隈本ゼミ調査報告

江戸川大学の学生がニュースの現場を取材し報告します

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福田村事件の真相を追う
   〜91年前に何が起きたのか〜
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福田村事件とは

 1923年(大正12年)9月1日、関東地方をマグニチュード7.9の大地震が襲いました。関東大震災です。
その5日後、千葉県の福田村(現在の千葉県野田市)三ツ堀付近の利根川べりで香川県の薬の行商人15人が地元の自警団に襲われ、幼児、妊婦を含む9人が殺害されました。
 関東大震災の後、被災者の一部はパニック状態となっていました。そんな中で「朝鮮人が井戸に毒薬を入れた」「朝鮮人が武器を持って襲ってくる」などの数多くのデマ情報が流れました。朝鮮半島は当時、日本の植民地となっており、首都の混乱に乗じて植民地支配に対する蜂起がおきるのではないかという懸念が行き過ぎた形であらわれたのです。

 そこで関東各地で在郷軍人、青年団や消防団で結成されたのが自警団です。一部の自警団は日本刀や竹やり等で武装をし、地域を守るためだとして、朝鮮人を見つけると、問答無用で取り囲んで殺害するなどの暴挙に出ました。横浜、埼玉、東京、千葉、群馬などで数多くの虐殺事件が起こり、殺害された朝鮮人の数は6000人以上とも言われています。
そして、こうした混乱の中で、朝鮮人と間違えられて200人を超える日本人と中国人が殺される事件も起きたことが後の調査でわかってきます。

 福田村事件もこのような雰囲気の中で起こりました。
たまたま福田村三ツ堀から、利根川を渡って対岸の茨城県に向かおうとしていた香川県の売薬行商団計15人が、香取
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神社の境内とその付近で休んでいたところ、「話している言葉がおかしいから朝鮮人だろう」という理由で福田村と隣の田中村の自警団に襲われました。彼らは必死で「自分たちは日本人だ」「何も悪い事はしていない」と言いましたが、自警団は聞く耳を持たず、彼らをとび口などで殺害、利根川に飛びこんで逃げた人も追いかけて日本刀や猟銃で殺害しました。                                      事件現場となった香取神社

  後にこの事件の裁判が行われ、そのいきさつも新聞などで報道されましたが、地元にとって不都合な事件」であり、あまり触れてはいけない事件となり、しばらくすると事件があったことさえ、すっかり忘れられていきました。
 有罪が確定した加害者たちも、数年後に昭和天皇即位に伴う恩赦ですぐに刑務所から出てきましたし、、その後地元の政治家と
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して活躍した人もいたそうです。

 長い間、忘れられていたこの事件を再発掘したのは被害者側である香川県の人でした。私たちは、香川県坂出市にお住まいの元高校教員で、郷土史家の石井雍大さんにお話を伺うことにしました。                                  
           福田村事件の真相を追う②に続く

                                      この河岸まで逃げて殺害された人も

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