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家屋の調査点検作業において、事務所に報告する時に具体的にお手入れしながらの点検作業は通常
3時間を必要とする。それを端折って、1時間で終わらせるて報告する時、受ける方は物足りなさを感じる。
内容が無いのに、話ばかりが膨らんで納得できない心があるからだ。
現場においても、営業の語る数時間の話より職人の一言の方が、施主様にとっては説得力がかなりある。
そこにはかなりの時間をその一言の為に費やされているからだ。
飾り気のない唐突な一言は重要であり貴重な一言で或る。
しかし、その職人のレベルにもよる。安易な仏心を持つ職人の一言ぐらい厄介なものはない。
私情を捨て公人となっての一言であってほしい。
一時、とことん教にかぶれたことがあったが、教理としてはすばらしい教えだが、教祖以外誰も実践していない。
その組織にいたら実践出来ないと思い足を洗った。 教会からは 「顔を洗って出直して来い」 と言われた。
建築現場とくにリフォーム現場では、調査点検を十分に行って、「オサマリ」を考えなければならない。
あるリフォーム現場で半日も考え込んだ事があった。施主様が 「どうしたんですか」 と心配になって
声をかけてくださった事がある。それぐらい 「オサマリ」 は重要なのである。
つまり、目に見えない作業を頭の中や心でしているのである。
一番めんどくさい仕事である。 それを誰よりも率先してやるのが一流の職人なのである。「目星2」
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足裏の証し
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人生は一度、毎日を自分の足裏の感触を確認しながら生活すると、新しい世界が開ける。下積みの生活が長いほど、いいものが出来るし、いいアイデアが生れる。
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「国会議員の発言は、国民大衆の血の叫びである。」
私利私欲、名声欲しさが優先してトップに立った人間には、その地位が 「重責」 であるという認識が無い。
ましてや、国会議員ともなれば有権者の貴重な一票に支えられており、国の舵取りを任されているのだから、
国民の生活を保障出来るか、戦火に巻き込まれる事はないか、一日たりとも息が抜けなくて当然。
しかし、最近の国会議員は、自らの生き残りに必死、今も変わらない状況だ。
昭和二十二年四月の総選挙で初当選を飾った田中は、それから三ヶ月後の衆院本会議でこんな処女演説をした。
「国会議員の発言は、国民大衆の血の叫びである。」
国政を担う若き日の田中の、全身全霊が込められた発言である。
また、「田中は土方政治家だ。新幹線なんて国費の乱費だ。 世界平和に金を出せ。と言う人がいるが、全くバカげたことを言う人がいる。政治とは自分たちがメシが食えない、子供を大学にやれない状態から抜け出すことを先決に考えねばならん。理想よりも現実だ。政治とは何か、生活で或る。
富める者と貧しき者、表日本と言われた太平洋側と、裏日本と言われた日本海側の諸々の格差是正、国土の再編成、言うならばバランスのとれた日本列島の雄大な再利用にチャレンジの第一歩を踏み出したと云う事だった。
そして、その過程での基本認識は、「外に平和、内に福祉」 であり、田中自らが提出、成立させた後の議員立法三十三本が、それを客観的に証明している。
最近はやや議員立法提出の気運は出てきたが、田中のそれに比べれば、まだその足元にも及ばない。
政府や官僚任せとしない、此の議員立法を出せるか否かが、国会議員としての 重責をどう受け止めているかの目安になる。
田中は云う。「本当に大臣になりたいのなら、議員立法を十でも二十でもつくってみろ、大臣はそれから先の事にしろ」 勉強不足の議員には議員立法などは一本たりとも出来るものではないし、国を想うエネルギーの強さがよほどのものでなければ、とても手をつけられるものではないのである。」
やはり、ム――ンマンダムである。
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田中の秘書だった早坂茂三「政治評論家」は、よく田中の名代として新潟三区に入って話をしたが、
むしろ田中以上に演説がうまかった。
それは、早坂が秘書になった直後、田中に、「ウソをつくな、すぐばれる、気の利いた事を言うな、後が続かなくなる
そして何より、自分の言葉でしゃべることだ。」 と言われたそうだ。
それから、「若い君が本当に思っていることを話せばいい、借り物はダメだ。お百姓を侮ってはいけない、小理屈で人間は動かない事を知れ」と叩き込まれたそうだ。
ム――マンダムである。ブロンソンならずとも納得で或る。
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以前にも投稿した事のある、某住宅メーカーのウォーターブロックのアフターサービス要員だった頃。
会社側として、業者でありながら、問題の施主の矢表に立って、クレームを受けながら修繕していて、もう限界かな
と、考えていたころ、独立を決意したキッカケになった本を、茨城県の田舎道を走っていて、尿意を感じて、
畑の道端に車を止めて、用を足していたら 足元に落ちていたのが、究極の人間洞察力、角栄語録の神髄という本で、 拾ってみると多少小便が散っていたが、たまたま開いたところのサブタイトルに 「僕は運だけで此処まで来た
人間の一生というのは、結局運だ。実力があり、いくら自分が自負してもダメなものはダメ。
努力、努力、努力と根気と勉強。 こういったものが、運をとらえるきっかけとなる。」
出した息子も収納せず、思わず続きを読んでしまった。
この本の中で、田中角栄はとりわけ、勤労、労働というものを重視した。額に汗、黙々と誠心誠意で体を動かしてこそ勤労である。 頭をひねくりまわし、口先だけで世の中を渡っているのは勤労者とは言わない。
政治家でも、※若き日の小沢一郎のように、黙々と人の為に汗を流すタイプを買っていた。
昭和48年の総理大臣時、全国勤労青少年会館の開館式でのあいさつで、次のように挨拶した。
ただ単に、青少年時代を学生として、思うばかり羽ばたける、好きなことをし放題に出来ることが楽しいかと言うと
わたしは必ずしもそうでないと思っている。お互い一人ひとり、皆、生まれ育った環境も違いますから、色々な社会に色々な生き方して育ってくるわけでありますが、
わたしはその中で勤労と言うものがいかに大切であるか、勤労と言う事を知らないで育った人は不幸だと思っています。本当に勤労しながら育った人の中には、人生にたいする思いやりもあるし、人生を素直に見つめる目も出来てくるし、我身に比べて人を見る立場にもなり得る訳であります。
わたしはそれは大きな教育だと、また教育だったと考えている。
本当に病気をしてみなければ病気の苦しみは分からないように、本当に貧乏しなければ貧乏の苦しみは分からないと云う人がありますが、勤労しない人が勤労の価値を論ずることが出来ない。
勤労しない人が、どうして勤労の価値を評価することが出来るでしょうか。
勤労は生きるための一つの手段でしかないと云う考え方が、此のところ充満しつつあるような気がします。
もし、あるとすれば、それは政治の責任かなとも思います。
多感な青少年が戸惑うようなことがあったり、自分の勤労と云うものにたいして自信を失う時には、
国家や民族の危機と考える必要がある
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神はアダムを創造した時、塵、土で創造したとある。
確かに人間の構造は地球の構造と似ているところがある。 土は人間の肉体を造った素材である。
一瞬で創造したのか、ある程度の時間をかけたのか定かではないが、
人間の目の構造は一瞬で創造しなければ、複雑な優れた機能は出来ないはずだ。
そのほかの機能も進化して出来上がったものとは考えにくいが、
人間の体以外の「精神、思考、心情」は時間をかけて緩やかに創造されたのではないかと
ペヌエルは考える。そして確信するのだが、何時間、何日、何年、いや何百、何万年かけて創造したのかは分からない。さらに創造時は神と人間だけではなく天使も加わっていたことは間違いないと確信。
さて人間の体を塵「土」から創造したことは間違いなく、成分も地球と同じである。
此処でまた土の話に戻りますが、
日本はカビの文化と言われるくらい湿気の多い国で、土の中にはミミズ、トビムシ、ワムシなどの小動物や様々な微生物が生息し、これらが共同して有機物を分解している。
日本には530万ha の農地があり、土や作物にとくに悪影響を及ぼさない範囲で、
毎年約 1億トンの有機物を分解する能力がある。
しかし、あくまで農業機械の導入や化学肥料、農薬の投入等といった、人為作用がない状態での話
である。 下水汚泥、し尿汚泥、都市ごみ、家畜廃棄物などの有機性廃棄物が毎年1憶5000万トン
も発生している。 土に施用して有効に利用できれば、地力の維持と環境汚染の防止に大きく役立つ
海外から食料や肥料の形で多量の チッソ、リンが持ちこまれている。環境中に排出されて、地下水汚染や湖沼の 富栄養化 の原因になっている。
様々な国の事情もある。臨機応変に対処して日本の良さを再発見していきたい。
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