軍事評論家熊谷直の社会評論

アジアを中心にした社会・軍事の情勢やニュースの分析

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  安保議論の最中に国会にデモをしかけたSEALDsという集団は、このところ姿を見掛けない。「民主的な日本を守るため」という60年安保騒動の時代と同じような主張と経過をたどっているところをみると、やはり日本を分裂させて自分たちの利益を図りたい外国の影響を受けた集団なのだなと思われてくる。
 60年安保時代に活動していた核マルとか中革のグループは警察の監視を受けながら細々と生きながらえているが、かれらは「民主的で平和な日本をつくる」のに役に立つ活動をしてきたのか。世間に騒動をまき散らしたということでは、オウム真理教と何ら変わらない。爆弾騒動や航空機乗っ取りのハイジャックなどで人々を傷つけ、世間に無用の不安感を巻き起こして自分たちが自己満足しただけの集団であった。あまりものを考えない学生や生活に不満を持つ若い主婦たちが60年安保デモに参加していたが、その後何食わぬ顔をして会社に入り、中には地域のリーダーになったりして自己満足の活動を継続してきた人がいる。だが感情的な自己満足の一生が、人々のためになっていると言えるのだろうか。その子供の世代は、音楽や芸術に没頭したり旅を楽しんだりして、他人に不安感を与えるような生活とは無縁になっているのは、親たちの生き方を見て反省したためともいえよう。
 しかし今はそのような反省世代の次の世代の子供の時代になってきている。かれらは大東亜戦争(米英のいう太平洋戦争)どころか60年安保騒動さえ、半世紀前の歴史としてしかとらえていない。歴史は繰り返すというが、SEALDsたちは同じ過ちを繰り返そうとしている。国会デモに参加していた人々の映像を見ていると、60年安保騒動時代の学生たちの姿と重なる。民主とか平和は人々の生活の中から生まれてくるものであり、江戸時代も殿様や代官に無理難題を突き付けられるということはあったにしても、それは例外であって、人々は殿様や家老たちの集団指導体制と村役人など地域の指導者のもとにまとまって平穏な生活を送っていた。SEALDsは、生活をかき乱す無頼漢ややくざグループに比定できるのではないか。
 情報が豊富で教育程度も高くなってきた現在の若者たちは、SEALDsのようなグループに惑わされる可能性は昔よりは少なくなったと言えるかもしれない。それでも流行に従おうとする傾向を持っている。寒い中で短いスカートにこだわったり、赤い髪にしたり、ワイシャツの胸をはだけたりする服装へのこだわりが強いのが若い人だ。私は防大学生の時、全校で数名しかいない丸刈りにしていたが、それが軍人として便利だと考えてのことであった。目立ちたいと思ってのことではない。ところが今の防大生や自衛官は、自衛官であることが一般の人に認知されたためか、丸刈りに近い人が増えている。その推測が正しいとすると、この風潮を全面的に喜ぶわけにはいかない。流行などに惑わされず自分の立場や個性を大切にする必要があると思っているからだ。これは思想についても同じだ。戦争中は特攻隊を志願した軍国少年でありながら、占領行政に心酔して左翼が唱える思想傾向を強めた人がいた。そのような人はオウムやSEALDsに惑わされる可能性が強いといえよう。
 自衛官に限らず若い人に望みたいのは、外見も思想も流行に従うのではなく、よく自分で勉強し考えて、人は何のために生きているのか自分がどのような生き方をすれば世のため人のためになるのかを見極めて、行動してほしいということである。もともと生物の一種である人は、宇宙を構成する原子の集まりとして、たまたま人の形をしているだけであり、生まれ変われば犬にでも虫にでも、また宇宙のゴミにでもなる可能性がある。その時その時を、立場に従って精一杯生きることが悟りへの近道になるのではないか。ここで精一杯というのは、自分の出世のためではない。

転載元転載元: 軍事評論家熊谷直の社会評論

  安保議論の最中に国会にデモをしかけたSEALDsという集団は、このところ姿を見掛けない。「民主的な日本を守るため」という60年安保騒動の時代と同じような主張と経過をたどっているところをみると、やはり日本を分裂させて自分たちの利益を図りたい外国の影響を受けた集団なのだなと思われてくる。
 60年安保時代に活動していた核マルとか中革のグループは警察の監視を受けながら細々と生きながらえているが、かれらは「民主的で平和な日本をつくる」のに役に立つ活動をしてきたのか。世間に騒動をまき散らしたということでは、オウム真理教と何ら変わらない。爆弾騒動や航空機乗っ取りのハイジャックなどで人々を傷つけ、世間に無用の不安感を巻き起こして自分たちが自己満足しただけの集団であった。あまりものを考えない学生や生活に不満を持つ若い主婦たちが60年安保デモに参加していたが、その後何食わぬ顔をして会社に入り、中には地域のリーダーになったりして自己満足の活動を継続してきた人がいる。だが感情的な自己満足の一生が、人々のためになっていると言えるのだろうか。その子供の世代は、音楽や芸術に没頭したり旅を楽しんだりして、他人に不安感を与えるような生活とは無縁になっているのは、親たちの生き方を見て反省したためともいえよう。
 しかし今はそのような反省世代の次の世代の子供の時代になってきている。かれらは大東亜戦争(米英のいう太平洋戦争)どころか60年安保騒動さえ、半世紀前の歴史としてしかとらえていない。歴史は繰り返すというが、SEALDsたちは同じ過ちを繰り返そうとしている。国会デモに参加していた人々の映像を見ていると、60年安保騒動時代の学生たちの姿と重なる。民主とか平和は人々の生活の中から生まれてくるものであり、江戸時代も殿様や代官に無理難題を突き付けられるということはあったにしても、それは例外であって、人々は殿様や家老たちの集団指導体制と村役人など地域の指導者のもとにまとまって平穏な生活を送っていた。SEALDsは、生活をかき乱す無頼漢ややくざグループに比定できるのではないか。
 情報が豊富で教育程度も高くなってきた現在の若者たちは、SEALDsのようなグループに惑わされる可能性は昔よりは少なくなったと言えるかもしれない。それでも流行に従おうとする傾向を持っている。寒い中で短いスカートにこだわったり、赤い髪にしたり、ワイシャツの胸をはだけたりする服装へのこだわりが強いのが若い人だ。私は防大学生の時、全校で数名しかいない丸刈りにしていたが、それが軍人として便利だと考えてのことであった。目立ちたいと思ってのことではない。ところが今の防大生や自衛官は、自衛官であることが一般の人に認知されたためか、丸刈りに近い人が増えている。その推測が正しいとすると、この風潮を全面的に喜ぶわけにはいかない。流行などに惑わされず自分の立場や個性を大切にする必要があると思っているからだ。これは思想についても同じだ。戦争中は特攻隊を志願した軍国少年でありながら、占領行政に心酔して左翼が唱える思想傾向を強めた人がいた。そのような人はオウムやSEALDsに惑わされる可能性が強いといえよう。
 自衛官に限らず若い人に望みたいのは、外見も思想も流行に従うのではなく、よく自分で勉強し考えて、人は何のために生きているのか自分がどのような生き方をすれば世のため人のためになるのかを見極めて、行動してほしいということである。もともと生物の一種である人は、宇宙を構成する原子の集まりとして、たまたま人の形をしているだけであり、生まれ変われば犬にでも虫にでも、また宇宙のゴミにでもなる可能性がある。その時その時を、立場に従って精一杯生きることが悟りへの近道になるのではないか。ここで精一杯というのは、自分の出世のためではない。

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