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お話したいことがあります。
わたしは戦ったつもりはありません。
あの上司が負けたとも思いません。
むしろ、あの上司にも自分と向きあえる機会が、
与えられたのではないかと思っています。
それを、その機会とみるか、
負けたとみるかは、もちろん本人の選択に委ねられます。
げんにわたしにも、これまで機会があったのかもしれません。
けれども、その機会を見逃して、ここまで来ました。
なぜならば、いつも戦っていたからです。
このことがあって戦う必要などないのだと思うようになりました。
必要なことは、尊重なのです。
人は以外と尊重されずに育っているのです。
むしろ尊重されるどころか、責められて育っている。
責められて育っているから、
自分を肯定できない方向へ持っていかれる。
そして、自分を信じられず否定する癖がつき、
ネガティブウエイでの悪循環の罠にはまることになります。
そうなると自分の人生はまったくコントロールがきかないため、
人をコントロールしようとします。
しかし、人をコントロールできるわけがないので、
さらに、思考はネガティブになり、自分を責めるようになっていきます。
すると、無意識に自分の嫌いな部分を相手に投影することを始めます。
これが人がわけもなく、理不尽に責められるようになる原因です。
あの上司も肯定されずに育ってきたのだとわたしは思います。
むしろ、まわりに気を使った優しい人だったのかもしれません。
だから人一倍傷ついているのだと思います。
わたしに云えることは、
あの上司にも、わたしにも自分を尊重するということが必要だったということです。
自分自身を尊重するということがいかに大切であるか・・・
他人を尊重するということがいかに大切であるか・・・
学ぶ機会なのだと思っています。
そして、
問題は状況ではないのです。
状況は変えられません。
変えられるとしたら、自分しかないのです。
それぞれの人が、状況の罠にはまっているのは、
自分の見方を変えられないからです。
制限があったり、比較ばかりしていたり、執着心にとらわれていたり、
劣等感や無力感を感じていることが強ければ強いほど
自分の見方を変えるということが難しいと考えがちです。
しかし、自分の見かたを変えるということは、自分を嫌うのではなく、
自分が大好きだ!ということです。
その気持ちを大切にすることが、
主体性を持つということにつながるのです。
主体性を持つということは、状況やまわりの意見に左右されずに
自由に自分を肯定していられるということです。
言い換えれば、ありのままの自分でいいということです。
自分のあり方を大切にするということは、すごく素晴らしいことなのです。
自分自身をいたわると同時に自分の気持ちを大切にすることが、
喜びにつながるのです。
自分が好きになるから、他人への愛情もわいてくるのです。
いままで自分をおざなりにして、他人に主導権を渡していたようなものです。
あの上司にも、わたしにも主体性があったなら、
ありのままの自分でいられたのなら、
こんなことにはならなかったでしょう。
どうして人は比べるのでしょう?
どうしてあの人は幸せで、この人は幸せでないと言い切れるのでしょう。
人はみんな幸せになっていいのです!
幸せはこのくらいしかないから、
あなたは弾かれるなんて誰が決めるのでしょうか。
大切なことは、自分にその選択権があるということです。
いま、幸せでないという人がいれば、
幸せの選択をしてほしいと思います。
間違っても幸せの取り合いなどないのです。
誰でも十分に幸せになれるのです。
そこに気づくか気づかないかは、本人次第なのです。
わたしは、あの上司も破壊という選択ではなく、
幸せの選択をしていることを
願わずにはいられません。
コメントを通じてこんなことを考えました。
コメントを下さった方々ありがとうございました。
心から感謝申し上げます。
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