軍事評論家熊谷直の社会評論

アジアを中心にした社会・軍事の情勢やニュースの分析

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 オウム真理教の事件の裁判がすべて終わったとして話題になっている。このサリン事件のとき軍事評論家として民放の昼番組に出演したことがある。江川紹子さんも加わっていたと思うが、江川さんはそのころ売り出し中であったがその後も政治がらみの事件で活躍することが多いようで、現在も小沢一郎関係の裁判事件で、名前を見ることが多い。私は政治的な問題に深入りするつもりはないが、小沢事件の弁護人との私的つながりもあり、なんとなくこのような事件に関心は持っている。いずれにしろ政治と金は切り離せない問題のようだが、政治献金が政治の方向を決めるような行き方に問題があるのは確かだろう。
 政治献金として表に出ない外国からの協力金を得て、その国の主張に同調するような政党や議員がする主張は、日本の国益にならないことが多いので用心する必要があるが、国民の多くはその事実を知らされていない。評論家を含めてメディアもそのような内実を知ることができる機会は少なく、知っていても公表できないことがある。たとえば北朝鮮の拉致事件などは、50年も前から警察をはじめとする政府の関係者のあいだでは常識になっていた。しかし政治的な配慮から、事実が公表されることはほとんどなかった。もし北朝鮮がそのような行動をしていると発表したとすると、左翼系の団体や北朝鮮関係の団体が一斉に騒ぎ出し、日本の国会は審議停止になる雰囲気があったからだ。しかし今や、拉致された人が生きていない可能性が強いと某議員が発言しただけでマスメディアから非難され、某議員は謝らなければならないという、昔とは逆の雰囲気になっている。
 オウムにかかわった高学歴の犯人たちは、麻原教団主が説く彼独特の人間観のなかに、政治や社会の退廃や異常さの一つの原因を見たと思ったのではあるまいか。そう思ってしまうと後は論理の展開が、行きつくところまで行ってしまう。特に1プラス1は2という単純な思考をしがちな理科系人間は、その傾向が強いと思うがいかがなものか。その結果が、どうしようもないサリンによる大量殺人をもたらしたと解釈することもできる。最初に政治と金の問題を述べたが、そう考えるとサリン事件も、その問題と全く関係がないわけではないと思われてくる。
 主義主張は人それぞれが持っていて当然である。しかし人間は社会のなかで生きて行かなければならない宿命を持っているのであって、そのため、主義主張をしそれによる行動をするばあいに、社会で共存するための限界があることを自覚(教団が使っている用語なのであえてそういう)してすべきであろう。ものを考え行動するときに、その自覚なしに自分のつごうだけでだけで動いていると、あらゆる場合に限界を超えて非難されるようになる。平和な秩序のなかで犯す私的な殺人は、いかに理由をつけても社会が許さない。しかし法的な手続きという皆の同意を得て行う死刑は、安全な社会をつくるために必要という理由で現在の日本では認められている。また国際的に認められている、戦争という事態の下で敵を射殺する行為も現時点では犯罪ではない。国内ではそのような人物は勇士として讃えられている。
 人間は常に周囲の社会を見ながら、そのルールに従って行動すべきであろう。しかし逆にそれが行き過ぎると、全国民の服装や髪形が流行のものに染まり、思想もマルクス主義絶対になってしまったりする。日本人は特にそのような傾向が強いようなので、お互い常に反省する必要があろう。
 
 
 
 

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