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    令和元年7月7日(日)
 
御手洗にある、江戸末期(1832年)創建の「金子邸」を先日見学してきましたのでご紹介します。下写真で見ると外観は普通の木造平屋ですが、幕末維新の舞台にもなったという名家です。
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この家は、これまで個人所有であったため、見学できませんでしたが、平成22年に呉市が寄贈を受け、4年にわたって復元改修を行いました。

改修工事は滋賀県の専門業者に依頼し、柱、梁、土壁、襖、障子など建具類は極力創建当初のものを流用するよう努めました。特に土壁を残す作業には手間がかかったそうです。

それだけに、改修には時間と経費がかかり、市の説明によれば、総額15千万円ほどの改修費用がかかったとのこと。

今では、国登録有形文化財として大切に管理しながら、土日祝日に一般公開されています。(大人200円)

金子家(屋号三笠屋)は江戸時代に町年寄・庄屋役を務めた名家で、文化人や藩の要人など賓客を接待するために建てた屋敷です。
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金子邸の主屋は数寄屋風書院造りで、座敷、茶室、水屋、などあり、屋外には露地(ろじ)、中門(ちゅうもん)などあります。

一番の見どころとなる茶室について、当時の資料には、京都で造られた茶室を一旦解体し、大阪から船で御手洗まで運んだ、とあります。

茶室改修の際、床板や天井板から墨書が見つかり、文政6年(1832年)京都の大工によって造られたことが分かりました。

同じ墨書には、遠州流の茶室とありますが、当時、広島藩で流行った上田宗箇流の特徴も多く取り入れられています。

広島市内にあった上田宗箇流の茶室の多くが、原爆などで失われた為、江戸時代のものは、この金子邸以外には残っていないと言われています。
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普通、茶室というと窓が少ないという印象がありますが、この茶室は三方に大きな窓があります。これは、武家茶道の方式だそうです。
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また、当時は武士が刀を持ったまま入れないように入口を小さく(にじり口)していますが、ここの茶室は、にじり口もある反面、渡り廊下からも立ったまま入れる造り(上)になっています。
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天井は杉板張りで、畳は4畳敷かれていますが、当時から、内一枚だけ畳表がきめの細かい井草で編まれており、改修の際30万円で新たに作ったとのこと。他の3枚は普通の畳表で一畳10万円だったそうです(呉市の説明)。
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この茶室は1時間千円でどなたでも利用することができます。炊事場や炭火などの火器も使ってよいとのことです。
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水屋は茶室同様に京都で造られており、丸炉(上)など当時のまま残っています。立蹲(たちつくばい)(下)は茶道上田宗箇流の好みです。
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 又、この金子邸は幕末における倒幕運動の舞台にもなっています。
慶応3年(1867年)11月、7隻の軍艦を率いた長州藩兵が御手洗に到着し。広島藩の軍艦と合流。金子邸の座敷で両藩の家老が会談し、上京後の役割行動を定めています。これが「御手洗条約」と呼ばれるものです。両藩の軍勢は同夜遅く京都に向けて出兵したと「芸藩志」に記されています。
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金子邸を呉市に寄贈された、金子家のご子孫の方は、今も金子邸に隣接したご自宅に住んでおられます(上)。
 
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            露地(庭)

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