軍事評論家熊谷直の社会評論

アジアを中心にした社会・軍事の情勢やニュースの分析

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軍事評論家熊谷直の社会評論 できるだけ軍事的な観点を含ませながら、アジアの各国および日本で起こっている社会の状況について分析評論する。
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 中国機6機が宮古海峡を通過したのに対して那覇からスクランブルした空自機が警戒に当たったところ、中国側のスポークスマンが、日本機が接近して妨害弾を発射したなどと悪意がある一方的な報道をしたとして、政府間のやりとりになっている。中国側の戦闘機2機は間もなく反転して東シナ海に向かったというが、以前も同じようなケースで中国戦闘機が空自機に攻撃態勢をとってきた。このときは危険を感じた空自機が照準を妨害する銀箔などを撒いて離脱したことがあり、同じことの繰り返しになっているのであろう。ただし中国本土からの距離が次第に伸びてきている。
 中国は訓練用の空母に搭載している短距離用の戦闘機を使えば、このような行動が容易にできるようになった。もう少し飛行距離が長い戦闘機を使えば旅順方面や南京方面からでも、沖縄までやってくることができるようになっている。共産中国軍の行動は、台湾の女性総統が独立色が強い行動をしていて日本にも接近しつつあるので、それに対して日本をけん制し、またトランプ次期米大統領の反応を窺うために行っている行動ではないかと思われる。台湾も沖縄も攻撃する側の共産中国軍にとっては同じような一連の目標だからである。ただし私の経験では中国の第一線のパイロットは、積極的に行動する傾向を持っている。習主席の指令の有り無しにかかわらず、現場の判断で事件を起こす可能性がないとは言えない。最近、共産中国はアメリカとの対決を頭において全国を5つの戦区に分け、台湾や日本との対決戦を行いやすい統合軍の戦区に編成しなおしている。宮古海峡への進出も、数年後に備えての統合演習の一環だと考えることもできる。
 いずれにしろ共産党独裁であり人民解放軍という共産党の独裁のための軍組織から発展しつつある現在の中国軍が、かつての日本軍のように特定の主義を掲げて太平洋とシナ海に君臨しようと行動を始める可能性は大いにあるといわねばなるまい。そのときになって慌てないように、まず琉球列島を完全に掌握することが日本政府に求められているといわざるを得ない。沖縄の人も島国のまた島国的な自己の周囲のことだけを見て、とくに琉球的な被害者意識からものを判断するのではなく、世界を見て判断し行動することが沖縄の将来につながると私は思っている。本土で食いはぐれた左翼や朝鮮系の人の言いなりになって、琉球を共産中国に売り渡すことにならないよう。
 12月8日は我々高齢の世代にとっては、ある種の懐かしさを感じさせる大東亜戦争開戦記念日である。その日に安倍首相がハワイの真珠湾での慰霊に出かけるということは日米関係にとって悪い決断ではあるまい。ただこれまで、海自艦特に遠洋航海の練習艦隊がここに立ち寄ったときは、新任の練習乗組員ほかによるアリゾナでの慰霊参拝が行われてきており、逆に外国の練習艦隊が訪日した時は靖国神社に参拝しているのであって、戦いが終わればそれまでのことは水に流して交流するのが、世界の常識になっている。中国や朝鮮の軍関係者は、そうではないようだが。
 共産中国が外交的な解決手段の一部として、南京虐殺があったと執拗に主張し、ロシア(ソ連)も日本がポツダム宣言を受け入れて停戦する意思を示してから千島や樺太にも侵入して、9月初めの東京湾での日本の外交上の敗北宣言調印まで、国際法的には不法な既定事実つくりのための戦闘をして、北方領土返還交渉でも占領の事実を主張するなど、自分に都合がよいような法解釈をしている点で、元共産圏であったり現に共産党が支配している国とは、付き合い方に注意する必要がある。国民性は簡単に変わるものではないからと、いえよう。
 トランプ氏が米大統領になってからの将来国策のために、安倍首相は外交活動を強めている。よくあれ程といつも感心しているが、国内メディアは行動を否定的にしか解釈していないようだ。是々非々でいくのが、メディアに期待される役割なのではないか。NHKのトップ交代は民間出身の金儲けとトップの権力行動を可能にする悪い企業風土が日本にあって、それを丸出しにして問題視された結果だといえないか。トランプ氏の行動はそのような日本の企業風土と共通性があるように見える。安倍首相はよくよく日本の将来を考えてから行動してほしいし、野党の人々も批判するだけの勢力にならないよう、気をつけてほしい。国民も自分の周囲の問題、例えば保育所不足、飛行場の騒音のようなすぐに考え付く問題だけでなく、国際的な戦略的視点からも問題解決について考える習慣をつけてほしいと思っている。
 
 
 
出版不況といわれているが一応の物書きを名乗っている私も、新しい出版が難しくなっていることは肌身で感じている。新聞も某新聞が大きく部数を減らしたため、立て直しに骨を折っていることはよく知られていて、サービスの名で日にち限定で配布してきたので、一応最近のものに目を通してみた。感じたのは、昔ながらの論説欄を年寄りが手放したがらない問傾向があるのではないかということである。売れる新聞にするためには、「年寄り引っ込め」というほかあるまい。しかしそうすると、大衆迎合的になることは目に見えている。政党が民進党のようにいわば外国人にかじ取りをゆだねる方向に走ったり、アメリカではトランプが選挙戦の手段として国家を二分するような主張をしたりと、これまでの常識とは違う大衆迎合的な方向に向かっているのと同じことになるだろう。それが人間の本性だからだろうか。
 戦後のいわゆる平和憲法のもとでの日本国内の政治的な主張は、大衆迎合そのものであり、声高に反戦平和の主張を繰り返したいわゆる文化人は、その時の大衆に迎合しただけであった。かれらが、陸軍が日本を戦争に引きずり込んだという主張をしたり本を出したりしていたのも、振り返ってみると、売れるものを売って出版の採算がとれるようにしようという大手出版社のトップたちに、編集者たちが従っていたからと考えることができる。
 それでも中には、人々の真の幸福追求のために出版をしてきた中堅以下の限られた出版社社長や、あまり日が当たらないところでこつこつと仕事をしてきた結果を、そのような社長たちの求めに応じて本にする人もいた。私がかかわってきた出版関係者には、そのような篤志家が少なくない。国家百年の計という長い目で、かつ自分の名誉欲や金銭欲を度外視して国防問題を論じ、また自身がそのために仕事をしていても、決して報われない世の中で、自衛官という立場で仕事をしていた身として、このことはよくわかる。
 しかし防衛関係も世代が変わり、メディアからも高位高官の人々がもてはやされるようになった。現職中は情報を持っているからである。西郷隆盛は「子供や孫のために財産を残すことはしない」という意味の詩を残しているが、薩摩藩の重役から政治的な意味で島流しにされてからも、存在感を失わなかった。その後復帰してからもお国のため人のためには「名誉も命も投げ出す」という意味の文言を残しているが、そのままではないにしても、感嘆すべき精神を持っていたことがわかる。長州の吉田松陰にも隆盛に通じる精神があったろう。武士道精神を持っていた人々には、そのような人物を見出すことができる。しかし明治から大正と時代が進むにつれて、世の中からそのような精神が失われてしまった。お公家さんの子孫はもちろん、武士の子孫である軍人たちも、「今様で売り家と書く三代目(文化的な今様の書体で、財産を売りに出すことを書く孫)になってしまった。お金や勲章などの名誉だけが生きがいという最近の会社人間の時代には、精神の荒廃だけが目立つようになっている。少なくとも自衛官にはそうではないことを期待したいが、今様が目立つ世の中にがっかりすることが多いのはなぜだろう。
 11月3日は文化の日ということになっていて文化勲章の授与など文化的な催しが行われるが、敗戦前昭和期には明治天皇の誕生日として明治節と呼ばれて、学校でもその関係の記念行事が行われていたので、生徒は登校しなければならなかった。明治期には天長節つまり明治天皇の誕生日を祝う日であったが、大正期になると特別の日ではなくなったので、近代日本を作り上げられた明治天皇を讃えるために明治節という名の祝日にされて、記念行事が行われたのである。4月29日は昭和天皇の時代には天長節(戦後は天皇誕生日)であったが今上天皇の平成になってから、戦争でご苦労があった昭和天皇を讃える日として緑の日になり、やがて憲法記念日の5月3日とこどもの日との中間に移されて昭和天皇とはほとんど無関係の連休のための日になってしまった。11月3日も今では、明治天皇とはほとんど無関係の日になってしまっている。しかし天皇陛下をはじめとする皇室では、皇室内行事として国事行為とは別に行事が行われ伝統を継承せねばならないお立場の天皇陛下が、勲章の授与などの国事行為と別に、伝統に基づく皇室内行事もお務めになることは、ご高齢になられてからは大変なご努力が必要になる。当然、生前退位などの措置が検討されるべきであろう。なお靖国神社も本来は皇室のためのものであり、皇室内で行われるべきその祭神の慰霊について中国から注文がつくのもおかしい。
 それはともかくとして、11月3日の朝、NHKの朝8時過ぎの第1放送ラジオ番組をつけ放しにしていたところ、野坂昭如という過去の人で直木賞作家として活動していた人を讃えるような放送が行われていた。野坂氏は放送作家や歌手としての実績もあるマルチ人間である。前の東京オリンピック前後の安保世代といわれることもある学生たちを煽り立てて私とは全く逆の政治的な活動もしていたので、私の記憶にある。約11か月前に亡くなっていたことを朝日新聞関係で取り上げたからのようだが、なぜこの人のことを今になって公共放送のNHKが取り上げたのだろうか。合点がいかない。
 耳に入った放送は、彼が当時のソ連の脅威を政府が言い立てて、子供たちを戦争に駆り立てようとしているという、当時の日教組が主張していた内容と同じような内容のものであった。しかしかつて目を通したことがある彼の小説は、いかにして戦闘に勝つかという過激な表現のものであった。ハードボイルドと呼ばれた書きたいことを書くという特別のスタイルであったと思う。いわば戦争を煽っているともとれる内容のものであり、そのような書き手の政治的主張を今取り上げるのは、中国や北朝鮮それにロシアにも囲まれた日本の安保状態の環境を改善しようとしている安倍内閣の政策をつぶしたいという立場の人が、都合の良いところだけ作家野坂昭如の古い主張を抜き出して公共の電波に乗せたのではないかと思っている。選挙戦時の法律に基づく主張ならともかく、普通の放送でそのような意図を隠して公共の電波を使うことは、もしそうだとしたら許されないのではないか。NHKはよく考えてもらいたい。文化の名で、またメディアは反政府の立場をとるのが当然だとするおかしな考えで、このような編集が行われているのを許しているNHK上層部は、公共放送にふさわしい放送にするよう努めてほしい。民放と立場が違うNHKという公共放送が、民放と同じようなものになっては、一種の税金として視聴料を払っている国民の立場が無視されていることになる。
 私は反自衛隊が当然の風潮の中で昭和30年に防衛大学校に入り、若いころは日本海の真ん中で、日ソの政治的・外交的な事件があるたびに、日本列島の近くに接近して脅しにかかってくるソ連機に無線で警告を発し、スクランブル機を発進させていた。やや高齢になってからも沖縄に接近してくる中国機やソ連機(ロシア機)に対応したことがある。昔はそれを発表すると国会の反対派が取り上げて大問題にするので、忍の字で忠実に任務を果たすほかはなかった。国民が知らないところで、日本を守っているという誇りを持って行動していたのである。ハードボイルドの名でソ連寄りの人の人が行っていた主張は無視しながら今の日本の基礎を作るのに貢献した満足感を持っている。ハードボイルドに触発されて爆弾騒動を起こしたり、飛行機の乗っ取り事件を起こして北朝鮮などに亡命した無思慮の人たちとは違う。乗っ取り事件のときは、私が出張で不在であったにもかかわらず、平常の私の訓練意図通りに部下たちが行動して、乗っ取り機を追跡し適切に処置してくれた。NHKの管理者たちは、公共のための放送局だという自覚を持って毎日の、なんでもない日常的な報道にも気を付けて放送をしてほしい。
 
 
10月27日午前、今上天皇陛下の叔父にあたる三笠宮崇仁(タカヒト)殿下が100歳で薨去された。殿下は終戦時は陸軍参謀として内地の航空総軍参謀少佐の配置で服務されていた。報道は軍歴について触れることが少なく、若い記者たちはもちろん、現役の自衛官でさえ戦前の軍の制度についての知識が乏しいので、殿下の軍歴についての説明を受けても聞き流すだけになってしまうと思う。そこで軍人一族の出で防衛大学校を昭和34年に卒業し、航空自衛官としての在官後半から定年退官後も軍事専門家として活動してきた私が、今後の参考のために記事を残しておきたい。まず軍事用語を使って、殿下の軍人としてのご経歴を述べておく。説明なしにこれが理解できる人は、後半を読む必要はない。

 殿下は私が生まれた直後の昭和11年6月に陸軍士官学校を卒業(陸士第48期)され騎兵士官として服役後に

陸大も卒業され、後には大本営参謀にも就任された。昭和18年の支那派遣軍総司令部の参謀勤務時には若杉参謀と名乗られ、兵士たちには存在を秘匿された。終戦時は内地の航空総軍参謀少佐であった。学習院から予科士官学校を経由されているので、戦後の陸士同期生との交流もあった。また歴史の研究者として講壇に立たれたこともあって拝聴したことがある。私が感心するのは、騎兵出身ということもあってか常に背筋を伸ばしておられ、つい最近まで足取りも、私よりもしっかりしておられたことである。
 そこで本題に入ろう。軍人は、警察官や消防官を含む文官、つまり一般の公務員とは別の存在であって、法的に特別の権限を与えられ特別の責任を負う。権限や責任はほとんど世界共通である。そのため戦闘により人を殺しても罪を問われないのが普通である。ただしゲリラは世界から認められた戦闘員ではないので、ゲリラの殺人行為は罪になる。戦闘員は指揮官や指揮官の補助者としての参謀(幕僚、スタッフ)を務める将校とその指揮を受けて戦う下士官、兵に区分される。国民皆兵制度の国では、兵は一般国民から徴兵されて、平時に戦闘訓練を受けているのが普通である。特に志願したものを選んで技術的な訓練をしておく志願兵制度もあり、海軍は技術を重視するので志願兵が中心になる。下士官は兵から昇進するのが普通であり、特に能力があるものは下級の将校に昇進する場合もある。
 ところで西欧式の陸軍将校は、日本の幕府の旗本に相当する100石取り以上、小領主以上のクラスであった。馬に乗る資格を持っている。国民皆兵制度になってから、能力があるホワイトカラークラスの子弟の少年を、試験選抜して陸軍士官学校(16歳ぐらいで入学)または陸軍幼年学校(13歳ぐらいで入学)で教育・訓練して将校にするようになった。このとき本来の旗本クラスの若者は、試験なしに将校に登用することができるようになった。それを日本の皇室に準用したので、明治時代に皇族の男子は、全員が将校になるように定められた。
 昭和天皇の弟君は秩父宮が陸軍、高松宮が海軍、末弟の三笠宮が陸軍の将校に任官され、軍の学校などで将校としての教育・訓練を受けられている。昭和天皇は皇太子殿下として、早くから病がちの大正天皇の摂政を務めておられたので、連隊などで実際の軍務につかれることはなかったが、皇太子に指定されてまもなく陸海軍の少尉に任官され、制度上の最短年数で進級して、大正天皇の崩御のときは陸海軍の大佐であった。その後正式に天皇の地位に就かれてからは、陸海軍の大元帥という憲法上の統帥者になられたのである。弟君の宮様方は陸軍士官学校の同期生として事実上のトップであった一般選抜の将校よりも何年か早く進級し、少・中尉のころに入学する陸軍大学校での教育(平時3年、戦時の最短で半年)を受けてから参謀として服務された。宮様は天皇陛下の直接のご子息ではない方でも軍の学校は無試験入学であり、一般の将校よりは短期間で進級される制度になっていた。
 海軍将校は軍艦という機械を動かすのだから、それなりの技術が身についていないと操艦できない。そのためか高松宮殿下の進級は陸軍の場合よりはゆっくりであったが、一般の海軍将校より早いのは確かである。これは他の宮様方も同じであった。
 このように宮様方は特別扱いされていたのであるが、元の大名華族で陸軍に入った人は、あまり特別扱いされなかった。長州藩毛利公爵家のご当主であった方は、砲兵中佐で予備役になり長州軍閥の将軍たちに気を使わねばならなかった。加賀の100万石前田家の一族の前田利嗣侯爵は養子であるが、自力で陸大も卒業して陸軍中将になった実力派であった。戦争中に召集されて勤務中の飛行機事故で亡くなり、大将に昇進しているのが珍しい例である。
 宮様方で軍学校で学ばれた方が一番困ったのは、健康問題であった。丈夫ではない方もむりやりに軍学校で他の生徒と同じような教育・訓練を強制されるのであり、若くして事実上の軍人引退に追い込まれる方も多かった。秩父宮殿下は昭和15年38歳の大佐のときに発病され、戦後昭和22年に薨去されている。三笠宮殿下は戦後に東大で歴史を勉強しなおされ、大学の教壇にも立たれたので、比較的自由な道を歩まれたといえよう。ご長命であったのは精神的な束縛が少なくなったためかもしれない。今上天皇陛下のご退位問題が議論されているが、現憲法が明治憲法以上に天皇を束縛しているのであれば、憲法上の統帥権を盾にして軍人が威張り散らしていたといわれている明治憲法時代よりも悪い時代を国民が作っているといえないでもない。問題を提起しておく。
 


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