2016年見聞録

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二河水源地取入口

      平成28年12月30日(金)
 
海軍鎮守府を通じて日本近代化の躍動を体感できるまちとして、今年呉市が日本遺産に認定されたが、その構成文化財の一つに「二河水源地取入口」がある。
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二河峡の川沿いに設けられた遊歩道を上がっていくと上の写真に示す場所にたどり着く。これが取入口である。

写真の通り、現在でも豊富な湧き水が溢れ出ている。
 
御影石造りの堂々とした構造で、完成が明治22年。横浜、函館に次いで我が国3番目になる草分け的な水道施設だが古さは微塵も感じられない
 
デザインをみてもアーチ状の取水口といい、両側に立てられた石柱といい堂々としたなかにも上品で品格あるものとなっている。
 
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そして、正面上部には「呉鎮守府水道」と刻まれた標石(上)が海軍の技術力の高さを誇るかのようにしっかりとはめ込まれている。

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現在、国の登録有形文化財に指定されていると共に近代水道百選にも選ばれており取水口の前に記念碑(上)が建てられている。
 
本庄水源地が完成する大正7年(1918年)までは唯一の取水口として重用されたが、現在ではそこから約4キロ先の宮原浄水場に導水され主に工業用水として活用されている。
 
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日本遺産の構成文化財17件の中には、「二河取入口」と共に「本庄水源地堰堤」(上)と「宮原浄水場配水池」(下)計3件の海軍水道施設が含まれている。
 
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こうした施設を訪ねる機会があったら、明治から大正時代の建造物であることを念頭に見学され、当時の海軍技術の一端を実感して戴きたい。
 

御礼:
椿六十郎ブログもお蔭さまで丸9年を経過することができました。
年明け以降も何とか続けて行きたいと思っていますので、
変わらぬご愛読をお願い致します。
どうか良い新年をお迎えください。

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二河川に架かる木橋

       平成28年12月26日(月)
 
先日、共済病院で用事を済ませ二河川沿いを歩いていたら「太平橋」の所に出た。呉市内の代表的な木橋である。
 
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                木材は劣化が早い。

二河の山の紅葉をバックにした木橋の風景は、なんとも言えない味があると思っていたが、久しぶりに見る「太平橋」は木肌が黒ずんでかなり疲労感が見てとれた。

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近づいてみると、やはり「修理中」の看板が出ていて、来年3月まで通行禁止だという。
 
呉市には現在5つの木橋があるというが、広の黒瀬川に架かる「真光寺橋」とこの「太平橋」はすぐ分かる。残る3つはどこにあるのだろうか。
 
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                今はこの橋渡れない。 

太平橋は市内三津田地区と中央地区を結ぶ歩行者と自転車の専用橋として昭和27年に架けられた。地区住民にとっては重要な生活路線である。
 
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                   通行可能時の「太平橋」

全長38m余、全幅4m。橋脚6本は鉄骨柱とコンクリート柱で出来ている。背後に灰が峰山系を望み、情緒的で心安らぐ日本の原風景を感じることが出来る。時代劇の撮影ができそうな木橋だ。

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          太平橋に立って下流の二河川方面を見る。 
 
かつて治水工事が進んでいなかった時代、二河川に架かる橋は大型台風が来るたびに流されていた。
 
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       太平橋に立って上流の二河峡方面を見る。

上流に二河峡という渓谷があり、焼山地区で集めた水が急峻な山肌を一気に下ってくるせいで、度々川が氾濫した。
 
最近では、二河川もだいぶ治水が進んでいるせいか、ここ十数年は太平橋が流されたという話を聞かない。

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                改修なったモダンな「二河橋」。

 二河川には、この他にも花崗岩製で街路灯の設備をもつ重厚でモダンな「二河橋」もある。昨年春に築造当時の姿に復元されたので、木製の「太平橋」と併せ「橋巡り」で歩いてみられるのも良いかと思う。
 

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県民の浜年末10景

      平成28年12月22日(木)
 
師走に入ってほどなく、忘年会で蒲刈の「県民の浜」を訪れた。
 
ここは「日本の渚100選」や「日本の水浴場55選」などに認定された
海のリゾート地であるから、やはり夏に人出が多くなる所だろう。
 
12月ともなると、どうしても訪ねてくる観光客は少ない。
 
この日も自分達のグループ以外はほとんどお客さんの姿はなかった。
 
宴会の前の空いた時間に園内を散策してみたが、やはり人影はみられず、
静けさばかりが目についた。
 
ただ、朝方雨模様だった天気も徐々に回復し、日差しも出てきたので
寒さを感じることもなく、気持ち良く見てまわることができた。
 
季節はずれの「県民の浜」を10枚の写真でご紹介してみよう。
 
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   ①景 広い芝生広場の向こうにシルエット状に見えるシュロの木。
        小島も浮かんでいて絶景を作りだしている。
 
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     ②景 芝生広場の片隅に建てられた案内標識。
 
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      ③景 桟橋に至る「ふれあい橋」の欄干。
 
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   ④景 浜辺と共に夏に人出でにぎわう磯も今は無人地帯。
 
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      ⑤景 自慢の砂浜の奥に「天体観測館」。
  ここも今は人の気配なし。
 
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    ⑥景 誰もいない広い浜辺にポツンと残された流木1本。
 
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    ⑦景 海水浴場の桟敷席も、今は当然利用者なし。
 
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        ⑧景 背後の山は紅葉の真っ盛り。
 
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        ⑨景 宿泊施設の「輝きの館」。
 宿泊客はいるのか、居ないのか人の気配なし。
 
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        ⑩景 背後にある「みかん畑」。
        黄金色に輝いたみかんが美味しそう。
 
 この施設は昭和61年(丁度30年前)にオープンした広島県の施設。
400mに広がる砂浜を中心にしたリゾート地である。
 
海のみならず天文台で天空に想いを馳せ、近くの山を散策して足腰を
鍛錬し、温泉につかって憩いのひと時を送れる。
 
海にでれば海水浴以外にカッターやシーカヤックも楽しめる。
 
体育館もあればテニスコートもある。芝生広場はサッカーとなる。
 
勿論宿泊可能だし宴会もOK。「藻塩つくり」の貴重な体験もできる。
 
さらに「恵みの丘」に行けばいちご狩りなどの農業体験もできる。
 
季節に関係なく楽しめる西日本屈指のリゾート地である。
 
次回は是非宿泊して、のんびりと過ごしてみたいと思う。

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下蒲刈島・大平山

        平成28年12月18日(日)
 
久しぶりに“山”と名の付く所へ登った。

といっても高さは275m、下蒲刈の中央部にある「大平山」で
ゆっくり歩いても1時間あれば登れる。

それでも一応島の最高峰になるという。
 
山頂には広場があって展望台があり、たいへん景色が良いところだ。
春には桜の名所としても知られている。
 
今は、桜はもちろん花らしきものはないが、登山道の脇にはみかん畑が広がっていて黄金色に輝いている。
 
山頂まで舗装されていて車でも行ける。駐車場も東屋もトイレも完備されている。
 
山頂からの展望は抜群で、安芸灘大橋、蒲刈大橋、野呂山、瀬戸の島々などが一望できる。
 
また、太平洋戦争時に設置された砲台の跡も3か所残る。
 
登り口は下蒲刈中学校近くにある。山頂まで地元の人たちの手作りによる
案内板が立ててあるので道を迷うことはない。
 
いい具合に天気は最高に良く、気持ちのいい登山ができた。
その様子をこれから写真で紹介しよう。
 
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     登山口。地元の人たちの手作り案内板が立つ。

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       登山道沿いにはみかん畑が広がる。
        写真のようにレモンなどもある。
 
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    登山道からはいろんな角度から安芸灘大橋が見られる。

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 「大地蔵」へ抜けるトンネルの前から右方向へ伸びる道を上る。

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     「あと1キロ」の案内看板。方言言葉が面白い。

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        「あと500m」の案内板。

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 「あと200m」頂上が近づくと案内板が多くなる。
 
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      「あと100m」。頂上はもうちいとじゃけん。

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   車の人は駐車場に車を止め、この坂道をあるいて頂上に行く。
 
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        周辺の山がきれいに紅葉している。
 
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       下蒲刈三ノ瀬沖に浮かぶ小島がよく見える。
 
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       頂上から真正面を向いた安芸灘大橋が見える。
 
イメージ 13
 山頂広場にある東屋で休憩する。春にはここで満開の桜が見られる。
ここの桜は「陽光桜」という種類でソメイヨシノより10日くらい早く
 咲くという。
 
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         天気がいいので海が光って見える。
 
イメージ 15
           南側には上黒島、下黒島が見える。
 
イメージ 16
  山頂に残る砲台跡。3か所あった。ほとんど土で埋まっている。 
  この砲台建設には国民学校の生徒たちも労働に狩り出されたという。
  また終戦前にここから計203発の高角砲が発射されたとのこと。
 
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        下りも同じ道を通り、下蒲刈中学校の所に向かう。
        紅葉樹の下を落ち葉を踏みながら山を下りる。
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     たわわに実ったみかん畑を横に見ながら山を下る。

   来年春になったら、是非桜を見に訪れてみたいものだ。

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戦艦武蔵の海底写真

      平成28年12月14日(水)
 
前回に続いてNHKスペシャル「戦艦武蔵の最期・知られざる“真実”」
から抜書きしてみる。
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人類史上最大最強の戦艦武蔵は昭和19年10月フィリッピンの「レイテ沖海戦」の際、シブヤン海(上)で米軍機の猛攻を受け壮絶な最期をとげた。
 
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武蔵“最期”の姿を捉えた写真は1枚だけ存在する。それが米軍によって
撮影された上の写真だ。
 
武蔵は左に傾きながら艦首側からゆっくり沈んでいった。写真でも見られる通り武蔵は沈む際原形を保っていた。
 
だから、武蔵は海底でも原形を保った状態で横たわっていると、今日まで考えられてきた。
 
ただ、戦後さまざまな調査が行われたものの、武蔵の船体は見つからず、「沈没したあとも海中をさまい続けている」と噂されるほど、その存在はナゾに包まれていた。
 
それが、今回アメリカプロジェクトチームの活動により70年ぶりに明らかとなった。
 
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それによると武蔵はバラバラに破壊され、1キロ四方に渡って海底に飛散していた(上・NHK番組より)。
 
原型を保って沈んでいった武蔵がナゼ粉々なのか。これが新たな武蔵の
ナゾとなった。
 
これを解明したのが、NHK番組に出演した爆発に関する専門家吉田正典氏だった。彼は「第二主砲塔の火薬庫が水中で爆発したのでは」と推測する。
 
武蔵は火薬庫に主砲弾160発と火薬100トンを積載していた。これが水中で爆発した為に武蔵が破壊されたというのだ(下・NHK番組より)。

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これを裏付けるように海底で火薬の缶の残骸が多数見つかっている。
 
火薬は水に弱いというのが常識だが、条件さえ整えば水中爆発するという。
 
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                   ありし日の武蔵と大和
   
「武蔵」と「大和」。
その姿かたちは双子のようにそっくりで、「不沈戦艦」とうたわれてきた。そしてどちらも壮絶な孤軍奮闘を遂げ、爆発四散し深海に眠る。
 
やはり同じ“姉妹”だったということなのだろうか。
 

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