軍事評論家熊谷直の社会評論

アジアを中心にした社会・軍事の情勢やニュースの分析

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 夏休みも終わりが近づいてきた。我が家の在米ハーフの小学生の孫ふたりは、八月から新学年なのでロスに帰って行ったが、こちらの中高生の孫と比べてみると、大きく違っている。アメリカと同じように大声で家の内外を走り回り、遠慮がない。土曜日に日本語学校に通っていて日本語も話せるので、こちらが英語を使う必要がなく、その点は気楽だ。
 小学校での毎日を聞くと、体育とか音楽、図工の時間がないので、その点ではこちらの孫と差が付いてるが、算数の内容を聞いてみると、同じ学年でも日本よりも一年近く後れている感じだ。戦後、私はそれまでの国民学校で受けていた教育がアメリカ流に変更された教育を受けた。そのため算数は小学校6年で教わった内容とあまり変わらない授業を新制中学1年のときに受けることになり、なぜそのような無駄をするのか不思議に思ったことを思い出している。漢字も教育漢字の制限があり、すでに家にある大人の本(ふりがな付のものも多い)を読んで読めるようになっていた旧字体のものを新字体の略字で覚えなおさねばならず、蝶をチョウではなく「てふ」と覚えなおさせられるというむだを我慢せねばならなかった。この齢になってみると、「てふ」の発音のほうが自然であることがわかる。戦後のアメリカ流の教育に飛びついた知識人は、日本人の平均的知的レベルを低下させるのに協力していたといえる面がありそうだ。
 孫たちがアメリカで受けている教育は、その時われわれが受けた教育と同じように、内容的に後れたものになっている。アルファベットも、筆記体が書けず、筆記体が読めない中年以下のアメリカ人が増えてきているようだ。私が下手な字であるにもかかわらずアメリカの家族に筆記体で手紙を書くと、うまいとほめてくれる。なぜだか分らなかったが、孫に聞いて、筆記体がほとんど学校で教えられていないためであることが分かった。
 そのほかいろいろあるが、戦後の日本に導入されたアメリカ的な標準的な学校教育を受けていると、日本の公的な学校で秀才になることが難しいことが分かる。アメリカでも秀才になれるような、社会に有用なできる人物は飛び級やその他のシステムで早くから抜擢教育をしているのである。戦後の日本は平等教育の名のもとに、リーダーを育てる教育を放棄していた。最近試行的にいろいろな方法が行われているが、平等主義を廃止しない限り、統計に出ているように日本の子供の学力が、シンガポールはもちろん、韓国や中国にさえ劣る結果になることは避けられないであろう。
 ただ日本の子供は、一応世界的には上位の学力を持っており、平均的には中の上でパッとしないアメリカの子供よりはすぐれている。しかしこれは、日本の家庭の個人的な努力による面が大きいのではないか。それとは別に日本でも公的にリーダー養成教育を重視していく必要があろう。これはバイリンガルを養成するようなものとは別で、発表力をつけたり企画力、統制力を伸ばしたりするようなことも含んでいるが、しかしそれだけでは、知的レベルの向上に問題が出てくる。
 国内の孫は、小学生時代の通知表を見る限りでは、一応できていると安心できるものであった。ところが中学校に入った段階で、部活動に熱中したためとゲームやパソコンの出現で、学業に問題があることに気付いたが、手遅れであった。他の子供たちは親が比較的経済的に余裕がある家庭であって塾などで学力を伸ばしていたが、それに追い付けなくなったのである。そのために本人も学業に忌避傾向が出てきた。いろいろ聞いてみると、小学校の通知表は、一応できていればよい評価になるとのこと。アメリカの孫たちと英語で話してみたらといってもその意欲を持っていない。日本の公的な教育は平等教育であり、リーダーを育てる教育にはなっていない。
 世間では理系の能力、特に数学は社会生活には必要がないと言っているらしい。もともと高校の段階の普通科教育は、大学で専門教育を受ける準備教育であるので、理系に進まない生徒には数学など無用と思われるものもあるだろう。しかし少なくとも中学校2年ぐらいまでの段階で教わる数学や理科は、日常生活に活用できる。たとえば10年間銀行預金をしてどの程度の利子がつくかは、対数計算の基礎が分かっていれば、簡単に計算できる。登山をするとき、100メートルで0.6度の気温低下があることが分かっていれば、富士山の頂上の温度が何度ぐらいか、暑いのか寒いのかは容易に見当がつき、凍死を避けることができる。
 60年近く前の私の大学入試時期には、工学部全盛で医学部がそれに次ぎ、東大でも文学部は最低の難度であった。大学が増え、文系の学部が増えた今は、不得意な数学を使う工学部を避けようとする傾向が強くなって、工学部は難度が低下しているようだ。医学部に物理や化学、さらには生物学を学ばなかった学生が入ってくるという現状は、医学界のリーダー養成のうえでは問題がある。それだけではなく、リーダーになる機会が多い東大生に運動嫌いが増えていることにも問題がある。塾通いなどで入試偏差値の向上だけに青春時代を過ごした名目的なリーダーが増えることにも危機感を持たざるを得ない。お坊ちゃん的な生活に慣れ意志が鍛えられていない気ままな生活を好むリーダーを生み出している日本の教育や、各界の現状にたいしても、孫を通じて問題点を認識し、アメリカの教育との比較で物申したい気分でいる私は心穏やかではない。
 
 
 
 いまさらながらだが、自衛官が集団で靖国神社に参拝することを、憲法の政教分離に反するとして問題にしている人たちがいる。慰安婦誤報問題で腰が砕けた人たちが、新しい攻め口を探しているのであろうか。遠洋航海に出かける海自新任幹部たちは、たとえばハワイの真珠湾に日本機によって撃沈された戦艦アリゾナが当時の戦死者を乗せたまま、慰霊碑のように国家機関によって管理されている場所にお参りする。他の国でも宗教施設であろうとなかろうと、そのような場所にお参りするのが訪問中の軍人どうしの儀礼になっている。安倍総理が外国訪問をして、その国の戦没者施設に宗教とは無関係に礼儀正しく参拝しているのは、自衛隊の最高指揮官としてのそのような意味を含んでいる。その意味で、安倍総理が昨年末に靖国神社に参拝したのは、正しい国際的な行動であったとみてよかろう。
 自衛官は軍人ではないからという日本国内の勝手な理由で参拝を拒否することは礼儀に反する。もちろん自衛官が参拝するときに、部隊行動をとらず私的な参拝だと称して背広に着かえてお参りするのでは、参拝の意味がない。
 外国でそのような行動をとりながら、日本国内では同じような行動をとらないとすると、バランスに欠ける。日本に寄港した外国軍艦の乗組員が靖国神社に参拝するという申し出があれば、接待役の自衛官はとうぜん一緒に参拝すべきであろう。憲法には国際関係を重視する条項も存在するのであり、国際関係を重視しながら、日本には軍隊は存在しないという国内だけの憲法条項にとらわれて、自分勝手な行動をする国民は、国外では嫌われ者になるであろう。もっとも中国共産党政権のように、国際関係を軽視して自分勝手な理屈で行動している外国政権に対しては、こちらもそれ相応の対応をすることになることがあるのはやむを得ない。
 
 
 

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