ここから本文です
同じ航路も初航路
人生短し、世界は広し

書庫京都

記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]

イメージ 1
 
さて、前回の続きからです。
 
 
イメージ 2
「観光立国・日本 京都拠点」の看板と、二条城宣言の立札。
この立札は平成21(2009)年に設置されたようです。
以下は京都新聞2009年3月12日付より(http://tree366.com/web/web-frs-3814.html
 


地域主権確立に向けて1月に京都市と大阪市、神戸市、堺市が共同発信した
「二条城宣言」をPRする立て札が完成し、中京区の市役所玄関に設置された。
宣言は、道州制を視野に国や府県に権限移譲を迫る内容。地域主権社会では地域での環境保全の取り組みも重要となるため、看板には京北地域の間伐材を活用した。
 札はヒノキ、土台は皮をはいで磨いたスギの切り株で、京北銘木生産協同組合が制作。価格は3万円と割安で、市は「宣言PRと森林整備に役立つうえ、財政にも優しい」。今後、二条城内にも設置する。
 


道州制が、んん?と思いますが、また個人的に言わせてもらうと
日本は道州制ではなく、都道府県の方がいいと思います。
それに一極集中制はしばしば批判的にとらえられるのですが、
一極集中が日本の強みではなかったのではないでしょうか。
中央集権体制により、国をまとめることで、
明治以降の急速な近代化を進めていくことができたのでは、と思います。
もし道州制になれば東京や大阪や京都もそれぞれ、「東京州」「大阪州」「京都州」になってなんだか変です。
東京都・大阪府・京都府の方がしっくりくるし、何もアメリカのマネをそこまでしなくても…と思います。
(理由はこれだけではないですが)
 
すみません、ついこの前選挙があったので政治関係のつぶやきが増えてます。
いちいち突っ込んでるとキリがないですね。(笑)
 
イメージ 3
閑話休題。
この日は入口近くのスペースではパネル展が開催されていました。
ちょうど自殺予防週間だったので、テーマは「自殺予防と自死家族について考える」となっています。
イメージ 6
パネル展示は、
自殺という重いテーマなだけあり、いろいろ考えさせられました。
なかには結構胸を突かれるような、少し刺激の強い展示内容もありました。
パネルの展示にあった自死した方が実際に生きていた頃の写真と最期の様子とのギャップに思うところがありました。
 
イメージ 4
京都市民憲章の額と遺跡からの出土品。
イメージ 5
 こちらは現在上京中学校となっている聚楽第武家屋敷跡から出土した、
金箔瓦です。
右側の写真は調査状況の時のものです。
イメージ 7
跡地からは金箔瓦を含む大量の瓦が出土したそうです。
イメージ 8
こちらは階段の踊り場にありました。
イメージ 9
夕焼けと京都の名物八坂の塔(たぶん)が描かれている扇子。
イメージ 10
こちらは絵皿です。
右側はススキと月が描かれており、秋らしい意匠ですね。
左側の絵皿も魚の鱗のような模様と「吾唯足知」の意匠があり、
古都らしさを表現しているとのことです。
イメージ 12
部屋が開いていたのですが、椅子の数などから考えるに大きな会議室だと思います。
イメージ 11
ちょうど数日後の大規模な避難訓練に備えた準備をしていたみたいです。
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 1
こんばんは。
貯めていたエントリーから投稿しています。
すみません、時期が時期なのでエントリー作成の時間がなかなか取れず、
他のイベントの報告も途中になっていますが、
もう少しお待ちください。(^^;)
 
さて、次は京都市役所の方へやってまいりました。
また写真中心で紹介していきたいと思います。
まずは、市役所の外にある広場にあるモニュメントから。
イメージ 2
世界歴史都市会議のモニュメント。
イメージ 3
会議に参加した都市が刻まれています。
世界歴史都市会議は、世界歴史都市連盟が開催する国際的な会議で、
歴史のある都市を共通点として、都市の開発計画や産業を文化遺産などと
どのように両立していくか等の課題解決や、都市間で相互交流を促進するための
組織として、京都市で1994年に開催した第4回世界歴史都市会議において発足しました。
 
イメージ 4
手前の碑には13か国語で表記されています。
一番下はアラビア語?なのか、難しくて読めません。(汗)
イメージ 5
台座には京都市の紹介がされています。
京都は外国人観光客に人気の都市のひとつで、毎年たくさんの外国人が京都を
訪れています。
ですが、ここで少し言いたい。
観光地の案内版表記は日本語・英語表記だけで良いのではないかと思います。
あまり字が多くても一つの語の大きさが小さくなり、かえって分かりづらいと思います。
英語なら使用する人口も多いですし、日本に来ているので日本語との対応で
しっかり地名や解説などを知ってもらいたいものです。
駅や観光地の表記は特定の国の言葉に偏りすぎなので、オリンピックに向けて
シンプルなものに変えることを熱望します。
イメージ 6
これは世界遺産条約採択40周年記念のモニュメント。
世界遺産条約は1972(昭和47)年に採択され、日本はその20年後の1992(平成4)年に批准し、125番目の締約国となりました。
京都には、1994(平成6)年に「古都京都の文化財」として、宇治市や大津市に
所在するものを含めた、清水寺をはじめとする17件が世界文化遺産に登録されています。
イメージ 7
これは京都市市民憲章のモニュメントです。
イメージ 8
遊具コーナーで児童が遊んでいました。
右のカブトムシの遊具はよくできています。
イメージ 10
この広場にある遊具は地元産の木材(杉)を使用して作られたそうです。
イメージ 9
市役所入口。
左の守衛さんは暑い中マスクをされていました。(このときは9月半ば)
 
 
 
 
 
 
 
(その2に続く)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 1
9月に行った京都での散策の続きです。
今回も写真中心で。(手抜きでスミマセン(-_-;))
イメージ 2
橋から降りて橋の方を見ゆ。
イメージ 3
まったく警戒心がなく、近づいても大丈夫。
イメージ 4
この日は見かけませんでしたが、トビによる被害があったみたいです。(^_^;)
 
イメージ 5
位置案内のモニュメント。
三条大橋は左から8番目にあります。
イメージ 6
納涼床設置・撤去時の注意を説明した看板。
イメージ 7
橋の上に戻ってくると、謎の石碑発見。
帽子が放置されていました。
真ん中にある黄色いものは落花生にみえます。(笑)
イメージ 8
説明プレート。
イメージ 10
出雲の阿国の像。
 
イメージ 9
台座に刻まれた文字。
イメージ 11
横にある説明看板。
イメージ 12
京都北座と井筒八つ橋本店。
イメージ 13
京都南座。
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 1
 
こんばんは。
日付が多少前後しますが、今日は京都編の続きをおはなしします。
画像中心でまいります。
イメージ 2
さて、高瀬川のところで少し涼んだあとそのまま三条大橋の方まで歩いてきました。
橋のたもとには看板がありました。
イメージ 3
左は「高札場」の看板。
イメージ 4
右はこの三条大橋の旧石柱について。
こちらは少し看板の状態が…(汗)
イメージ 5
三条大橋を渡っていきます。
イメージ 6
鴨川
イメージ 7
反対側の通路
イメージ 8
「駅伝の碑」
台座にはコースが刻まれています。
イメージ 9
鴨川の鴨。(お約束)
イメージ 10
人間慣れしているのか、あまりに警戒心がなく近づいても平気でした。
イメージ 11
橋から下に降りてみると、また違った発見があります。
イメージ 12
再び上に戻り、何か発見。
イメージ 13
看板にさっきのものと同じダンダラ模様があります。
イメージ 14
 
弥次さんと喜多さん。
 
 
 
 
 
 
 
(その2に続く)
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 1
 
こんばんは。
今日も京都編の続きです。(他のシリーズも同時進行中ですが^^;)
さて、河原町通をさらに北上していきます。
 
 
今日は歴史好き(特に幕末が好きな方)にうれしいスポットを紹介していきます。
 
イメージ 2
まずは、「坂本龍馬・中岡慎太郎遭難の地」(近江屋跡)です。
いわずと知れた幕末の志士、坂本龍馬の最期の地です。
京都で活動していた坂本龍馬達は、もともと海援隊の本部を置いていた
酢屋という材木商で下宿をしていましたが、数年前の寺田屋事件により
何者かから命を狙われていることを考慮してか、土佐藩に出入りしていた
近江屋に身を寄せることにしたのでした。
 
そして、慶応3(1867)年11月15日、先月に行われた大政奉還後の政局について
論じていた坂本達は、その夜突然刺客に襲われます。
坂本龍馬、享年33歳。共にいた中岡慎太郎は二日後に息を引き取りました。
享年30歳。
暗殺犯については諸説あり、真相は神のみぞ知るといったところでしょうか。
ここでは詳しく言及しないことにします。
このあと訪ねた霊山護国神社には坂本龍馬・中岡慎太郎共にお墓がありました。
他にもこの河原町周辺には幕末の史跡が多く、見所がたくさんあります。
私は残念ながら、時間の都合上この近江屋跡しか見つけられませんでした。


 
イメージ 3
 
信号を渡って、さらに通りを進んでいきます。
この通りの先の次の目的地に向かうためです。
イメージ 4
ラウンドワン発見。
 
この通り、やけにパ○ンコ店が多くて不快でした。
しかも朝から…
消費増税ではなく、パ○ンコから課税すればいいと思うのですが。
というより、日本にパ○ンコは必要ないと思います。(伏字ばかりですみません(笑)
その分消費に回せばいいのです。(^ ^)
イメージ 5
そしてさらに進み、通りを右に曲がると「池田屋」を発見。
一瞬「池田屋」という名のただの居酒屋に見えますが…
イメージ 6
近づいていくと、史跡であることがわかります。
「池田屋騒動之址」と石碑もあります。
そう、ここはいわゆる「池田屋事件」が起こった「池田屋」があった場所です。
新撰組ファンにとってはまさに聖地ではないかと思います。(*^^*)
(実は新撰組に興味を持ったのが歴史が好きになったきっかけだったりする(笑)

一時期、ここもパ○ンコ店だったとのことのですが、(−_−#)
今は居酒屋「はなの舞」となっています。
イメージ 7
 
「池田屋騒動」とある巻物風の説明版。

歴史を愛し名節を重んずる者は、
暫く(しばらく)此処に歩みを止めよ
此処は「池田屋騒動」の跡地也


居酒屋の方は支度中だったので、中には入れなかったのですが、
店内は当時の雰囲気を感じられるような造りになっているみたいです。
 
イメージ 8
 
ちょっと見にくいですが、プレートを拡大します。
さっきの近江屋よりこちらの方が詳しいですね。
だから足止めするためにたくさんあるのか。(違う)
今回はプレートに説明を任せます。
右下に焼香台があると書かれていたので探したのですが、見当たりませんでした。
もしかしたら店内にあるのかもしれません。(^_^;)
イメージ 9
 
新撰組のキャラでしょうか。
手書き感があって可愛いですね。(^ ^)


イメージ 10
高瀬川の方へ歩いてきました。
イメージ 11

三条小橋商店街町定
イメージ 14
 三条小橋。

イメージ 12
あの森鴎外の「高瀬舟」で有名な高瀬川です。
この時とても暑かったので、少し涼みました。(^ ^)
 
イメージ 15
橋のたもとにまたまた石碑を発見。

イメージ 13
 
 「佐久間象山・大村益次郎遭難之碑」
どちらも志半ばで斃れています。
維新で活躍した志士たちはほとんどが20代・30代の若者でした。
大東亜戦争で戦った将兵の多くも20代・30代が中心でした。
日本人には国難において国のために奮闘するDNAが引き継がれているのですね。
立派な功績を残した先人達の足跡をたどりながら、
私は日本人で良かったと思いました。


 
 
 
 
 
 
(続く)
 
 
 
 
 
 
 
 

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]

くじら雲
くじら雲
女性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(1)
  • 島風
友だち一覧
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン

みんなの更新記事