軍事評論家熊谷直の社会評論

アジアを中心にした社会・軍事の情勢やニュースの分析

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

 環太平洋経済連携協定(TPP)に日本が加盟するかどうかについて、経済界と農業者間の綱引きが行われている。この問題は目先の利益で動くべきものではなく、将来を見通した国内施策、特に農政をどうするかという問題から深く考えて決定すべきものであろう。
 日本の食料自給率が半分以下どころか四分の一にも低下しようとしている状態は、国家の生存という目で見るとゆゆしい事態である。人口が100万人以下の小国であれば、食糧を他の国に依存していても、何かの理由でその道が途絶えた時でも、輸入量が多くないので対応策を見つけることが容易であろう。しかし世界のなかでは特に大きなGDPをもち、比較的大きな人口を抱えていながら耕地面積が少ない日本は、食糧輸入が途絶えると人々が生きていけなくなる。
 私は、戦争末期から終戦後の昭和20年代の日本を知っている一人として、食糧がなくなるとどうなるかそれこそ骨身にしみてわかっている。 とうじは、農業は機能していた。敗戦の混乱の中で、稲だけはたわわに実っていた。学校の校庭や自宅の庭にはサツマイモの葉が生い茂っていた。それでもほとんどの人が食糧を求めて右往左往したのである。農家だけは肉体労働に耐えられるだけの食料を確保していたが、都会生活者はその農家の保有食糧からいくらかのものを分けてもらうために、晴れ着などと食糧を物々交換しようと、農家を一軒一軒訪ねて回ったのである。政府は食糧の配給政策をとっていたが、一日の割当量がようやく生きていけるだけの量でしかなかった。農家を訪れるのは違法であり、警察の取り締まりにあって、せっかく手に入れた芋や野菜を没収される人も多かった。私も、子供であったために見逃してもらった経験がある。当時は難民と同じで、やせ細り、どうにか買い出しをしていたなかでの出来事であった。
 もし異常気象で世界中の食料が不作のためになくなったらどうなるか。当時の日本の農家はいくらかは余裕食糧を持っていたので分けてもらうこともできたが、世界の食糧生産国が自分たちの食料さえ危ういという状態になったら、日本の工業製品と物々交換でといっても、どこの国も食糧と工業製品の交換に応じてくれる国はなくなるであろう。
 そのような事態に対応できるように最小限の食糧は自給できるようするのが農政というものであろう。作物を育てるには水と場所が必要である。水を海水から安く蒸留できる方法や水田に頼らずに多量の米を収穫できる方法の開発など、現在の農政とは異なるアプローチも必要になろう。そのために大量の電力が必要になることも予想できるので、そのための核燃料による発電や火山地帯でなくても地熱で発電できる装置の開発など、単なる農政とは違う視点からの大局的な構想と計画が必要になる。
 戦後、地主から土地を取り上げて小作人に渡す農地解放が、占領軍の政策として行われた。そのためにその後、農地の売買は制限され大規模経営が可能な時代になっても、戦前からの人手による集約的な農業を温存してきた。農地の所有権が細切れになっている状態は、そのまま現在まで変わらず、大規模農業により効率的な農業をしたいという若い人がいてもそれが難しい状態になっている。とりあえずはその点を改善して、もう少し効率的な農業経営ができるようにする必要があろう。年寄りが農業をやめつつある現在が、そのチャンスである。また占領軍の政策によってパン食や肉食が推進された結果、過度に西洋的になり、メタボ人が増えてしまった日本人の食生活を、健康面から見直す政策を進めることも、農政のひとつであろう。これは、単にパンフレットや電話で健康な生活を呼び掛けている市役所などのやり方では効果がない。肉に高い消費税をかけるなど、具体性がある国内施策が必要になる。
 このような農政と相まって自由貿易圏内での経済の自由化を進めるべきで、大きな目で見た国内の農政なしに農水省官僚だけの保守的農業方策に任せていたり、通産関係の役人や経済界のひとに経済政策のリーダーシップを任せていたりするのでは、近視眼的な目先の利益だけで動く経済人たちに引きずられて、日本を危うくすることになるのではないか。民主党政治家は福祉的な観点や効率的な財政の視点からだけではなく、この機会に大きな見地から思案することが必要である。
 
 ロシアのメドベージェフ大統領が北海道の北方4島を視察したことが日本で問題になっている。ここはソ連が占領したままになっており、ロシアはその状態を引き継いでいることになっている。メドベージェフはその立場から言うと、大統領として視察をするのに何も問題がないことになる。戦争中に占領地を国王が訪問することは世界の歴史の中ではあったことであり、今回の視察もそのように解釈すれば、そのことが占領地を領有する意思を示したことにはならないだろう。そこは、外交手段で日本が確認しておくべきことであろう。
 日本とソ連は講和条約を結んでいない。ソ連は1951年(昭和26年)のサンフランシスコ講和条約の会議に出席はしたものの調印はしなかった。そのため1956年に、領土問題を棚あげにした日ソ共同宣言が調印されて、日ソの国交が回復し、ソ連が国連で日本の加盟に反対しなくなったので日本の国連加盟が実現した。とうじは択捉島・国後島にソ連の対日・対米鉄のカーテンの第一線部隊である戦闘機部隊や地上戦闘部隊が配置されており、ソ連としては、そこを日本に引き渡すわけにはいかなかった。歯舞諸島にはそのような部隊の配置がなかったので、ソ連側は歯舞と色丹の引き渡しで決着しようとしたのだが、日本はその他の島も含めて、いわゆる北方4島の返還を求めてきた。なお現在は北方4島にロシア軍の大きな部隊配備はなくなっている。
 日本の降伏後、日本列島に占領軍が進駐してきたとき、ソ連は北海道の北半分の占領をアメリカに要求して容れられなかった。おかげで北海道の本島そのものにソ連軍が入ることはなかったが、日本のポツダム宣言受諾直後にソ連軍が占領した北方4島は、現在でもソ連軍に占領された時のままの状態が続いているといえる。
 これは北朝鮮とよく似た状態にあるともいえる。北朝鮮にはソ連共産党政権の傀儡といえる金日成共産党政権が誕生し、そのまま現在にいたっている。北朝鮮に言わせると、韓国は米国の傀儡政権であった南朝鮮の李承晩政府の後裔であって、現在は北朝鮮と朝鮮戦争の休戦状態が継続しているので、戦争を再開することもありうると主張できる。朝鮮戦争勃発時に38度線で南北に分けられていた朝鮮半島は、現在は北朝鮮も韓国もそれぞれ38度線の反対側に占領地を持っており、それが現状になり施政権をそれぞれが持っている。北方4島のロシアによる占領状態は、それと同じような性格のものといえるのではないか。このままの状態が続くと、あと100年後にはこれが既成事実化するとも考えられる。なぜなら旧島民といわれる人たちはまもなくいなくなり、ひ孫の世代になると忘れられた存在になると考えられるので、彼らに対する人情的な配慮の必要性がなくなるからである。問題になるのは現にそこで生活しているロシアの人々のことになる。そう考えると、今のうちに獲得できるものは獲得し、決着しなかった領土権は権利だけは国際的に保留にしておき、最終決着を子孫にゆだねるのが望ましいのかもしれない。

開く トラックバック(1)

全1ページ

[1]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事