|
樹木の不思議な生命力
樹木は伐られた時、第一の生を断ちますが、それから木材として第二の生が始まり、その後何百年も生き続ける。ヒノキの場合は、優に1000年を超えると云うが 「実際は年輪が1000年ぐらいのヒノキの場合」 息の長い話になる。以前法隆寺の話題でも紹介した通り、伐られて300年間は徐々に強度を増していくとも言われる。
森林とは、樹木とは、植物とはいったいどんな仕組みで成長するのか、その成長の本当のメカニズムはどうなっているのか、不思議な生命力を支えているのは何か―――残念ながらいまだに解明されていない。
自然科学の分野はまさしく解明されない部分の寄り集まりであるだけに、様々な仮説も可能でしょうし、そのメカニズムの推定も許されるのです。
樹木の恵みを最大限に受けられるのは、自然の中での森林浴である。森林浴の医学的効果の第一に挙げられるのは、フィトンチッド効果です。この 「植物の不思議な力」 についての研究でも、同じことが言える。
「フィトンチッド効果」 の発見は、まさに 「植物の不思議な力」 の証明の一つだったかもしれない。
これは発見者であり名付け親であるレニングラード大学のB・P・ト―キン博士自らが 「植物の不思議な力・フィトンチッド」 (神山恵三との共著、講談社現代新書、1983年) の中で述べている通り、まだ研究領域も広くなく
その医学的効用が基本的には確証されていないのが現状だ。しかし植物が持つ力とメカニズムと経験的な生体効果は、一般的には広く学者によって認められている。
我が国では、ト―キン博士の研究を追跡研究する形で神山恵三博士が積極的で着実な実験を続け、学会での発表も積み重ねられてきました。しかし同博士も、誰もがこれだと確信のもてる実証的確認を得るのはかなり先の事であり、温泉療養効果と似て、周辺の諸科学―――医学、生気象学、運動生理学、精神衛生学、社会心理学など諸方面からの関連する研究の相乗効果によって、素晴らしい研究成果が期待できると述べている。
トーマス・ク―ンは、科学革命を推し進めるためには、古い概念から新しい概念へ進展させる、パラダイム 「
ある科学者の集団が共通にもつ知識・ 教育・ 目標・ ルール」 などの転換、つまり関連諸科学がなじめない領域や既成の概念を超えて物を考える新たなパラダイムが望まれる。と指摘している。 「科学革命の構造」 みすず書房。 このことはフィトンチッド効果の研究でも、宗教界でも言えることだ。
植物の殺菌作用
すし屋に入って、カウンターの前に腰掛けると、すぐ目に付くのが、氷の上にトロとかゲソとか海老が入っているガラスケース。そこになぜか杉、紫蘇などの葉や枝が入っている。同じように、どこの料理屋でも、刺身を注文すると必ず、大根の千切りや紫蘇の葉、わさびおろしがついてくる。桜餅、柏餅、笹団子、ほう葉味噌などわたしたちの生活の中には、食物を植物の葉でくるむ習慣がある。香りを引き立たせ、食物を長持ちさせるなどの効果があると考えられ、生活にとけこんでいる。確かにこれらの葉には、薄いサリチル酸が含まれており、一定の殺菌効果が立派に働いている。また、松林の中は強烈な油脂の匂いがする。 松林の近くには堆肥場を作るな、ミミズ一匹育たない。 総ヒバ作りの家には三年間は蚊が入らない。などと云う伝え話がある。
神山恵三博士はこれらについて次のように説明している。
「植物には、それぞれ特有の発散物質がある。植物は絶えず微生物に狙われているが、逃げることが出来ず、
少しでも弱るとすぐ微生物に襲われ、カビが生えたり腐ったりしてしまう。
植物が生きながらえて行くためには、それらの微生物に対し抵抗しなければならない。その抵抗物質の事を
ト―キン博士は、フィトンチッドと呼んだ。フィトンとは植物、チッドとは殺すというロシア語である。
森の中に一歩足を踏み入れると、ほのかな清々しい樹脂の匂いが森いっぱい漂っている。これらの芳香物質は
植物が周囲の微生物から身を守るために発散している。この芳香物質を発散している植物体をフィトンチッドと呼んでいる。その中には揮発性の高い、テルペン物質が多いこともわかっている。
テルペン物質の薬理作用「続きは次回」
|
自然の景色
[ リスト | 詳細 ]
全1ページ
[1]
|
森と人間
ベートーヴェンの有名な言葉の一つに 「リズム、メロディ―、ハ―モ二―」 ・・・・・・これだ。
この三要素を理解し、平等に組み立て、そして主題の求める個性にどう対応するかだ」
と云うのがあります。名曲と言われる音楽の構成が、このリズム、メロディ―、ハ―モ二―によって、
巧みに組み合わされ表現されているのと同じ意味で、私たちの身近にある森林には、
真の愛情が生まれ、憧憬を抱く条件が考えられる。
森と日本人
鮮やかに区分されている四季の変化の中で育った私たち日本人程、古来、自然に対しより強い情感を抱き、
賞讃の言葉を余すところなく与えようとする心をもってきた民族だ。
とりわけ森林は自然の中で一番人間と関わりも深く、また日常空間の身近に存在していることから、
昔から物質資源としての森林、環境保全の森林、そして精神生活に潤いを与える森林 など、
多方面な姿を人間に示してきた。
「古事記」 や 「日本書紀」 に登場する樹木は五十三種ともいわれ、ヒノキは宮殿に、杉とクスノキは舟に、
槇「マキ」は棺に使えと説いたとあります。 木材と云う物質資源によって、生活様式を支えてきた、
日本の生活史は、当然、木を中心とした日本文化と芸術を育ててきました。
国土の三分の二が森林で覆われている日本では、他のどこの国にも増して、森林はいつも手近に、
手の届く距離にある。 此の事は昔も今も変わるところがありません。
所が、よく森林の育つ立地とか地形をみると、その多くの部分が、人も機械も寄せ付けない山岳地帯によって
占められている事にきずきます。そこに、山と森林とが、同義語に近い受け取り方がなされてしまう傾向がある。
此の事は当然日本人の自然に対する見方にも独特な視点を与え、山岳信仰とか自然崇拝の素地がここに秘められているといえる。
人も寄せ付けない山岳、その自然の奥行きと神秘の深さに対する畏怖、自然の神秘とその威力を知ることが深ければふかいほど、人間は自然に対して従順になり、逆らわずに、自然を師として学ぶ、ということになる。
日本人の考える自然とは、宗教心に近いものであり、こうした自然観は、庶民の憩いの場といった発想とは、
無縁で、高僧や剣豪の瞑想の場であったり、修験道の場であったり、さてまた世捨て人が暮らす幽玄の世界のイメージにつながる。また、もっと身近な 「鎮守様の森」 の発想もある。
社寺の森、御神床の巨木にはそこを訪れる人の心の安らぎ、くつろぎを与えるだけではなく、その一人ひとりの
行く末を見守る慈母の心を感ずるという。
森の美しさ
いろいろな形の森林をみる日本人は、温泉場、高原、山岳、北国、南国と様々な森林のつくる風景は美しいものです。美しい森林は多くの人を魅了する大切な要素だ。
森林の美しさが良い森林に直結できるかどうかは別として、美しく感じるのは個人差が大きい。
森林と云った自然形態ならなおさらである。そして、森林の美しさには視覚がまず大切ですが、それだけでは
人を招きいれる要素としては役不足です。森の中で植物、小動物の息使い、木々の梢の語り合い、
沢の水の音、木から発散するフィトンチッドの芳香、林内の冷気、清い水、山菜、きのこの味・・・・・・
美しい要素としてこれらを加えると、形だけの森の感覚に肌のぬくもりのある包容力のある森林の美を感じ取れる事でしょう。 どの分野どの世界でも、一流を超えた世界に見えてくるもの。リズム、メロディー、ハーモニー
の要素が神と顔と顔を合わせて出会える場なんだと聞こえてこないだろうか。
|
|
中国の思想では黄色を最高の色とし、それが我が国へも輸入されたので、黄色い花の福寿草は、
めでたい花のなかでも優れたものとします。元旦草、賀正蘭、報春花、献歳菊などの別名があるのは、
正月に咲くめでたさを表したものです。花言葉も幸福を招く、年を加えた喜び、年の初めの希望と
良いことづくめです。キンポウゲ科の宿根草で、多くの品種がある。
冬の寒さは私たちの体や心にも影響を及ぼし、とかく憂うつな気分になる。加えて感情や精神を司る肝の経路の
流れが滞ると、今まで気にしなかった人の言葉にくよくよしたり、いらいらして怒りっぽくなったりする。
また肩こりの症状が出たり、不眠症になったりする。
そんなとき、春一番に咲き、縁起の良い報春花の花を飾ってください。福寿草が持っているエネルギーが
私たちの体にぬくもりと希望を与えてくれる。高ぶった気を静め、気のバランスを整えてくれるはずです。
|
全1ページ
[1]


