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小学校3年生の記憶 ↑写真転載させていただきました。私は子供でしたのでごめんなさい 雨がしとしと・・・しとしと・・・・雨が・・・ しとしと・・・ 何故か?小学校3年生の記憶は 梅雨と台風。 学校から歩いて帰って、家の前に着くと、生垣には白い「バラ」が満開。 梅雨の時期は、 降りしきる雨で、白いバラも 皆、一斉に泣いている・・・ 生垣のバラを見ながら・・・ 玄関へ・・・ 玄関につくと、入り口の脇に 2m幅位の アジサイの花、花、花・・・ 綺麗な紫と、ピンク。薄紫の花びら。いろいろな色のアジサイも、 みんな一斉に口を合わせたように 一緒に泣いている・・・ 九州の梅雨は、梅雨前線がいつまでも這いずり回り、 なかなか立ち去ってくれない。 昨日も雨だったのに、今日も雨。 そして明日も雨の予報・・・ そんな「陰」な毎日がいやで嫌で、たまらなかった。 本当に、嫌だったんだと思う。 今でも思い出して書きながらも、 何故か、心が疼く。胸が痛い・・・ 幼い記憶に 余程嫌な事があったのだろうか・・・・ 体の拒否反応か?記憶からは すっかり 嫌な内容は消えうせているが、 心の疼きは 消えない。 トラウマ??? 今でも雨の日の バラの花と アジサイの花は あまり見たくない。 風呂は五右衛門風呂で、一度だけ入浴中に、底板がはずれ、板が浮き上がってきて・・・ 小学校3年生の私は パニック!で「ギャーーーー!!!」と大騒ぎ。 父親と母親が 一緒に現れて「どうした〜!!!」 鉄製の五右衛門風呂から、どうやって飛び出たか? 転げ出たか?記憶に無いが、 熱くて、死んでしまうと思い込んで 必死だった。 今、振り返って、よく考えると・・・・ 風呂釜の周りは鉄釜丸出しだが、少し時間がたつと、適温で、 気持ちよく鉄釜に寄りかかっていた記憶がある(^.^) でも、子供の知恵は 浅はかで・・・、 その時は必死だった。 親と言えば、 私をバカにすることなく、嘲笑うことなく、 二人して 優しい言葉をかけて ねぎらってくれた(^.^) 今の私は こんな親になれているのかな〜・・・ 反省しきり・・・・・ |
kumasaの記録
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小学校2年生の記憶 小学校2年生の時、生まれ育った中津市から佐伯市にはじめての転校・・・
不安で・・・ 怖くて・・・ 慣れない学校で、何をしていいかわからなかった 学校から、海のすぐそばの家まで 歩いて・・・時間は30分くらいだったろうか?? 転校してすぐだから・・・友達がいなくて・・・ 日曜日に父親に連れられて、家の近くの海の堤防に魚釣りに連れて行ってもらった。 腐葉土を溜めた場所を掘って「みみず」確保。 父親に全てを託して 糸をたらすこと 数時間? 隣で釣っている家族はバケツに魚が「いっぱい」で 羨ましい〜(^.^) 「お父さ〜ん」 何故、釣れないの???? 父親は「だんまり」・・・(私が寂しがるので釣りに連れて行ってくれたが、 実は、ド素人だったんだって・・・) 何も知らない私は、何度もお隣の「バケツのお魚さん」を見に行った。 「お父さん!」 まだ釣れないよ〜??? 相変わらず・・・「だんまり」。 そのうち お隣のご家族が 満足したのか? 帰っていった・・・・ お父さんが、「こちらの場所が空いたから、今度は釣れるぞ」と言うような事を言ったのだろう・・・ 子供心に 期待が膨らんだ事を、今でもしっかり覚えている。 隣の家族が置き忘れた? あるいは放置した? 餌の「魚の切り身」を・・・ 海面に投入・・・・・ 「ん???」・・・・・・・ 今入れたはずなのに・・・・消えた??????? 海は透き通るように綺麗なのに、 餌が見えない???? お父さんが、「あれ?」っといいながら、釣竿を挙げたとたん、 「おぉぉぉおお〜〜〜〜!」 おい! ○○!(私の名前) 「ほらほら・・・一緒に持って・・・」・・・・・・ 「ぐぅい グウ〜イ!!!」 小さな竿が 大きくしなって、 真っ赤な 大きな 鯛に似た魚が 目の前に・・・ 「やった〜〜〜」(^.^) 「やった〜〜〜」(^.^)/
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小学校1年生の記憶 ※ 初めての「おつかい」 これも忘れられない 思い出の一つ・・・ いきさつは全く良く覚えていないけれど 豆腐を一丁 近くの豆腐屋さん(豆腐だけの専門店)に買い物を頼まれたのです。 別に、テレビ局のカメラが付いてきた訳ではないよ(^.^)・・・ ステンレス?のボールと小銭を握り締めて、 自分なりに緊張して、お店にたどり着くのに必死だった記憶があります。 私が小1で、その時のお店のオバチャンは今考えれば40歳くらいかな? 無事に、豆腐一丁を貰って・・・・(^.^) ボールに入った豆腐が隠れるほどの「水」がこぼれないように、 そろり、そろ〜り 家までゆっくり帰ってきたのです。 今でも覚えています。 3階建ての アパートの2階に自宅がありました。 水の入ったボールに注意しながら、ゆっくり階段を上りました。 そして、重い、豆腐の入ったボールを持ったまま・・・ アパートの ドアを一生懸命 開けようとしました・・・ やっとの思いで、ドアが開きそうになったとき・・・ ボールから豆腐が ポロリと 地面に・・・・・「ぺチャ!」 幼い心で とんでもない事をしてしまったような、罪の意識のような・・・ その辺りの感覚は あまり良く覚えていません・・・ ただ、私はどうやってお店まで戻ったかも覚えていませんが、 泣きながら お店の「おばちゃん」に「豆腐が壊れた」と訴えたのでした・・・ どのように話し、どれ位の時間だったのかも 全く覚えていませんが、 お店の「オバチャン」がボールに新しい豆腐を入れてくれて、 一緒に、家の玄関の前まで 送ってくれました。 そして、落とした豆腐を片付けてくれて、 ドアを開けて、私を玄関に入れて、そのまま帰っていきました。 私が、母親から預かったお金は、豆腐一丁買えるお金だけだったのに・・・。 小2の時、父親の転勤で、○○市から △△市に転校してしまったので、 そのままに成ってしまい、ず〜と胸が痛い思いです。 このことが気になって、私が社会人になった およそ 30年後、 女房・子供と 九州旅行をした時、 記憶をたどり、 アパートを訪ねました。 あんなに階段で上がるのが大変だった大きなアパート。 かろうじて面影の残ったいた場所にあったのは古びたちっぽけなアパート。 近くの駐車場に車を止めて、家族で私の記憶をたどり、歩いてお店に行きました。 それは 直線距離で40m程度。 不思議にお店の場所ははっきり覚えているのが不思議でした。 しかし、その場所は・・・既に廃業して、普通のお宅でした。 近所に工務店さんがあったので、飛び込みで聞いてみました。 「すみません。この辺りに 昔 お豆腐屋さんは ありませんでしたか?」 私の記憶に間違いはありませんでしたが、既に「オバチャン」は亡くなられていました・・・ とても 辛い日・・・ |
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(建国記念日に ちなんで) |





