|
内線電話の音に、汐見絢人(しおみあやと)はもどかしさを感じた。 金曜、午後五時。 東京駅に程近い倉城銀行本店は、浮き足立つ気配が漂っている。 絢人の所属する法人部の十六階フロアは、パーテーションに仕切られたデスクが並び、スーツ姿の男女が沢山。 とはいえ、週末の休みを目前に控え、業務に集中する雰囲気はない。 そして、金曜のこの時間、計ったように内線電話を寄越す人間が誰か、絢人は分かっていた。 そのことに胸があわ立つものを感じながら、デスクフォンの受話器を上げた。 「はい」 『先輩ですか?倉城です』 受話器の向こうから聞こえるのは、鼓膜に馴染むバリトンボイス。 予想通り、倉城将孝(くらしろまさたか)だ。 「何?」 『今夜飲みに行きましょう』 「予定がある」 『その後でいいです。何時に終わりますか?』 「疲れるから、いやだ」 『車出しますよ』 「お前が飲めないだろ」 『いいです、先輩が付き合ってくれるなら、俺、水でもぜんぜんかまいません』 口調のかわらない将孝の声が、焦れったい。 「じゃあ、十時に迎えに来て。マリオンの前」 わざと駐車しづらい場所を指定すると、絢人は通話を切るのだが。 どうして断れないのだろう……と、らしくもなく戸惑う。 将孝は、絢人の大学時代からの、二歳年下の後輩だ。 今は同じ倉城銀行へ勤務する同僚。 それ以上でも以下でもない。 それゆえ、ただの先輩後輩の関係が、いつまでもつづくことがないくらい分かっているのに……。 ふと顔を上げれば、デスクをいくつか隔てた向こうに、将孝がいた。 目が合うと、濃紺のスーツ姿の彼は、さも嬉しそうににっこり微笑む。 絢人はドキッとした。 彫りの深い顔立ちは精悍ながらも、その印象は、和やかの一言だ。 穏やかで、優しそうで……。 けれど、絢人は気恥ずかしさを覚えて、スッと視線を反らした。 ……ヘンな後輩。 週末はいつもこうだ。 大学時代から、何かと理由を付けては誘ってくる。 押し付けがましさや、妙な態度はなく、空き時間を見つけては、一緒に過ごそうという。 たとえば散歩を控え目にせがむ、従順な大型犬のように。 昔から、将孝はそんな男だった。 だから、絢人は将孝を、気兼ねなく使うことにした。 大学三年の時、新入生の将孝が同じサークルへ入り、絢人の周りをうろつくようになった。 その時の気まぐれで、用を言いつけたのが馴れ初めだ。 それ以来、帰りが遅い時の迎えをさせたり、引越しの荷物を全部片付けさせたり。 文句をまるで言わない彼に、「下僕みたいだな」と、面と向かって言ったこともある。 顔色一つ変えずにニコニコする男に、いっそ呆れたほどだが。 将孝がそれでいいなら、かまうことはなかった。 勝手にしろ。 昔も今も、そう思うことにかわりはない。 今後は……分からなくても。 今年二五歳になる絢人は、気が強く、我が儘な性格をしている。 外見が良く、頭が良く、昔からチヤホヤされてきたので、そのせいだろう。 大学時代は取り巻きのような人間も数多く、その中で一番そばにいたのが将孝だ。 友人とはいえないまでも、先輩後輩の関係がつづいて五年近く。 それが絢人には不思議だった。 下僕にしか思えない存在なのに。 今、将孝がそばにいるのは、あたり前。 少なくとも金曜の夜、大事な用のない限り、将孝と過ごすのは当然の日課だから。 だけど――……。 (あいつが倉城グループ創業者の直系なんて、聞いていなかった) にほんブログ村 https://www.blogmura.com/ ランキング参加中です よかったらクリックしてくださいね |
卑劣で甘く優しくて



