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礒崎首相補佐官が安保法令問題で「法的安定性は関係ない」と発言したとかで、国会で取り消しを迫られた。確かに法案の審議をしている最中であったので、与党側としては軽率な発言だという以外には対応の仕方がなかったのであろう。それでは法的安定という言葉の意味は何なのか。憲法を改正することはできないという立場の人たちは、戦後育ちのこちこちの憲法学者たちのように文言にとらわれて、一字一句変更することができないという立場からものを言っているのであろう。 しかし憲法の解釈論からは、時代の変化に合った行政を行うために、緩やかに解釈変更していくべきだというものがある。礒崎氏の法的安定性は緩やかな解釈からのものであり、間違っているとは言えないだろう。
法的安定の他の面を憲法に見ると、私は男女平等社会の実現は必要だと思っている。しかし男女の肉体的な相違を無視して同じように扱うとすることには反対である。アメリカでは妊娠中の女性を肉体的にきつくない仕事につけると、女性自身から平等ではないと苦情が出るという。そのため出産直前まで女性が車の整備のような力仕事をしている例があるという。長い間女性の人権を無視する傾向が強かった日本では、男性が家事をする傾向が強くない。私はそれぞれの体力や事情により家事を分担すればよいと思っているが、田舎では特に、嫁姑の昔ながらの関係が強く残っていて、お嫁さんはそれに縛られて苦しむことが多いようだ。逆に都会で、特にインテリ家族は女性の主張が強くなり、姑が嫌なので夫の郷里には帰りたくないといういう妻が多くなっているようだ。時代によりおかれた状況に合った変化があってしかるべきだと思うが、時代をとりいれることは、なかなか難しいようだ。若い世代は年寄りを無視する傾向が強くなっていて、両親の世代の主張は無視され、早く冥途に行けばよいとか、少なくとも施設に入ってくれというという話をよく聞く。
若い世代は時代による変化を主張する。それが自分たちが中心に座っていたいという主張であれば、そのうち自分たちが地位を追われることになるだろう。政治的な主張も同じで、極端な変化や人倫の道に背くものでなければ、少しずつ人々に受け入れられるであろう。民主・人権が絶対のアメリカ人の主張は、共産党独裁の中国の主張とはかみあわないが、話し合いと譲り合いは必要であろう。時代や道理に合わないものは、少しずつ消えていく。
日韓関係のようにぎくしゃくしているものも、長い間には変えられていくだろう。朝鮮人は隣国の漢人やモンゴル人との歴史的な争いの中で、どうすれば生き残れるかを模索してきたのであろう。常に相手を非難するのは、その中で生まれた民族性のようなものかもしれない。日本は幸いに古代から元寇時代にかけてを除くと侵略されることが少なかっただけに協調性や温和さを身に付けた民族になっている。明治維新の対立後も、明治になってから東北人や旧幕府人が政府に入り込み、協力して新しい日本を創りあげてきた。現在在日といわれている人々も、帰化して国会議員になっている人は格別な差別を受けていない。話し合いと譲り合いが、民族としての協調性を創ることになると思うがどんなものだろうか。 変化を絶対的に否定することは、対立と喧嘩を招く。自分たちのことばかり考え、憲法の合理的な変化さえ否定する、あるいは核のゴミといわれるようなものの受け入れを拒否し続けていると、やがて結果が自分たちに跳ね返ってくることになるだろう。
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