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くまけん☆グダグダ日記
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播磨 魚吹津構


mixiの方にも同じ記事を載せてるんですが、此方を放置するのもなんなのでUP。

会社から自宅の間に4つから5つの城・構跡があるのでネタには困らない今日この頃。

気軽に城攻め出来るのっていいわぁ。 

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網干の提灯祭りで有名な、魚吹八幡宮から約150mほど東に入ると見えてくるのが

浄蓮堂という観音堂。ここに魚吹津構の主郭があったようです。

英賀城の西の出城として、機能していたようですが、

天正八年(1580年)に、羽柴秀吉の英賀城攻めの際に猛攻を受けて焼き討ちにあい

落城しています。

 
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石碑の案内には城の周囲に幅5〜6mの壕があったとのことですので、ぐるっと廻ってみると

なるほど用水路がありますな。 

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家に帰って地図で確認。

やっぱり用水路は壕跡を利用しているようです。 扇状に主郭を囲んでいるのが分かります。

すっかり宅地化してますが、こんな城跡を見つけると嬉しくなりますね。

石蜘蛛城跡

ほんとご無沙汰です。

城廻りをちょこちょこしてるんですが、MIXIの方でUPしてまして、こっちはほったらかしでした。

今回は年度末の飲み会前に訪れた、石蜘蛛城跡を城攻め。
 
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兵庫県揖保郡太子町立岡の立岡山の頂上が城跡になります。

目立つ山なのですぐ目に付きます。標高は104m。


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登り口に看板。
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薩摩島津氏の親戚筋に当たる播磨島津氏が、弘安二年にこの地に領地を配されて

石蜘蛛城をおいたとの事。

その後、守護である赤松氏に与して嘉吉の乱を迎えて大変な目にあってます。

島津氏はその後、龍野赤松氏の家来になり小寺・黒田氏と「青山の合戦」でも戦っているようです。

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ゆっくりとあるいて登っても10分ほどで頂上。

山頂には大きな貯水タンクがあります。城跡・・・・は流石に分かりませんね。

ただ東方向に楯岩城跡、南西方向には梶原城跡。

南には勝城跡がある朝日山と、津の宮城方面が見えます。

物見にはちょうど良い場所だったと思われます。


国府山城址

こんにちわ。
ご無沙汰してます、くまけんです。
GW中になんとしてでも城巡りしておこうと、行って来ました国府山城址。
 
といえども英賀城址の次に近い城跡。
今まで行こうと思えば行けたのですが、なかなか家族持ちでは単独行動は出来ず。
子供達が学校で、嫁さんが美容院に行くタイミングで出かけました。
 
 
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城跡へのアクセスは山陽電車が便利。
ここから徒歩10分程度で城跡のある甲山に到着します。
 
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国府山城跡がある甲山。
 
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私の移動手段はいつも通りのMy原付。
走行距離が軽く60000kmを超えてますが、タイヤとプラグ替えて現役です。
地元自治会が用意してくれている駐車場に停めて出発です。
 
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登山道の入り口付近にある案内図。
事細かく紹介してくれてます。
城というよりは比較的大きな砦だったようです。
 
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荒神社の奥から登山道が伸びていきます。
地元の方が登られているようで、きちんとした道が点いていて歩きやすいです。
標高98mの低山ですが運動不足の身にはチトきつい。
 
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案内板がないと判らない「井戸跡」
 
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これまたよく見ないと判らない「門石跡」
 
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登山道を少し外れたところにある「かまど跡」
 
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山の中腹、東から西に掛けての広い平地。
元々の地形なのか、鉄塔を建設したときに付けた道なのか判らず。
 
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室町時代以前、経文が収められていた塚の跡。
「甲山経塚」
 
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主郭跡。
結構広い削平地で、西から東北までの展望が望めます。
砦としては必要にして充分なスペックだといえます。
 
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主郭から北を望む。
姫路バイパスと市川が画面中央に。
書写山や姫路城も視界に入ります。
 
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「磐座跡(いわくらあと)」と案内のある大岩。
古来から神事を行う場所だったようです。
今で言うパワースポット的なものか?
 
ここから下山して次なる目的地、黒田職隆の廟所へ。
 
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原付で住宅地をウロウロと散策しながら発見。
大河ドラマでは柴田恭平が演じている、職隆公の廟所。
荒廃していたのを地元の方たちの寄付で新調したそうです。
後述の地図では①の場所になります。
 
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こちらは猛将 母里太兵衛の碑。
大河ドラマでは速水もこみちが演じてます。
生誕の地がここ妻鹿だったそうです。
地図上では➁がこちら。
 
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帰りにぶらっと姫路城へ。
天守閣の覆いが取れたので写真とって来ました。
 
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真っ白でめっちゃ綺麗。
早く全景を拝みたいものです。
 
 
次回は夢前町の置塩城かなぁ?
 

英賀城跡(岩繋城)

こんにちわ。くまけんです。
今回は自宅から程近い「英賀城跡」を散策してきました。
 
とはいえ、気合を入れずに仕事帰りにちょろっと寄る感じ。
 
起点は山陽電車「西飾磨駅」
 
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奥に「軍師 官兵衛」のノボリが立ってます。
駅前には案内板がありまして
 
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主に、駅周辺及び英賀城跡の史跡が表示されています。
 
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今回立ち寄った史跡。
地図にアルファベットで印を入れています。
往時の英賀城はかなりの広さがあったため、原付でウロウロしました。
傍から見ると変な人、確定です。
 
ここで英賀城の概略を少し。
英賀城は別名「岩繋城」ともいわれてまして
小寺氏の御着城・別所氏の三木城と並ぶ、播磨有数の城でした。
西に夢前川、東に水尾川、南に播磨灘を配した賢固な「水城」であったようです。
 
城主は前期赤松氏に仕えた三木氏。
 
城内には浄土真宗の英賀本徳寺(英賀御堂)があり
東の石山本願寺を支援し、西の毛利氏とも繋がっていた為
織田方についた小寺氏とは敵対関係であったと思われます。
 
三木城の別所氏が反旗を翻した際には、軍兵や糧秣を別所氏に支援しており
三木城が陥落した後、羽柴秀吉・黒田官兵衛の軍に攻められ
1580年(天正八年)英賀城は落城しています。
 
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 広辻口之跡
外濠と土塁で囲われた城なので、出入り口が幾つかありました。
其のうちの一つ。
 
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B 芝の口之跡
広辻口から北に100mほどの場所にありました。
水尾川に沿っているので、船着場でもあったのかな?
 
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C 英賀城本丸跡
交通量が比較的多い道路沿いに立ってます。
実際、本丸はやや南東に位置していたようです。
 
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本丸跡にある案内板。
赤線(土塁)で囲われているのが城内になります。
昭和の初めに夢前川着替え工事があり、一部が川の中になってます。
 
 
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D 井之上口跡
英賀薬師堂がある境内。
墓地には城主であった三木氏の墓がありました。
 
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墓地北側に残っている、土塁跡。
だいぶ削られています。
 
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井之上口北の水路。
防御用の水濠「大木の濠」の名残だと思われます。
 
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E 河下口之跡・大木之濠跡
はす向かいのJA敷地内にあったものが、移設されてます。
羽柴秀吉との攻防戦では、この河下口を守っていた武将が裏切り
羽柴軍を城内に誘引、結果落城に繋がっています。
 
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F 岡芝口之跡
英賀神社北東にある出入り口。
 
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G 英賀城土塁跡
英賀神社北側にある土塁跡。
比較的保存状態は良好です。
 
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土塁を北側から。
結構な高さがありました。
 
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英賀神社境内。
観光客の方たちが多く来られてました。
これも大河ドラマ効果?
 
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H 田井ヶ浜之跡
今では住宅地ですが、英賀城内の港跡と伝えられています。
 
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1577年(天正5年)の英賀合戦の時に毛利軍が上陸したのが、このあたりだとか。
ここから上陸して姫路城方面に進軍したんでしょうか?
 
 
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I 山科口之跡
英賀城最北端の出入り口。
英賀城落城の際、城主の三木通秋はここから脱出。
広畑区才の「泣き坂」を通って西国に逃げたと伝えられてます。
 
まだ周辺に英賀城攻めの史跡が沢山あるので、再度フィールドワークをしたいと思います。
 
次は飾磨区妻鹿の国府山城跡・・・・かな。

鶏籠山城跡(龍野古城)

こんばんわ。
モンハン4のし過ぎで頚椎ヘルニアになった、くまけんです。
今も首にコルセット巻いて、キーボード叩いてます。
 
たまに左上腕が痺れて呻いてますが、仕方ないですよね。
早く治さないと。
 
さて久し振りに城跡探訪してきました。
ほんとはもう少し早く行くつもりだったんですが、雨や雪で中々行けず。
 
ようやく今月、半ドンの日に会社帰りに行ってきました。
 
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思いつきで行ったので、デジカメは忘れてました。
旧型のガラケーで撮影してますので、画質がかなり悪いです。
写真は目的地の鶏籠山(奥)。
 
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昭和53年に復元された、現在の龍野城。
元々は山城だったんですが、江戸時代になってから麓に下ろしたようです。
私の目的はその山城跡です。
 
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現在の龍野城の奥に登山口がありました。
入り口付近のポストには登山客向けにパンフレットが置いてあります。
 
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結構きつい登山道を、20分かけて登って二の丸跡に到着。
スニーカーで登った為、足に妙に力が入ってしまって大変。
自衛隊の半長靴ならよかったなぁ・・・
 
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二の丸南側の石垣。
500年前のものだと思うと胸が高鳴ります。
 
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本丸跡。結構広いです。
パンフレットによると東西20m、南北14mあるそうです。
眺望も良く、揖保川流域が見渡せます。
 
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南側を望む。
揖保川が綺麗に見えました。でも雨が降りそう。
 
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本丸跡に在った、鶏籠山城の紹介。
詳しく書いていて勉強になりました。
 
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本丸北側の石垣。
綺麗に残ってると思います。
 
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本丸北側には八幡宮があったようです。
石畳はその参拝路。
 
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今でも充分に使用できる石段。
年月に負けずに残ってるのをみると、感動です。
 
 
龍野古城は赤松村秀が初代城主となり、赤松四代続きました。
四代城主の広英の時に、羽柴秀吉率いる織田軍に降伏し開城。
 
のち蜂須賀正勝や福島正則が城主になり、後にふもとに移築されてます。
 
標高218mの山に城を構えるってのは、さぞかし大変だったでしょうが
毎日登城する武将達も結構苦労したんだろうな・・・・
 
 
次は英賀城跡か、赤松本家の置塩城跡に行ってみようかな?
 
 
 
 

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