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今年の防衛白書が発表され、白書が取り上げている中国関係の問題が話題になっている。内容としてはこれまで散々、このブログで私が取り上げてきたことであり、特に言うことはない。中国の海洋進出や核装備の進展、宇宙開発の問題は、わが国の防衛上大きなものであるが、国民は脅威を感ずることなく、逆にオスプレイ配備のような日米の対抗措置の足を引っ張ることに向かいがちなのはなぜだろうか。目先のことしか考えていないのが問題だ。
白書が森本防衛大臣のもとで発表されたことに意味づけをする意見もあるが、毎年の定期的な発表であり、一年間、防衛省内で制服・背広の数名の担当者が議論しながらまとめたものを、さらに省内の会議を経て防衛大臣、閣議と段階を経て修正し発表したのであって常識的な平凡なものだといえる。
昔の日本の陸海軍は陸軍・海軍大臣の談話や帝国議会での議論などを通じて、軍事についての公式見解が人々に周知されたが、国防白書のようなまとまったものの発表はなかった。軍事だけでなく経済など他の分野についても同じである。そういう意味では、現在の白書発表は、国家が国民主権であることを示しているといえよう。
特に戦前の軍隊は、基本的には天皇のものであり、その状態を国民に説明するのは天皇の指示があったときだけであった。軍隊の行動についても、形式上は、天皇の命令なしに災害派遣のために部隊を動かすことさえできなかった。東日本大震災のときは、陸上幕僚長は事態の発生を知ったとき、内々で派遣の準備を指示しており、その後に正式に防衛大臣の派遣命令を受けて、具体的な派遣命令を出している。これが外国の勢力の侵攻に対処する防衛出動の場合は、自衛隊の最高指揮官である内閣総理大臣が命令してから部隊が動き出すことになる。その場合も最終的には、国会が出動を承認する手順を経ることが必要になる。民主主義国家は、法的な手順を誤らないようにすることが要求されているが、震災のときに見られたように、菅総理が原発問題だけの細かいことに頭を突っ込んでしまうと、その他の必要な処置が停滞するといった危険性もはらんでいる。国会も震災当時に、自律的に災害対処法案を提出審議することはしなかったが、それでよいのか。たとえば遺体を仮に現地で埋葬することは自衛隊の任務外であり法的に認められていない。そのようなことをすると場合によっては死体遺棄として刑法に触れることになる。しかし違反を承知の上でそうせねばならない状況もあったという。
軍隊組織は非常緊急時に指揮官を助けることができる幕僚組織が整備されており、担当ごとに平素から、多くの事態を想定して情報を収集し、対応訓練もしている。そのために震災対応の初動で一応の活動ができたのである。しかし、たとえば尖閣諸島を中国が奇襲的に占領したとして、自衛隊はすぐに対応できるだろうか。外出中の隊員を呼び戻して、もし総理大臣から命令されれば部隊が動けるように内々で待機させ、平時の延長で情報収集をすることまでは法的に可能だとしても、防衛のための本格的な活動は、総理大臣が決断しなければ何もできない。そのうちに時間だけがたって占領が既成の事実化するだろう。そのような穴があくことがないように、必要最小限の当面の処置を現場の将官クラスにあらかじめ権限を委任しておく法令を整備しておくべきだが、今のような国会の状態では、平時でもそれは不可能である。まして非常のときに防衛出動を、国会が可能にする処置を取ることができるのか。戦闘機の購入のような予算的な問題だけでなく、そのような突っ込んだ防衛上の問題点を国民に訴えるのも防衛白書の役割だと思うが、どうだろうか。
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2012年08月01日
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