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夏の高校野球のシーズンは終わったが、それぞれの高校の校歌や応援歌を聞いていると、この高校は歴史が古いとか、私立か公立かといった見当がつく。平和という言葉が入っていれば戦後生まれの学校であることは間違いあるまい。 ところで私の卒業した防府高校では、在校中に結成された応援団の応援歌として前身の旧制防府中学校の応援歌の一部を取り入れた。「…花野に高く球は鳴り 堅氷砕く剣の音 …港を出でや輸送船 しばし守れや海の人」 とあるのは、野球部の地方準決勝戦(当時は学校数が少なく数県合同の地方大会)が広島で行われたのでその応援のために歌われたからである。
ここで取り上げようとしているのは、この歌の最後の二節と防衛論議についてである。日米戦後7年、日露戦争後50年に満たない時期に始まった私の高校時代には、まだまだ軍事色が色濃く残っていた。サンフランシスコ講和条約が発効したのが高校入学間もない4月28日であり、まもなく警察予備隊や海上警備隊を合わせた保安隊が吉田茂首相の手で発足させられた。講和条約に合わせて締結されたのが日米安全保障条約であり、その関係でこの独立回復のころから日教組や労働組合関係の安保反対運動も盛んになった。反対派は、北朝鮮や共産中国のように、公安関係の調査で朝鮮戦争の共産側に関係がある人々だと聞いていた。朝鮮半島を共産化すれば得をする勢力に関係する人々である。
私の高校の教員のなかには安保や保安隊に反対する人もいたが、戦争中に陸海軍の予備役将校(一定の学歴があり試験に合格すれば短期間の教育後に任官)になった人たちもいたので、反対論はまだ、それほど目立つものではなかった。そのため応援団では日露戦争当時の状況を思わせる応援歌も歌われたのである。
日本人の軍事知識が、海軍は陸軍のために輸送船を守るだけが任務だと誤解しているこの歌のように、古い時代の内容から進歩しなかったのは、市中でも学校でもそのような日露戦争の時点で思考停止してしまったり、総力戦の対米戦のように、空襲や原爆の被害だけを経験したことで、そこで思考が停止してしまったからであろう。国民一般ではなく安保反対派の人の軍事知識も停止し、徴兵されて兵役を務めた経験者の思考も停止しているので、安保関係の議論はそこから前には進んでいない。
戦後生まれの人はそのような人に教育されているので、まともな軍事知識を持っているはずがなく、右寄りと呼ばれるような人でも左寄りの軍事専門家・軍事学者と称する人でも、冷戦時代の世界の現象を軍事的に理解することはできなかった。憲法9条の文言だけを掲げてその解釈論で対立するだけであった。
軍人一族の家に生まれ、小学校(国民学校)時代から陸軍幼年学校に入ることを志し、防衛大を卒業して幹部航空自衛官としての実務を経験し、防大・防衛研究所などで学問的に軍事を研究して内外の学者とも交わって来た私の目から見ると、そのような世間の偏りが目について仕方がない。今の時代に徴兵制復活などという国会議論が出てくるのは、知識や経験がない人の反対のための論にしか見えない。軍服を着ていなくても、国土が危ないときは後方の輸送や補給、医事衛生などの業務にかかわらざるを得ないのが現実の社会であり国防である。アメリカの州兵は輸送や補給任務に就く物の割合が多い。泥棒がいれば、自分は相手を捕まえることができなくても警察に連絡するであろうし、少なくとも幼児を危険人物から保護しようとするだろう。防衛についても同じことである。
社会防衛ができる態勢をつくりあげるのが、現在の国防であり、安保態勢をつくるのもその一環だと考えるべきだろう。日本を弱体化しようとしている一派の口車に乗らないよう、現実を正しく見つめ「安保おれおれ詐欺」に引っ掛からないように、再度強調しておきたい。
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