|
ツィッターで書き込みを読むと、省略カタカナ語など意味不明のものが多数目に付く。若い人たちと私のような高齢者の言葉や表現が、全く違うものになっているようだ。高校生の孫に聞いてみると、中学生たちの会話が分からないことがあるという。友達との付き合いが中心になっている若い人たちは、他の世代との付き合いを避ける傾向があるようだ。江戸時代や明治時代なら変化の速度が遅いので、時代は変わるといっても、若者と高齢者の意思疎通ができなくなるという現象はなかったことが、当時の小説などの表現から推定できる。
IT時代になってから、情報の伝達速度が私の子供の世代とくらべて10倍にもなっている。明治時代に欧州に行くなどということは一年がかりの大変なことで、洋行経験者は、帰国後には社会のリーダーになった。そのころと比べて飛行機による移動の結果や通信連絡手段の発達により、情報の伝達速度が1000倍にもなっている。情報量も増え、ジャーナリズムの在り方も変わるべきだが、変わり切れていない。どんどん変化する内容についていけず、報道の内容が事実に反していることが多い。
小保方博士のSTAP細胞についての論文に対する、高齢管理者の側からの今回の指摘や反応に私はそのような意味から違和感を持っている。報道にあたる若い記者たちも担当機関の大本営発表の真偽を見分けることができず、天動説と地動説の宗教的な対立と同じような社会的な現象をもたらしているのではないかと、危惧している。
社会的に影響力を残している高齢者は、自分たちが長い間かけて築きあげてきた方法が、今では若い人に通用し難くなっていることに気づくべきだろう。私の専門の日本の近代史についていうと、これまで一次資料と呼ばれる官庁の公式記録や関係者本人の日記などを絶対視する学問傾向があったが、最近は明治のものさえ考古学的な発掘資料を利用することが一般化してきている。心理学・社会心理学や脳生理学のような人間の内面的なものを研究する学問の成果を生かして歴史を解釈することも大いに行われるべきではないか。そうしないと、例えば特攻隊の研究に、文献上、誰が特攻を命じたのかというような狭い範囲の研究は行われても、当時の世間一般の心理状態から分析することは行われず、「聞けわだつみの声」のような学生はみな戦争に反対であったというような感情論だけが先行することになる。ウーマンリブの活動家たちが女性の人権問題だけにとらわれて、いわゆる慰安婦問題を論じ、それが日韓の政治問題に転化し利用されることになるのを見逃すわけにはいかない。現在論じられている集団安全保障問題や政治と金の問題も同じで、世界や日本のために今後どうあるべきかが問題であり、視野を広くして考え、憲法についても絶対視せず柔軟に対応するのが将来のためではないか。
たまたまSTAP細胞問題があったのでこれを取り上げたが、自分のメンツや組織の利益というようなつまらないものは捨てて、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあり」という形で人々が、互いに世の中の人々のためになる形で行動してほしいと願っている。
|
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]




