ルーツを訪ねる

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親方の家に住み込みで弟子入りして、5年目の春にとことん教で言うところの、「霊の親」であるノックフォー女史に
伝道され、初めて教会(伝道所) に行った時姉妹から 「おかえりなさい」と言われ、なんと言ったらいいかわからず
「ただいま」 と言ってしまった。
 
食事の時間に 「ペヌエル兄、一緒にお食事どうですか」 と言われ、耳パンを蒸かして、コーヒーに片栗粉をいれて
ジャムにして、食べたこともあった。 姉妹の純粋な一途な祈祷に食事なんかどうでも良くなって、
一緒に泣けてきた。 教会は節約生活に関しては、近頃のお笑い芸人には負けないくらい節約している。
そして、出来るだけ収入は献金に回すのである。
苦労は買ってでもしろ、と昔の人はよく言ったものですが、今になってみるといい思い出です。
普通では体験できないような事を体験できたし、いまも、今後も神様との関係は尽きることなく続くと思う。
息子の直家が頼朝と共に奥州征伐の後、奥州守護の一人として本吉桃生郡を賜るが、直実が出家して蓮生坊として宗教家の道を歩むようになったため、「直実は実力もあったがプライドも人一倍あった。
出家の時も頼朝から思いとどまるように説得された」 息子の直家を家督として継がせ頼朝の家来として仕えていたが、奥州征伐時に義経の生死も確認できないまま帰途に就いた頼朝に、義経の顔も知っていた直家に奥州の平泉から間もない本吉桃生郡を与えた。
実際は可也勢力を増してきた地方豪族の葛西、大崎に目を光らせることもあったと思われるが、
歴史の裏側の検証も面白いものです。
※「実際義経についての様々な説が、奥州にはあって、秘かに奥州で生き伸びていたとか、中国に渡ったとかの言い伝えがいくつかある」
 
当時とすれば重要な役職であったと思うが、事実上の見知らぬ土地での左遷生活に入らねばならなかったが、実際の直家は即奥州を治めたかは不明。※書類上は移されたが、なんだかんだで実際は、
本吉桃生郡守護赤岩城主の初代城主は直家の息子直宗でした。
直宗の兄で直次もいたのですが承久の乱にて負傷して、それが元で死去した。
又直宗の姉で二女の参珠御前は国分五郎能登守の平胤道の奥方となり、奥州、能登の安定に一役買ったのである。 ちなみにペヌエルの奥方は能登の生まれである。
今朝も、ブログについてのお説教がありました。というのも、書いていることが真実でも、傷つく人や組織があるので十分気をつけて書けと言う事である。
そんなことは百も承知で書いているペヌエルだが、本当に傷ついている人いるのだろうか。
もし、傷ついている人や組織がいるとしたら、問題である。
ペヌエルは、インターネットは事実を真実に伝えあう道具だと思っている。 聖書の失楽園以来、人間同士のコミ二ケーションは正確さを欠いてきている。そのため多くの事件や事故の犠牲者も人が増えるにつれて多くなっている。 「ペヌエルの家系は武士の期間も多く、仕事のように戦に明け暮れていたようだが、戦場では一瞬の情報伝達のミスが命に直接関係してくる。
現代のような平和な日本には考えられないことだが、数百年前では当たり前のこととして、まず命を第一に考える、味も素っ気もないようなことを、グッと注入するように伝達しなければならない。
気合も必要だし、何度も言わなければならない。 命にかかわることだからこそその場は非情な人間に見られるかもしれないが、あの失楽園の事件、事故の二の舞にならぬように十分確認していきたいものです。 ※何処かの宗教組織では 「本人の意識」 を改善すれば事件、事故は防げる と言っているが
ペヌエルは不十分だと思っている。 「事実を真実に伝えあって確認する」 事が一歩踏み込んだ改善と思うのはペヌエルだけだろうか。 こうした 「突っ込み」 の姿勢が嫌がられる内容なのだろうか。
 
いずれにしろ、奥方の機嫌を損ねると問題になるので、ひとまず、しばらく叩くのを控えます。
※叩くのはキーボード※ 汗  
法隆寺の七不思議とは何か 「人々を魅了した謎伝説」
法隆寺の 「七不思議伝説」 とは何か。 それに言及する前に、そもそも法隆寺自体が歴史的に謎に包まれてきた寺だと踏まえておきたい。 法隆寺は、聖徳太子が創建した奈良を代表する大寺院の一つでありながら、
聖武天皇の勅願時であった東大寺などに比べ、草創の歴史はほとんど知られておらず、歴史の表舞台にも登場しない。 正史とされる 「日本書紀」 にも 「法隆寺」 と云う名称は、たった一つ出ているだけである。つまり
天智九年 「670年」に火事で焼失したという事で記述されているだけなのだ、「もっとも日本書紀には、法隆寺の古名である 斑鳩寺 として3か所出ている、それにしても他の寺に比べてそっけない扱いなのである」
しかも、天智9年の火災による焼失後、誰が再建したのか、その記録すら残されていない。 これは大きな謎と
言わなければならない。 そのほかにも法隆寺には、他の緒寺と照らし合わせても説明しがたい史学、建築、
美術上など諸分野の謎が、数多くあり、専門の学者達によって現在も論議されている。
そのこと自体が、法隆寺の謎の深さを物語っている。 法隆寺にはそうした専門分野の謎とは別に、俗信的と云うか、迷信的なレベルの謎も多く、次のような七不思議伝説が中世ごろから伝わってきたとされる。
① 法隆寺にはクモが巣を作らない。 ② 法隆寺にいる蛙には片目がない。③ 法隆寺には雨垂れの跡がつかない。 ④ 南大門の前に鯛石という奇石がある。 ⑤ 夢殿の礼盤の下に汗をかいている。 ⑥ 五重塔の相輪に鎌がある。 ⑦ 不思議な伏像がある。
クモやカエル云々と云ったように、なんともたわいのない眉つばものの説も混じっている。 むろん法隆寺にはクモの巣もあり、また片目だけの特異なカエルがいる訳でもない。 雨垂れのあとも当然存在する。
上記のほかにも法隆寺には、雀が伽藍の堂塔に糞を掛けないとか、東院舎利殿に安置された舎利に太子の姿
が見えるなどの伝説もあり、それらを七不思議の中に当てはめる場合もあるようだ。
ではなぜ、法隆寺にはこのような伝説が伝えられてきたのだろう。 端的にいえば、七不思議伝説は、太子信仰
を極端に推し進め所産の一つなのである。 熱心な太子信仰を持った法隆寺関係者が同寺独自の七不思議伝説を編みだし、それが口コミなどで広がることになったのだろう。
 

セピア色の宝石の歴史

甘くて濃厚なチョコレート
ひと口食べただけで、口の中に広がる香りは
何とも言えず幸せな気分にしてくれる、
不思議な魅力をもった食べ物です。
その歴史は約 4000年にも及び
コーヒーや紅茶が登場するはるか昔から
人間の生活と密接な関わりを持っていました。
飲み物から食べ物へ、そして古代から現代へ
今も私たちを魅了し続ける。
チョコレートの始まり
チョコレートの主原料はカカオです。そのルーツは、アマゾン川上流地帯およびベネズエラのオリノコ川流域と
「メソアメリカ」 と呼ばれた中南米地域の一帯。特にメソアメリカには、「オルメカ文明」 「マヤ文明」 「アステカ文明」 など、紀元前から紀元後にかけて、いくつもの文明が栄えましたが、カカオは常に彼らの生活の中心にありました。古代メソアメリカでは、豊かに実をつけるカカオは豊かさのシンボルとして珍重され、神々にもささげられてきました。栽培もおこなわれ、カカオは様々な役割を担うようになります。たとえば通貨として利用。その価値については時代の変動がありますが、1520年ごろでは、カカオ 100粒が奴隷一人の値段に相当していたそうです。 通貨以外にも、交易品として物々交換されたり、誕生、成人、結婚、収穫など、様々な儀式の際にも必ず用いられてきました。また、カカオには優れた薬用成分含まれています。先人たちは此の事をよく知っていて、歯痛、炎症、強壮、解熱などカカオを万能薬として広く利用してきた。
いろいろな役割を持つカカオですが、勿論、一番利用されたのは食用としてです。最初は、中に詰まったカカオ豆を生のまま食べていましたが、偶然にもローストした時に放つ芳香と味わいの良さを発見。以来、焼いたカカオ豆をすりつぶして飲用するようになりました。これが 「飲むチョコレート」の始まりです。
そうはいっても実際は 「すり潰したカカオ豆に水を加え、さらにトウモロコシの粉やトウガラシ、アチョテ 「食紅のようなもの」 や数種のバニラを混ぜて泡だてた、かなりドロドロとしたスパイシーな飲み物で、現在のようなチョコレートドリンクとは程遠いものでした。また、チョコレートという名前が登場するのはずっと後のことで、当時は
「カカワトル」 カカオの水 と呼ばれていた。
続きは田舎の食卓へ。

華美の文化の麹たち

米、麦などの穀類や豆類、あるいはフスマ、ヌカなどにカビを繁殖させたもの、それが麹である。清酒、焼酎、味噌、醤油、さらに漬物に至るまで、我が国の伝統的発酵食品は麹造りに始まる。
酒麹の例にとってみよう。穀類を原料とする酒類の醸造には、麦芽法と麹法とがある。麦芽法は麦芽自身がもつアミラ―ゼによりデンプンを糖化する方法で、西洋におけるビールがその代表である。いっぽう、麹法はカビが生産するアミラ―ゼによって糖化を行うもので、中国や日本など東洋一帯に広がっている。
食文化的には東洋は麹文化圏と言える。処が同じ麹文化圏でも、日本の麹技術は独特なものである。粉食(穀物を粉にして、加工して食べる) を主としする他の国々では、原料の穀物を粉にし、水で固めてカビを生やす。
水分の多いこの原料にはクモノスカビ、または近緑のケカビがよく生える。 これに対してわが国では、粒食(
穀類を粒のまま炊いて食べる) が主体であり、蒸した米を原料とする。用いるカビは麹菌(麹カビのうち、麹の製造に用いられるもの) である。水分の少ない蒸し米には、麹菌はもっとも相性がよいのである。
 
稲穂に寄生するカビから、長年の選択、淘汰により育成された麹菌。此のカビこそが清酒、味噌、醤油など、
我が国独特自の醸造技術を築き上げてきたと云っても過言ではない。
麹菌の主な働きは、原料成分の分解である。 米や大豆に含まれるデンプン、タンパク質、油脂を、ブドウ糖、ペプチド、アミノ酸、脂肪酸などに分解する。清酒や焼酎では、酵母が此のブドウ糖をアルコールに代える。味噌や醤油では、酵母や乳酸菌がアルコールのほか、有機酸、エステルなどの香気成分をつくりだす。
もろみに生息する様々な微生物の共同作業が、あのまろやかで芳醇な風味を醸し出す。麹菌は、日本伝統の味、微生物利用のルーツである。

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