隈本ゼミ調査報告

江戸川大学の学生がニュースの現場を取材し報告します

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いまの日本人は歴史を知らなすぎる 
悲劇を繰り返さないために伝えなければ
 
「福田村事件―関東大震災 知られざる悲劇」著者、辻野弥生さんインタビュー(その1)

隈本ゼミでは、福田村事件についての著書を2013年に出された辻野弥生さん(千葉県流山市在住)に直接お話を伺うことができた。長年にわたって関係者以外にはほとんど知られていなかったこの事件につ
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いて、いま改めて書籍にした理由はなんだったのか、インタビューでお伺いしてみた。(2015年1月13日)

――そもそも福田村事件を調べようと思った最初のきっかけはなんだったので
すか?
辻野さん:それはですね、私が所属している「流山市立博物館友の会」という文化団体があるのですが、そこから毎年1回「東葛流山研究」という研究誌を出しているんですね。その研究誌の編集長から関東大震災後に起きた流山市での朝鮮人虐殺事件について書いてくれと言われたことがきっかけです。詳しいことを誰かが書かなければ証言者がいなくなるということで、編集長から私に依頼がありました。私には荷が重かったんですけどね。
それで書こうとしたときに、野田市にお住まいの知り合いの方が「野田市でも別の事件があった」と教えてくださったんです。その方は「野田の人間には書けない話なので、流山のあなたがしっかり書いてほしい」と言って、福田村事件の資料を持ってきてくださったんです。そういういきさつで、私はそこで初めてこの事件のことを知ったのです。


――その流山の研究誌の編集長の方がご存知だったということですか?
辻野さん:いえ、編集長も福田村事件のことはご存知なかったようです。その時点ですでに知られていた流山での(朝鮮人虐殺)事件を知る方がだんだん亡くなっていくので、証言者が生きていらっしゃるうちに早く書かないと、ということだったんですけど、それがきっかけで福田村事件という思わぬものが出てきたんです。


――ではその野田在住の方はどこで知ったんでしょうね?
辻野さん:その方は地元出身の方で、学校教育に携わっていた方なので、聞き伝えでご存知だったのだと思います。


――そうですか。そうすると、あまり語られない地域の歴史ではあるものの、その方はご存知だったということなんですね。
辻野さん:そうですね。だから、この事件は「地元でも知っている人は知っている」という事件だったんですよね。


――なるほど。ということで、そうやって地元の方から資料が持ち込まれたところから取材が始まったわけですね。どのような取材をしていったのですか?
辻野さん:取材は、まず『いわれなく殺された人びと』という本を出された「千葉県における関東大震災と朝鮮人犠牲者追悼・調査実行委員会」の方たちとの交流から始めました。そしてこの事件を掘り起こされた香川県の郷土史研究家、石井雍大先生とも知り合ったんです。
 
難航した地元での聞き取り調査
――(現在慰霊碑のある)圓福寺のご住職の方にインタビューしたことが本に書いてありますね。
辻野さん:はい、私がお訪ねをしてご住職に「福田村事件について詳しいことが聞きたいのですが」と言ったら急に厳しい顔つきになられました。「それはいけません」と言われて。何度も「お帰りください」って言われました。ですが、ここで下がったら証言は一つも取れないと思いまして「ご迷惑になることはしませんから」と食い下がりました。すると「じゃあ奥の方へ」と言われて、やっとお話を聞けたんです。そこで圓福寺では犠牲になった9人の方の供養しておられることを知りました。その時まで私は、このご住職と石井雍大先生との関係を知らなかったんです。あとで石井先生に聞いたら、石井先生がご住職にお願いして、供養されることになったらしいです。


――やっぱりご住職は、本当は事件について聞いてほしくなかったという感じがあったんですか?
辻野さん:当然でしょうね。最初にお話を伺った時の様子が未だに忘れられないです。ですが、その後は、お手紙をくださったり、のちに「ぜひまたいらっしゃい」とか言ってくださったりしたんですよ。


――ご住職の方はこの事件についてどのように考えてらっしゃったんですか?
辻野さん:「お祭りの時のような、やっちゃえやっちゃえといった感覚で人を殺すのはよくない、宗教者の務めとして、地域住民のプライバシーを守りながら、二度とこのような暴力的な事件を起こさない方向に心を導くことです」と語られました。とても思慮深く進歩的な方でした。

――だから協力もしてくださったんですね。他にはどんな証言者の方とお会いになったのですか?
辻野さん:そうですね。実はいろんな人に片っ端からお電話したんですけど、ほとんどの人が何も話してくれませんでした。


――そうですか。事件からもうこんなに時間が経っていても?
辻野さん:ええ、電話では対応してもらえないので、お手紙を書いたりしたんですが、記事に採用できるような内容は得られませんでした。例えば、「あの人なら証言をしてもらえるはずですよ」と紹介してもらっても、電話してみると、「何言っているんだ!」という感じで怒鳴られたりしました。お会いする約束をしていながら、直前に連絡が途絶えた人もいました。やっぱりいざ活字にされちゃうと思うとみんな黙っちゃうんですよね。


――野田市に住んでいて、ある一定年齢以上の人は、目撃したり親から聞いたことがある話なんでしょうか?
辻野さん:それは、すごくまちまちですね。ご高齢の方といっても、例えば85歳の方にお電話したら、この事件について知ったのはほんの15年前だと。つまり知っていた人もいれば、知らない人も沢山いた。あまりにもおぞましい事件なので、たとえ知っていても、しゃべってはいけないという空気があって伝わらなかったのでしょうね。


――野田市役所の対応もたいへん消極的で、それがあの慰霊碑の問題にもつながっていくわけですね?
辻野さん:ええ。そうなんですよね。香川県側の「千葉福田村事件真相調査会」や、野田市側の「福田村事件を心に刻む会」が協力して慰霊碑はなんとか出来上がったんですが。


――慰霊碑の裏には、9人の方が亡くなった「理由」が書かれていないんですよね?
辻野さん:ええ。石井雍大先生たちが「この人たちは、いわれなくして殺されました」ということをちゃんと書いてほしいと要望したんですけどね。結局いまは慰霊碑のその部分は空白になってるんですよね。いつか書いてほしいと私は思うんですけどね。
山田昭次先生(※)も国家責任の問題があるのに、国として謝ったりもしないし調査もしないと常に憤っていらっしゃるんですよ。だからこの朝鮮人虐殺は国としては今でも未解決のままなんですよね。
※関東大震災後の朝鮮人虐殺問題を調査研究している日本史研究家。立教大学名誉教授。
 
                  辻野弥生さんインタビュー(その2)に続く

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