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次に、わたしに訪れた学びは、
ひとそれぞれが持つ意識 ”正しい” でした。
だれぞやに責められると、その正しさは表面化しました。
それは……これ以上、
自分を傷つけないように守るため、
自分の”正しさ”をふりかざすというものでした。
しかし、
相手も責められているがゆえに、
相手の”正しさ”で話を進めていますから、
実際には、勝負はつきません。
勝敗を決めるのは、その人の押しが強いか弱いかです。
強いと見える人間も、弱いと見える人間も、
追いつめられれば追いつめられるほど、
その正しさを手放せません。
そうなれば、苦しい戦いをしなければなりません。
このような事態になるたびに、
わたしも”正しさ”を大活用しました。
こちらも自分の正しさをゆずるわけにはいかないので頑固になります。
その事態を繰り返すうちに、
やっと気が付いたことは、
勝負をつける必要がないということでした。
なぜならば、
せめぎあいはお互いに傷つけるだけで、
なんの解決にもならないとわかったからです。
ひとはみんな違う考えをもっていて、
ひとりとして同じ人間などいないのです。
だから、事あるたびに、
自分の正しさをふりかざす事をひっこめました。
だって戦う必要はないのです。
そこにあるのは、相手を尊重するということだけです。
互いに相手をリングから引きずりおろす必要など、ほんと不用なのです。
それはどういうことかと言えば、
自分の価値をおとす行為になるからです。
自分の価値をおとすことは、
自分を信頼するにあたらないと認めてしまうことでもあります。
もともと価値観がちがうのですから、比べられないのです。
相手もOK!
そして、自分もOK!なのです。
この気づきによって、たとえ責められたとしても、
言い訳をすることも、攻め返すこともなくなりました。
尊重するということがいかに大切であるか、
わたしが責められ続けた結果得たことです。
つづく
ありがとうございました。
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正しさVS尊重
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