軍事評論家熊谷直の社会評論

アジアを中心にした社会・軍事の情勢やニュースの分析

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 本日私は、めでたく仐寿(満80歳)を迎えました。思えば防衛大学校卒業後、1等空佐の航空自衛官としての定年満55歳の日(平成3年、1991年4月28日)から数えて、25年を経過したことになります。
 自衛官としての後半生は、主として軍事史・軍事制度関係の研究と部内での教育に携わっていたので、定年後は某大学で教壇に立つことになっていた。しかし大学側の事情で約束が反故にされて将来の職を失った。この年から文部省が大学の教養課程廃止に向けて動き、教養課程教授のポストがなくなったからである。やむをえず一時しのぎに某短大の講師をつとめたり、折から起こったイラクの湾岸戦争などを材料にして軍事雑誌の物書きをしたりしているうちに、テレビの仕事にも声がかかるようになった。その中の大きな番組は、オウム真理教が平成7年(1995年)に起こした地下鉄サリン事件関係であり、愛川欽也が司会を務める昼のワイド番組であった。テレビ朝日の「報道ステーション」担当者からも出演依頼と思われる交渉があったが、局の番組傾向が私の意に沿わない点があり、わがままを通すことが多かった。
 その後も平成11年(1999年)3月に能登沖に北朝鮮の不審船が現れたときに、海上保安庁の要請を受けて自衛艦が追跡したときや、平成17年(2005年)9月のニューヨークやワシントンでの航空機による同時多発テロ関連のテレビ番組では、民間テレビに何度も顔を出す機会があった。しかしまもなく同時多発テロの関係でアメリカが、テロリストの根源地とみなしたアフガニスタンに派兵したときは、あるテレビ社から泊まり込みでの戦闘解説を依頼されたが、腹部の切開手術を控えていたので出演を断らざるを得なかった。一部の新聞社から戦況についての電話コメントを依頼されることはあったが、この後はマスメディアに登場する機会が減った。
 この時期の私はすでに70歳代に入っており数え年で言うと古稀をとっくに過ぎているので、戦前だと立派な御隠居様の生活をしていてもおかしくない。ただ我が家の江戸時代以来の武家当主で、私よりも長生きして晩年の生活を楽しんだ人はいない。やはり毛利家直臣の家育ちの母方の祖父は、米寿に近い晩年になってからも高下駄ばきで走ったという。長州藩士は関ヶ原の恨みを晴らすため、貧窮生活をしながらも文武の道にいそしんだというから、高齢になってもそれなりの生きざまを見せることができたといえよう。
 私も先祖伝来の、若くして志した国防の道のために、これからも可能な範囲で研究・文筆の生活を続けていきたいと思っています。定年直前から出版した一般書や研究書は20数冊になり、学術論文も30数点に達しました。「軍事史家熊谷光久(軍事評論家としての筆名熊谷直)の業績」としてYAHOOブログのプロフィールからたどれる一覧表を作成しているので、関心がある方は覗いて見てください。この20年以上の間に日本の軍事は実力も制度も整備され、個人的にはそれにいくばくかの貢献をしてきたと自覚しているので、悔むところはありません。
 それでも古稀を過ぎてから、前立腺がん、腰椎4個の圧迫骨折で身長が7センチ縮んだところに心臓の冠動脈異常と病気が続きました。それでも頑張って、可能な範囲で、少なくともインターネットを使って国防関係の文筆活動を続けているのが現状です。ただ80歳という節目を迎えて、ホッとしているのが正直なところです。

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