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「KUMARIの世界(にちじょう)」
こんな、しょうもないブログを訪れてくれて、アリガトウです。

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軽井沢文学散歩 4イメージ 1
森 瑤子
「女ざかりの痛み」
私の軽井沢の家 より

今回は小説じゃなく、
森 瑤子のエッセイから。
デビュー作の「情事」は、
避暑で訪れていた
軽井沢の別荘で書かれたものです。
軽井沢には毎年、通っていたみたい。     ↑「涼の音」の外観
この人、子育てのために
三浦半島の諸磯湾の高台にイメージ 2
家を借りていたこともあります。
諸磯湾といえば、私も大学を卒業し、
初めて就職したデザイン会社で、
ヨットレースを運営しており、
毎月のように通った時期があります。
なんか共通点があって、
親しみを感じます。

そんなことで、エッセイにも
軽井沢で借りていた別荘のことが登場する。
「情事」は芥川賞と、思っていたけれど、
調べてみたら すばる文学賞だった。
何度か芥川賞や直木賞の候補には
なっているんだけど、
どちらも受賞していませんでした。
まあ、なかなか、
賛否両論のある作品ばかりですからね。  ↑こちらが内部
ちょっと、好きじゃない人はいるかも。
・・・・・
私が「情事」を書いた家は、前述の英国人系カナダ人の別荘で、
彼らがその夏をイギリスで過ごすからというので、一夏借りたものだ。
それは軽井沢で2番目か3番目に古い家で、その昔宣教師が建てたものだと、
家主のカナダ人は言ったが、典型的な古い山荘タイプで、ポーチがあり、
部屋と部屋のしきりが取り払われ、カーペットが敷きつめられて広々とし、
浅間石でできた暖炉があった。
その暖炉を囲むようにして、時代物の籐椅子や、どこの国のものか正体の知れない、
しかし、すこぶる坐り心地の良い肘掛け椅子や、長々と足を伸ばせる昼寝用の、
片肘のある長椅子などが、デザインや材質の統一には無関係に――それゆえに
別の面白さがあるのだが――あちこちに配されていた。
・・・・・・
この後も、ずらずらと描写が続くのですが、イメージ 3
「情事」を書いた別荘のことが語られている。
何度か別荘を変えて、夏を過ごしており、
次が一番長く過ごした別荘のこと。
こちらは、別荘散歩の最初でも紹介した
ライシャワー夫人、
松方ハルが使用していた建物。
軽井沢別荘散歩も参照してみてください。
現在「涼の音」というカフェになっているので、
訪れることができます。               ↑こんな部屋もあります
・・・・・
その次の年には再び家が変わった。万平ホテルのすぐ近くに、
大きな家が見つかり、そこで一夏過ごしたが、
夏のさかりにはオートバイやスポーツカーの若者がきしらせる
急ブレーキの音やカセットの音を一杯にしたロック音楽に閉口して、
翌年探しあてたのが、現在のこの家である。

ここはテニスコートのすぐ裏にある割には、車の出入りもなく、
たいへん静かだし、家も広々としていることなどが気に入って
毎年使い続け、今年で5年目になる。

家は、正真正銘軽井沢で一番古い、かなりなお化け屋敷ふう。
土台の大半が腐っているから、そっと歩いても大きな家がゆっさゆっさと揺れる。
もういつ倒れても不思議ではない。今年こそ、
ばっさり倒れるだろうと毎年心配しながら使っているが、
去年の台風の時、庭の大木が13本根こそぎになったというのに、
家は持ちこたえたので、いまだに住んでいる。
当然、床は平ではなく、台所の方向へと傾いでいる。
台所は一番ひどく、お茶を入れるとティーカップの中で
水が斜めになり、下手をすると一方の端(低い方の)からこぼれ出る。
ティーカップの中に於ける高低の差は1.5cmとなれば
傾斜のひどさをご想像願えるだろう。
家の中にゴロゴロしているテニスボールも、
当然、台所に向かって一直線に転がっていく。
・・・・・・・・
まだまだ、続くんですけど、
いい加減に書くのが嫌になったので、この辺で。
この建物のボロさ加減は、ぜひカフェを訪れて体験してみてください。
この別荘の向かい側に
室生犀星の別荘があります。
室生犀星のエッセイにも、この建物のことが良く登場します。

今回は引用が長すぎたので、疲れました。
それでは、また・・・・・・・
イメージ 4

イメージ 5イメージ 6









イメージ 7
軽井沢文学散歩3イメージ 1
川端康成
「高原」
本日は朝から雨模様。午後になって回復したのですが、
どこにも出かけず、家でおとなしくしています。
初めの2回は、新しめの作品を取り上げたのですが、
今回は川端康成の「高原」から。
太平洋戦争前の昭和14年(1939)に書かれた短編で、
ブログのどこかで取り上げたことがある
細川侯爵別荘のカツラ並木が描写されています。
イメージ 2
いいですねぇ。軽井沢を代表する風景です。
残念なことに、現在は自動車メーカーの私有地になっていて、
立ち入りできませんけどね。

・・・・・・・・・・・
細川侯爵の別荘は、ゴルフ場の少し手前を、
右へ入ったところにあった。
大きいつつじの株が生垣になっていた。
門らしいものはないので、
須田達は幾分ためらいながらも入って行った。
その真直ぐに広い道の両側は、みごとな樅の並木だった。
高い樅の梢で切り取られたような空は、
行手が狭まって見えた。
樅の並木の裏は、落葉松の林だった。
・・・・・・・・・・

細川侯爵の別荘は、旧ゴルフ通りを進み、ホテル鹿島の森の手前にある、
鹿島の森通りとの交差点を田辺レーンに入ったところ、
細川レーン沿いにありました。
ここには細川護立別荘をはじめ、
徳川慶久別荘徳川圀順(くにゆき)別荘など、
軽井沢で洋風別荘を手掛けていた「あめりか屋」が建築した
豪華別荘がならんでいました。
川端康成「樅の並木」と書いていますが、
「桂並木」の間違いですね。
敷地の入口から続く道は、大きく左にカーブしてから、
このカツラ並木が始まるため、細川レーンを歩くだけでは、
この眺めを見ることはできません。
一般公開すればいいのにとも思いますが、公開すれば、この景色を保つことなど、
困難となるでしょうから、このままでいいのでしょう。

・・・・・・・・
道の突きあたりが小高くて、別荘の玄関だが、
この広い屋敷には、家があるとも見えないほどの
ささやかな建物だった。
・・・・・・・・・・・イメージ 3
いいえ、決して
ささやかな建物ではありません。
大正5年(1916)に建てられ、
木造3階建て、地階35.9坪、
1階93.17坪、2階65.17坪、
屋根裏部屋12坪という
広大な邸宅です。
いまでこそ、鬱蒼とした林の中に
ありますが、建設当時の軽井沢は、
樹木などない草原地帯。
遠くからでも目立った建物でした。
この建物は昭和60年(1995)に取り壊されています。イメージ 4
もったいないですね。

この通りには、徳川慶久別荘、
徳川圀順別荘も建っています。
(どちらも現存)
徳川慶久の別荘は山種不動産の所有(?)。
徳川圀順の別荘は、のちに田中角栄の
関連企業が買い取り、田中角栄の別荘に
なった建物です。
イメージ 5
現在は田中角栄記念館 軽井沢分館と
なっています。
建物は小高い丘の上に立っていて、
通りからは、見ることができません。
一般公開するような話もあったのですが、
一向に公開されるという話は
聞きません。
公開されるといいですね。

キッシンジャーと田中角栄の会談が行われたり、
角栄が脳梗塞で倒れた後、
ここで静養していたこともあるそうです。
こちらの建物も、あめりか屋の建築。
急勾配の屋根をもつ、
けっこうメルヘンチックな建物です。イメージ 6
別荘の敷地は、5300坪、建坪120坪で、
大正7年(1917)に建てられています。

細川レーンは由緒ある建物が並ぶ、
雰囲気のある通りですが、
ほとんど訪れる人もなく、
静かな通りです。
軽井沢を訪れた際には、
ぜひ、散策してみてください。
建築に興味がない人でも、
自然がたっぷりあって、いい所です。

本日の格言
イメージ 7
みなさん、
人生、頑張って、
行きましょう!
私なんか、
もう、先があんまり
ないけど。
もう、ひと花くらい、
咲かせなきゃね。
まだまだ、
死んでも,死に切れませんからね。
もっともっと、
頑張らなきゃ・・・。










軽井沢文学散歩2
伊集院 静
「なぎさホテル」より
イメージ 1
本日は好きな伊集院静の小説から。
かつて、湘南は逗子の海岸
逗子なぎさホテルという
クラシックなホテルがありました。
この本、「なぎさホテル」
そこを舞台に書かれた自伝的な小説で、
20代後半だった伊集院静が、
不思議なきっかけから暮らすことになった
なぎさホテルのことが書かれています。
現在の伊集院静のベースともなった、
様々な体験が描かれ、
青春グラフィティともいえる小説です。
夏目雅子とつきあっていた頃の
話も登場します。
逗子と軽井沢なんて、
関係ないじゃないか、
と、言われるかもしれませんが、
この小説に軽井沢が登場します。

当時、なぎさホテルを運営する会社は、イメージ 2
軽井沢に「旧軽井沢ヴィラ」という
小さなホテルも営業していました。
この建物は、堀辰雄などの小説にも
登場するサナトリウムだったものです。

ホテルで暮らしていた伊集院静は、
ある時、ホテルの支配人から軽井沢行きを勧められる。
・・・・・・・
少し涼しい山の方でも行って来られたら」
「山ですか?」
「山は苦手ですか?私もそうだからな。
けど軽井沢だから涼しいですよ。
ここほど人も居ないだろうし」
「軽井沢へですか?」
「はい。軽井沢に、このホテルと同じ経営の
ちいさなホテルがあるんですよ。
私も一度行きましたが、部屋はちゃちなものですが、
周囲は結構、白樺の林なんかがあって、悪くありません。
一度、見物がてら行って来られたらいい。」
・・・・・数日後、私は電車に乗ってイメージ 3
軽井沢にむかった。
―――あそこは元々病院だった建物を
ホテルに改造したものですよ。
泊まられてみて、嫌でしたら、すぐに
戻られてかまいませんから・・・・。

軽井沢サナトリウムは、大正10年(1921)に
軽井沢会の要請で設立。
英国人のマンロー博士
病院長をやっており、
マンロー病院とも呼ばれていました。イメージ 4
赤い屋根と小豆色の外観をした、
木造2階建ての洋館で、
矢ケ崎川に沿ってアカシアの並木が続く
小径に面して建てられていました。
戦後、病院が閉院したのち、
なぎさホテルの会社が夏の間だけ、建物を
借り受け、建物を動態保存するような形で
営業していたのです。           ↑かつての旧軽井沢ヴィラ
                      ググったのですが画像はこれだけ
・・・・・・
旧軽井沢にある“ビラ・軽井沢”(正確な名前かどうか
記憶にないが、たぶんこんな名称だったと思う)は
林の中にぽつんとある、              ↓木下裕章さんのブログから
木造平屋建ての山小屋のようなホテルだった。イメージ 9
木造というのが、なぎさホテルと共通していたが、
若い女性従業員に案内され部屋の中に入ると、
Y女史が言っていたように病室が、そのまま
宿泊施設になっているのがすぐに分かった。
おそらく結核患者たちの転地療養に
使われたのであろう。・・・・・・・・・・・・

正式な名称は旧軽井沢ヴィラ、(ビラだったかも)
木造2階建て(一部3階)ですね。
疎水沿いにある道は、サナトリウムレーンイメージ 5
ささやきの小径)と呼ばれる散歩道です。
アカシアの木が多いことから
アカシアの小径とも呼ばれています。
カップルにはおすすめの散歩道。
できればアカシアの花が咲くころ、
早朝に歩くと、ほんとに気持ちがいいです。

小説では、ホテルに宿泊した伊集院静は、
旧軽銀座の通りを歩いたりしてますが、
あまり詳しい描写はありません。イメージ 8
このホテルは昭和55年(1980)に
営業を終えています。
私が軽井沢に通うようになった頃は、
もう、営業していませんでしたが、
建物は残っていました。
建物の周りをグルグル回って、
いつか、この建物を借りて、
ホテルでもやってみたいなぁ。
と、思ったものです。
もちろん、そんなお金はありませんから、
眺めるだけでしたが、いつの間にか
建物が壊され、更地になってしまいました。
もったいない話です。
(現在は万平ホテルの従業員用駐車場になっています。)
何とか保存できなかった
ものなのでしょうか。           ↑矢ケ崎川
なんといっても、この建物は、
あのヴォーリズの建築なのです。
老朽化もしていたのでしょうけど、
残しておいて欲しかったです。

参考までに、軽井沢の散歩道名です。
イメージ 6
























イメージ 7ちなみに
これは
堀辰雄の
手書きの
軽井沢地図




軽井沢文学散歩1イメージ 1
 大藪晴彦 
「汚れた英雄」

軽井沢文学散歩の書庫を
作っておきながら、
まだ、一度も書いていませんでした。
軽井沢は川端康成堀辰雄の時代から、作家に愛された場所です。
現在も多くの作家が、軽井沢を愛してやまず、町内に在住、あるいは別荘を持っているのです。
なぜにそれほどにまで、多くの作家に軽井沢が愛されているのか、その作品などを紹介しながら、軽井沢の魅力を少しづつでも案内できればと思います。
軽井沢の文学散歩いえば、すぐに堀辰雄立原道造
北原白秋なんて名前が挙がりますが、ちょっとね、古い気がするんです。
もちろん堀辰雄なども紹介していきたいんですが、イメージ 2
現在の人、「風立ちぬ」なんて、
読まないでしょう。
そこで、もっと現代の身近な小説やエッセイなどを題材に、軽井沢をたくさん紹介していきたいです。

1回目は大藪晴彦「汚れた英雄」から
この小説、文庫本でも全4巻という
長い小説で、
読むのは大変ですが、面白いから
一気に読んでしまいます。
角川文庫でキャンペーンを張った時は、
ずいぶん話題になり、映画化もされました。

小説の冒頭は、軽井沢から始まります。
主人公の北野晶夫は、
中軽井沢の米国人別荘で、
住み込みのアルバイトで働いていました。   ↑離山山頂から見た浅間山
・・・・・・                      
朝霧に包まれた信濃沓掛
――現在の中軽井沢――から北軽に向けての上り坂を、
18歳の少年が、リヤカーを曳いた自転車のペダルを
踏み続けていた。リヤカーにはキャンヴァスで覆われた
単車が積まれている。
 道の左右はアカシアやモミや白樺の林に、カエデや
ブナやナナカマドの紅葉が華やかな色どりをそえていたが、
曲がりくねった路面は凹凸が多かった。
少年は額から流れて目に入る汗を、色褪せたデニムの
リー・ライダースのウェスターン・ジャケットの袖で拭う。
昭和32年10月のことであった。イメージ 9
・・・・・・・

この年、北軽井沢では第2回浅間火山レース
行われました。
北野晶夫はこのレースに参加するために、
中軽から国道146号線を北上していたのです。
しかし、現在でもカーブが連続する急坂が続いている
国道146号線を、当時、リヤカーを付けた自転車で
上れたものでしょうか。イメージ 3
ちょっと、しんどいんでは・・・・。

浅間火山レースは第1回が
かつての草軽電鉄・北軽井沢駅近くを
スタート地点に
一般道を使用して行われました。
その後の
2回目、3回目は現在の浅間牧場
場所にあった             ↑北軽の浅間高原レース発祥地碑
浅間高原自動車テストコースで開催。
日本が世界に誇るホンダヤマハのバイクが
発展するきっかけとなったイメージ 4
レースでもあります。
浅間牧場にあったコースは
風光明媚な場所で、
雄大な浅間山を目前に
眺めながらレースが
競われました。
10数年前までは、右図(コース)の下にあった観客席の傾斜などがイメージ 5
残されていたのですが、
現在は、無くなっていました。
残念ですね。

→中央に写っているのが本田宗一郎。
ホンダのHPから借りてきました。

かつてレース場があったイメージ 6
横を走る道は
こんな感じ。
浅間山がド〜ンと見えます。
このレースに関することは、
浅間火山博物館にある
浅間記念館
様々な展示物があります。

北野晶夫のような人生を
送ってみたいものだと思いますが、イメージ 7
後半になれば、
舞台は全世界に広がって、
ちょっとこれは、やりすぎだろうという
物語になっちゃうのが、
いいような、悪いような・・・。
第1巻〜第2巻辺りには、
軽井沢のあちこちが
小説の中に登場します。
イメージ 8
中の文章をピックアップすると
きりがないので、
興味ある人は、読んでみてください。
物に対するディティールが
やたら細かくて、
そこのところが、新しい小説の流れであったのだろうと思います。








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