもともと満州族という朝鮮族と一衣帯水の地に住んでいた人々に起源がある政権であって、漢族が多い共産中国の政権とは別ものであった。それゆえに漢族に支配されたことはないと主張するのなら、それはそれで受け入れることができる。しかし清国時代の朝鮮李王朝が、清国皇帝に服属していたのは、漢族に服属していたのではないからという理由で朝鮮半島が一度も外国政権に支配されたことがないと主張するのであれば、これには無理がある。民族主義に凝り固まってしまうと、話が難しくなってしまうのである。
 日本人も決して単一民族ではない。 北海道アイヌは別にしても奥州は縄文人の血が濃い所のようであるし、青森人は遺伝的には琉球人のほうに近いらしい。京都から西の人々には朝鮮系の弥生人の血が濃く混ざっているらしい。出雲大社に関係する人々や金沢や諏訪大社系の信濃の人は早い時期に朝鮮半島から渡来した人の血が濃いようだし、石器時代から縄文時代以後に、北から南から日本列島に入り込んだ人が複雑に混血しているのが今の日本人といえよう。最近はこれに、欧米人の血も入り始めている。
 民族主義は時空を超えた次元では、意味がない。ヘイトスピーチなどは論外だし、宇宙人とも交流せねばならなくなるこれからは、極端な民族主義は人類の破滅につながるといえるのではないか。日本人も朝鮮人も中国人も民族だけでなく、個人の利害を強く気にする生活から抜け出すことが、将来のために大切になりつつある。

転載元転載元: 軍事評論家熊谷直の社会評論

 新聞にも報道されている日韓関係の日韓共同世論調査に応じた。日韓それぞれ約1000名の識者の反応として発表された結果を見てみると、日韓関係は昨年よりもいくらか改善されてきているということになっている。ただ韓国側が、たとえば竹島問題などで日本が40パーセント台の良い方向の賛意を示しているときに韓国側は10パーセント台という根本的な意識の違いからくる程度の差が大きく縮んだわけではない。日韓ともに、今後数十年は相互の現感情はそのまま続くという人が40パーセント台であるのもうなずける。日本が明治期に朝鮮半島を支配する政策をとったのは、否定しようがないからだ。日本としては当時の世界情勢からみて、朝鮮で侵略的に行動しないと日本がロシアなどの大国に飲み込まれるので、やむを得なかったといえるにしても、李朝の支配者の流れを引くインテリたちが多い彼らが、民族意識を払しょくして日本の行動を認めるのは難しかろう。
 姜在彦という在日関係で昔日本の大学教授をした人が書いた『日本による朝鮮支配の40年』という古い本を繙いてみると、朝鮮半島全域が中国に支配されたことは一度もないと強調している。しかし日本的な感覚でいうと、李王朝などが中国皇帝に貢物を捧げていた時期が長かったことは、事実ではないとは言えない。
 現共産中国政権は、琉球王国が明国や清国に二年に一度の貢物を捧げ、見返りにそれ以上の品物を貿易的に毎年のように琉球に持ち帰っていたことに触れて、これを、琉球が中国に服属していたからだと強弁している。その結論として琉球はもともと中国のものであり、尖閣諸島などが日本のものであるはずがないと主張している。しかし他方で琉球が薩摩に服属していたのも事実である。中国皇帝の代替わりの時に、何十年かに一度だけ中国使節の中国船が琉球を訪問するのと、薩摩の武士がずっと那覇に駐在していた薩摩と琉球の関係を比べてみると、琉球は薩摩、ひいては江戸幕府との関係のほうが中国との関係よりもはるかに密接であった。
 朝鮮半島と中国の支配被支配の関係は、陸続きであるだけに琉球と明国や清国との関係よりももっと密接であったといえよう。それに清国はもともと満州族という朝鮮族と一衣帯水の地に住んでいた人々に起源がある政権であって、漢族が多い共産中国の政権とは別ものであった。それゆえに漢族に支配されたことはないと主張するのなら、それはそれで受け入れることができる。しかし清国時代の朝鮮李王朝が、清国皇帝に服属していたのは、漢族に服属していたのではないからという理由で朝鮮半島が一度も外国政権に支配されたことがないと主張するのであれば、これには無理がある。民族主義に凝り固まってしまうと、話が難しくなってしまうのである。
 日本人も決して単一民族ではない。 北海道アイヌは別にしても奥州は縄文人の血が濃い所のようであるし、青森人は遺伝的には琉球人のほうに近いらしい。京都から西の人々には朝鮮系の弥生人の血が濃く混ざっているらしい。出雲大社に関係する人々や金沢や諏訪大社系の信濃の人は早い時期に朝鮮半島から渡来した人の血が濃いようだし、石器時代から縄文時代以後に、北から南から日本列島に入り込んだ人が複雑に混血しているのが今の日本人といえよう。最近はこれに、欧米人の血も入り始めている。
 民族主義は時空を超えた次元では、意味がない。ヘイトスピーチなどは論外だし、宇宙人とも交流せねばならなくなるこれからは、極端な民族主義は人類の破滅につながるといえるのではないか。日本人も朝鮮人も中国人も民族だけでなく、個人の利害を強く気にする生活から抜け出すことが、将来のために大切になりつつある。
 バングラディシュのテロ事件は、日本人の目を海外の保安に向けさせ、自衛隊が国内だけで行動していればよいという意見を変えさせるように作用したといえるのではないか。しかしなにかの事件が起こると人々の関心というよりは、メディアの目がそちらに向けられてしまって、世界の片隅で起こった将来に影響する大切な事件がニュースから消えてしまうのは困る。特にスポーツと芸能だけに偏った新聞の編集は、将来の読者を失うことになるだろう。
 フィリピンは日本にとって大切な国なのに、大統領が思想的には中国寄りに変わったが、島の領有権を巡る領土問題では国際裁判係争中という事情などがあり、中国と争う立場にある。しかし比大統領交代時の交代報道は、無視に近いものであった。次期韓国大統領の選挙問題も日本にとって大切であるが、これもあまり知られていない。
 スマートフォンをはじめとして、一般の人が多くの情報を自分で探すことができる手段が増えすぎ、人々はこのような手段で何を探せばよいのかが分からなくなっているようだ。そのため道を歩くのにもスマートフォンや携帯が手放せず、友達と一緒に座っていても会話をせずにゲームだけに熱中しているという社会性がなくなった人間に育ちつつある。これはアメリカ人も同じであるようで、白人の夫を持つ娘一家が来日して滞在中だが、この夫がスマートフォンに向かって英語でしゃべりっぱなしなので聞いてみると、日本語がほとんど分からないので、たわいがない会話を在米の友人と話している様子であった。彼は沖縄のことはほとんど知らず、バングラディシュの事件のニュースを知っているかと問うと、それは何かと問い返された。修士の学歴を持ちアメリカの市役所の課長を務めている一応のインテリでもその始末である。イギリスのEU脱退問題で脱退の結論を出したのは比較的に恵まれていない人だと聞いているが、そのような人たちがコンピューターの結論を頼りにして国の行く末を決めるようになると、困ったというだけでは済まなくなる。インテリでもオウムの信者のように工学系の知識(思考過程が数式的で単純、鳩山由紀夫もその一人ではないか)だけで行動すると、世間を困らせることになる。バングラディシュ事件の地元出身の犯人たちも裕福な家庭で育ち、インテリでありながら単純にイスラム過激派の思想に共感してしまったというから、単純な考えしかできなかったということでは、コンピューター人間であった可能性がある。
 コンピューターが器械的に大量のデータを短時間で処理するだけの能力しか持たない時代には、コンピューターが人間に奉仕していた。しかし今や複雑な判断が必要な囲碁で、コンピューターが人間に勝つようになってきている。行きつく先は、あらゆることを人ではなくコンピューターが判断し処理する時代の出現なのではないか。現在のわれわれがこれを防ぐためにできることは、できるだけコンピューターに頼ることをやめ、あらゆることを自分で判断できる能力を養うことなのではないか。来日している小学生の混血の二人の孫は、コンピューターを使いこなしながら、それにはまりすぎてはいないようだ。研究者である母親が教育に気を付けて、学校も地元の学校に通わせる一方で土曜日には日本語学校に通わせたりしているせいかもしれない。しかし普通のアメリカ人がそうであるように、算数の能力はあまり高くないと見受けた。
 私はアメリカ方式にはいろいろの問題点があると思っているが、日本人のように単純に「右へならへ」をしない点は良いところだと考えている。経済面で小泉首相時代に、改革といいながら単純にアメリカ流の経済原理を取り入れて竹中大臣に郵政改革と称するものをやらせて財源を膨らませ、安倍内閣でもその経済方式を受け継いだことが、日本経済のかじ取りの失敗の始まりになったのではないかと思っている。コンピューター政治ではなく、また政治家のための政治ではなく、何百年たっても安定した社会になるよう、人々のためになる無欲の正しい情報判断、つまり「右へならへ」ではない日本的な人間社会の判断ができる政治システムになることを願っている。

転載元転載元: 軍事評論家熊谷直の社会評論


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