|
この間散歩さんから寄せられたコメントにお答えしようと思いましたが、コメント欄に書ききれないので記事にしました。
相談業務は日曜日と月曜日の午前中を除く毎日やっています。日曜日と月曜日は組合事務所が開いていないので電話での受付のみとなっています。
炊き出しはヤカラの「重湯」を除いても地域周辺で一日一食は取れるようになっています。我々もそのうちの一食だけ貢献できるようにしています。
シェルターのスタッフは毎日労働者からの申告や掃除のとき毛布を点検し虫がたかっているものを破棄しているそうです。消毒は月一回だそうで入れ替えは年2回だそうです。これで解決できるとは思えませんが、個人個人が自らの住居を持つことが何よりの解決法だと思います。そこへ向かうための障壁を乗り越えるための手助けが自立支援ですし、行政・支援団体・組合などが独自の支援を展開していますがさらに内容を深める必要があります。中でも行政の責任が大きいのは言うまでもありません。
シェルターのスタッフは劣悪な環境の中で、気休めではあっても仲間たちがベッドに来た時に少しでも荒んだ気持ちにならずに気持ちよく使ってもらえるようにと「たたんだ時に折り目を合わせてきちんと揃えてたたんで置く」ということを心掛けているそうで頭が下がります。
シェルターの待遇改善を求めるなら大阪市への要求が必要でしょう。釜合労-稲垣たちのように同じ労働者であるシェルターのスタッフをののしったり、NPO釜ヶ崎に責任を押し付けようとしても多くの仲間たちは問題の本質を理解しているので耳を貸さないのです。
ましてや「野宿の自由」「野宿をする権利」を主張し、「公園での居住権」を主張するなど労働者には受け入れられません。野宿やシェルター生活は仕方なしにしているもので権利などではありません。野宿をせざるを得なければ野宿をするのは当たり前で、排除されなければならない理由はありません。それを自由と呼んで権利として与えられることを究極の目的にするなど労働者たちから言わせれば、野宿をしたこともない人の戯言でしかありません。強いられた『自由』です。野宿者が増えれば「炊き出しに並ぶ人間が増えるという」身勝手な思惑からの「野宿の権利」ではなく、『住宅に住む権利』こそ保障されなければなりません。
我々組合ではシェルターでの待遇改善‐固定化よりもシェルターを使わなくても済むような対策、シェルターを早くなくすような対策を行政に要求し続けてきました。
散歩さんのおっしゃる通りだと思います。「ホームレス」という場合そのほとんどは失業し住居を失い、野宿している状態です。我々は緊急避難としての生活保護はあっても、根本的には職の問題、仕事の問題だと考えています(もちろん65歳以上の引退年齢の方、傷病の方を除いてですが)。しかし、産業構造の転換に伴うリストラの最末端‐最下層で民間求人からはじき出されてきた者たちにとって再度民間求人の舞台に乗ることは無理に等しいといえます。そこで縦割り行政の弊害を取り除き、雇用対策と福祉施策をつないで、特掃の輪番労働者より稼働能力が高い失業労働者(55歳未満の失業層)を対象としたあらたな社会的就労事業(=公的就労)制度をつくり、社会資本の整備・維持を自社利益が目的の民間企業に出すのではなく、膨らみ続ける生活保護費の抑制に利用していくような施策が必要だと考えています。
この間我々は就労を軸とした支援策を獲得・充実させることに全力を投入してきたといっても過言ではないでしょう。
散歩さんは「労働者が気持ちよく充実して働ける環境を支援する」ことが組合の仕事と解釈なさっているようですが、あえて生意気を言わせていただけるなら、かつての(高度経済成長期の)ちゃんと合法的な会社の中で賃金を支払って労働者の生活を保障し、労働者は生活保障と引き換えに労働を提供するという労使関係の中で,
組織された組合員は組合費というお金を払い組合役員(?)が組合活動を代行する労働者・労働組合とちがい、ここ釜ヶ崎は昔から労働者自らが動かない限り何事も進展しない、勝ち取れないという、適切かわかりませんが謂わば「原始的な」労働運動でしか闘ってこられませんでした。そういう意味から個的な労働者との関係ではあり得ても、寄場労働運動では組合が労働者層を「支援する」というような、「ヒーローと市民」みたいにはなりえないと思います。
それゆえ70年代のセンターを暴力手配師から奪い返す闘い、三角公園を路上の博打場から労働者の憩いの場にする闘い、80年代の毎年賃上げを勝ち取った釜ヶ崎春闘、山谷で寄場を支配しようと登場した右翼暴力団を追放する闘い、特掃・シェルターを勝ち取った90年代の反失業闘争、そして一貫して闘ってきた(非合法な)暴力飯場、賃金を払わないとか労災をもみ消すケタ落ち飯場との闘い。すべて、組合を軸にしながらも、労働者が立ち上がることによってこそ勝ち抜いてこられたのです。労働者自身が立ち上がってこそ労働者の意思が反映されたのであって、嘘やデマで労働者の不満をあおって自らのパフォーマンスに利用しようとしてもそれはかなわないのです。地域で生活していない『支援者』は騙せても釜ヶ崎労働者はそれほど愚かではないのです。
夏祭りに関しては、一般的に言えば「自治体の地域活動」、その通りだと思います。しかし、70年代に人口の大部分を占める労働者は地域住民として認定されておらず、町内会から疎外され組織されていませんでした。そこで労働者自らが祭を始めたのです。それが年を重ね地域他を巻き込む形で発展してきたのです。
これで簡単ではありますが大体答えられたのではと思います。
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用






