日常何気なく使っている、言葉や挨拶にも、
道徳と常識ある「江戸しくさ」の「粋(いき)」から生まれ、
現在まで受け継がれている、綺麗な残すべき伝統があります。
我々は、現代用語に流されたままでいいのでしょうか?
誰が次世代に継承していくのでしょうか?
今生きている、私達以外に誰もいないのです。
責任を持って、責任を全うして、次世代に引継ぎたいものです。
すみません
江戸しぐさでは、不具合があった場合、
相手も、自分も澄んだ気持ちになれない「粋」がありました。
しでかした事は、「あい澄みません」と我先に心から素直に謝れば
江戸っ子としては、許さない訳には行かない。
「小さな心」は「粋(いき)」では無かったのですね(^.^)
ごめんなさい
「免」は容赦すること。
尊敬語で「御免」=「御容赦」と表現し、
失礼な目に合わせてしまった事にたいする「許し」を敬って願う事でした。
したがって、当然「粋」な江戸しぐさでは、快く「許し」た訳です。
気持ちが良いですね(^.^)
おはよう
これから始まる一日の出来事に対し、「あなたの一日に対し、いいことがありますように」の
心を込めて、早朝のまっさらな心の状態から「お早うございます。今日一日が・・・」と
自然に「粋(いき)」な言葉として、受け継がれてきました。
したがって、「おはよう」は、明るい言葉で無ければなりません(^.^)
反省しきり・・・・
こんにちは
今日は天候の状況が○○ですが、ご機嫌如何ですか?
と言う、挨拶から来ています。
したがって、「こんにちわ」ではなく、「こんにちは」なんだそうです。
ルーツを知れば、又納得(^.^)v
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