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山の仙人になりてぇなぁ〜
自然・山・川・農業・狩猟・生きると言うことについて・・・

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困難な事が好きな訳 




オレは今度の年に50歳になる
オレの同級生の殆どは50歳になった

もう1世紀と言う長い100年の半分も生きてしまった

この50年を思い返してみると
どうも自分でも普通な人らしい生活というか
そういう生活とは著しい違いがあったような気がする

長野のレタス農家の長男でそれなりの規模の家の跡取りだった

小学校では、競馬馬の様な気分でスピードスケートをさせられ
中学校に入る時には、その反動で
絶対にスケートはしたくないと
中学校の先生が、小学校のうちに我が家に介入に訪れたのに
それを断った

冗談じゃない、オレは親父の馬じゃないし
そういう勝負も好きじゃない
才能や期待などは犬にでも食わせろ・・・

そんな思いだった

中学校では、大人しい普通の姿だったと思うが
それは姿だけで、中身は激しかったような気がする

農家の息子なので、農業高校とか普通科に進学を勧められたが
どうせ一生農家をするんだから
3年ほどの勉強はほかの事をしたいと
電気科の高校に進んだ

入学当初は学年でも優秀だったと先生から聞いたが
卒業時には、学年でケツから2番目だったとハッキリ言われた
見た目は大人しそうな真面目な学生服のオレだったが
2度停学処分を受けた事がある
3度目には退学と言われ、危うい事もあったが

その2回については、人様の始末をオレが受けたようなものだ
つまり、お前がやったのだろうという問いに
真犯人を知っていながら、オレは何も否定しなかった

学校や教師が自分の責任で調べろよ・・・
お前らが俺に処分を科すのだから、お前らの責任でやればいいじゃん
そんなカッコいい事を言って、2度長期休暇を貰い遊ばせてもらった

通った学校の普通科には女子はいっぱいいたが
オレの電気科クラスには2〜3人の女子しかいなかった

たぶん、時が過ぎてから思い起こせば
オレは、ある程度モテていたような気がするが
超硬派を自分で思っていたので
女子とは口もきかなかった
というより、激しい照れを見透かされるのが嫌で
女子に優しくなれなかったのだ

下宿は最悪だったが
学校ではそれなりにモテた気がしたから
今思えばもったいない事をした・・・・


オレは、高校時代下宿生活だったので
それも、1・2年の時は女子専用ボロ下宿に無理やり押し込まれ
小さくなって大人しく死んだように暮らしていたのだが
その下宿生活は、苦痛以外の何物でもなかった

夕方暗くなるまで夜になるまで友達とフラフラして
下宿に帰ると、イヤホンでラジオを聴きながら本を読む生活
帰ると殆ど動かないで、寝て起きて学校に通うだけ
部屋で動けば、ボロ屋の下宿のババアが
オレが女子の部屋に夜這いを掛けると思い
すぐに部屋にやって来て、部屋をのぞき込みやがった

オレの青春の2年間は
夜になると大人しく止まり木に止まって寝てる鶏の様な生活だった

3年目に下宿を移動し
男子だけの開放的な下宿になった
この一年間は、非常に密度の高い充実した学生生活ができた
相変わらず俺について歩く女子はいたが
その娘と手をつないだ事もなく、冷たくあしらってばかりだった
秋の日暮れの部室で、オレの前で裸になって、
「私の事が嫌い・・・」なんて言われた事もあったが
「女の価値が下がる、下らん事はするな」
などと、下半身が爆発しそうになりながらも
高倉健が言いそうな、心にもない事を言って、泣かせたりもした
そして、3年間何もなかったが、可愛い娘だった
しかし、それより
男友達と一晩中外でウロウロしたりしてるだけで面白かった

週末、下宿から家に帰ると・・・
家に帰らなないで、友達の家で音楽を聴きながら
一晩中話してる事が多かった

そういう友達は、みんなまじめでインテリな友達が多かった
アインシュタインの相対性理論がどうで、タイムマシンがなにした
ユングがどうした、原発がどうだ
CWニコルさんがどうだから、アイザックアシモフがああだ・・・・
などと、およそ不良とは縁もないような話を朝までしたものだ

そうでなければ、リックに荷物を突っ込んで
山に登ったり、テントを張って野宿したり

イメージ 1
(お正月の酒樽とお米を持って山小屋に荷あげのオレ)

そんな事ばっかりしていた

友達はみんな優秀で
そんな俺に付き合いながら大学に進学した
東京6大学や有名国立、私立に入る奴も多かった

オレのクラスの奴らはあんまし優秀じゃなかったが
同級生や先輩はみんな優秀だったのである

おれは、勉強が嫌いなので進学はしなかった

みんな大学に行くので
オレも2年くらい修行させろ、と、オヤジに言って
電気科の高校から、北海道の恵庭市の牧場で住み込み牧童となった
兎に角、家に帰ってオヤジと一緒だけは避けたかった

俺んちの近所の人は、オレが北海道に行ったと聞いて
北海道大学に行ったと思ってたらしいが
それは大きな間違いなのである

オレは兎に角、学校で勉強するのは嫌いだ

学校の先生には
お前は何を考えてるんだ!!
と言われたが、電気の仕事をする気など毛頭なかったし
どうせこの先レタス農家を一生するんだから
もう少し違う世界で生きて見たかったのだ


牧童と言うのは
乳牛の世話をする仕事で
当時、研修生という形で、北海道の牧場で働くみたいな
そんな事が流行ってたわけではないが、それなりに多くあったと思う
しかし、牧場で2週間持てば大したものだ
と言われるくらい、仕事は汚くてキツイものだった

ものだった・・と言われていたが・・・
オレは何も気にならなかった
朝4時に起きて、牛の世話をして、一日中働きっぱなし
夜8時ころ仕事を終えて、ご飯食べて寝る

1月のうち、朝の乳しぼり終えてから、次の日の乳しぼり前まで
たった1日の休暇しかなくて
給料が3万円だった
それでも車の免許代は牧場もちで取らせてもらった

昭和30年代の話ではない
昭和58年ころの話だ

まあ、キツイなりに身体は鍛えられるし
キツイ仕事は全然辛くなかったし
牛の餌などの配合を任され
牛乳の質が恵庭市で2位になってうれしい思い出もある

この間、町に出る事も滅多になくて
人との接触なんてのは、牧場家族のほか
獣医さんと集乳車の元やくざ屋さんだけだった
時々、自衛隊や警察の人と空手や剣道をやった

牧場にいるうちに
北海道犬とシェパードの混ざりの犬を、アイヌの人から貰った

牧場での仕事は2年と決めていたので
2年が過ぎた5月

牧場をやめた

長野の実家まで犬を連れて帰らなきゃならんが
飛行機や電車で犬をどうやって連れてくか分からんし
面倒なので、恵庭市から信州川上村まで歩く事にした

親方に送ってもらった支笏湖の畔から
長野県まで犬と一緒に歩いた

いくらか車に乗せてもらった事もあるが
8割は歩いた
45日
テントと、着替えと、鍋と、食料
リックは45キロ以上あった


旅の最期には
青梅・飯能・秩父と歩き
秩父から雲取山、甲武信岳、国士岳、金峰山と秩父縦走して
一番先に家のある村人に会ったのは、実家近くに家がある
金峰山小屋のオヤジだった


犬を連れて歩くオレの顔を見て
「お〜〜お前、どこから歩いてきたんだぁ〜」
というので
「北海道から歩いて来て、今着いたところだぁ〜」
と言うと、飛び上がって魂消たぁ〜〜と言ったのである

イメージ 2


オレは、困難と言われることが好きなのかもしれない
そう思ったのはこの時かもしれない

困難とは、やってみると
人が思うほど困難ではないが
同じ事を他人がしたと言うと
それを経験した人は、とても驚く

こういう困難や苦しみや辛さははすぐに忘れるが
人がそれをしたと言うと
凄〜くびっくりする
他人に出来る訳がないという思いではなく
同じ困難を乗り越えているという喜びと驚愕なのである


実家に帰ると
レタス農家だった

オレは時間のすきを見ては狂ったように釣りをした
フライフィッシングでイワナ釣り

親父と過ごす時間は地獄の様なものだった

辛いと言われた北海道の牧童研修など屁でもない
実の親父と一緒にいるのが苦痛なのだ

意見が合わない
性格も合わない
とにかく、馬が合わない

喧嘩をしていない時間がないくらいだった

俺に言わせれば
オレが悪い訳じゃなく、野郎が言いがかりをつけては
自分の支配下に俺をおこうとする・・・


1年レタス農家をしたら
レタス農協から農協の役員をしないかと言われ
2年の任期の役員を引き受けた
集荷場でフォークリフトの運転などして
レタスを運び、それを采配してトラックに積み込む仕事だ

これをやったおかげで
親父と一緒に仕事をすることが無くて助かった2年

おまけに、学生アルバイトが数千人働くレタス栽培地域だったのだが
どういう訳か、当時、オレは異常なくらいモテた

農家と一緒にアルバイトがレタスを持ってくる
集荷場にもアルバイトは沢山いた

あの人は、北海道から犬と一緒に歩いてきた人だ

そんな噂も流れていた

興味を持つ女子大生もやたらと多かった訳だ


農協でも仕事はできた方だと思う
弱冠21歳のオレだったが
30歳くらいの先輩にも負けないくらいに仕事はしたし
いろいろ器用だったので重宝され可愛がられた

同じころ
長野県山岳救助隊にもなったし
村の消防団にも在籍した

冬の農閑期には
仲間がみんなスケート場やスキー場にアルバイトに行ってたが
オレは、1周り以上年の離れた先輩方と
樵(きこり)をしたのである

秋から春まで、チエンソー担いで毎日山を歩き回った
鬼の様な体力と足腰が出来上がるのはこの頃だ

その足と体力をもって
山岳救助隊なのだから、おのずとそっち方面も期待が高まる訳で
鬼の積雪登攀訓練など厳しい訓練も
鬼が雪の中をモグラみたいに突き進むと言われた俺である

消防団なども
同世代の中では同世代じゃないみたいな扱いを受けてたような気がする
チエンソーを使い大きな木を切るという芸が重宝され
北海道でのいろんな経験や電気科卒という
身に付いた技量は、歳を超え信頼を集めたと思う


農協の仕事の報酬は破格だった
バブルの絶頂期
月給は21歳で45万くらいだったような気がするが
その金は、家に振り込みだったので
オレは、お小遣いをもらっていた

だけど、相棒と2回
ニュージーランドとクリスマス島と言う所に
フライフィッシングに行くだけの事が出来た


しかし
家で、オヤジと毎日喧嘩して過ごすのが耐えられなかった
いつか、殺されるとさえ思った
オレは先が長いので、人殺しして人生を棒に振るのも馬鹿らしいと思った

ついでに
失恋もした

そう言う訳で
ある日家を出た

ジムニーに
犬とテントと釣り竿乗っけて
2万5千円だけ持って

竜飛岬から車で海に飛び込もうと思った

失恋はちょっと辛かった

親父とのキチガイじみた喧嘩に疲れていた



車の燃料が尽きそうになり
持ち金も心配だったので

途中でアルバイトでもして
竜飛岬から海に飛び込む前に
旨い物食ったり、温泉に入ったり
少し遊んでからにしようかと・・・・・・

そう思って立ち止まったのが
今住んでる山形の高畠なのである

この地は、北海道から歩いた時に通った場所であった
来た時に、はっきりどこをどう歩いたのか
そう言う事を思い出したのである








続く・・・・












この記事に

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    これはすばらしい記事ですね。次号がとても楽しみです。

    あれこしぇふ

    2016/11/7(月) 午前 10:19

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    素晴らしい。早く続きが読みたい!!

    [ 小師匠 ]

    2016/11/7(月) 午前 11:41

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    楽しみ楽しみ☆

    [ 道産子 ]

    2016/11/7(月) 午後 1:05

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    山小屋の人死刑か無期だったような
    常習とか 女性一人山旅危険
    町内ですが。交流は少ない
    娘2人小学生で 爺ババ母と金峰山さくっと登った

    「熊漁師 山仙人 今は米葡萄農家」
    自叙伝 売れそう
    レタス農家 佐久農協 大富豪
    冠婚葬祭 100万単位 ベンツ何か安物とか、トラクター
    しょっちゅう 買ってますから
    親戚の爺さんのお姉さんが嫁に行ってびっくりポン

    [ jh1*mk ]

    2016/11/7(月) 午後 1:51

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  • 人生の道ですなぁ。

    [ やじお ]

    2016/11/7(月) 午後 6:08

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    ところどころ共通する部分があり感慨にふけり読ませてもらった!

    [ 知床桜 ]

    2016/11/7(月) 午後 6:13

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  • まさに仙人の履歴書ですな!
    日経に1ヶ月連載できるくらいの内容。
    本にしてもいいと思う。
    続きが楽しみです♪(^-^)

    [ Lupin ]

    2016/11/8(火) 午前 5:55

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    > あれこしぇふさん
    あんまし期待されると書けなくなる〜〜〜

    kuma仙人

    2016/11/8(火) 午後 5:32

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    > 小師匠さん
    凄く粗削りなあらすじみたいな感じですが・・・
    これだと第2回で現在に至りそうです

    kuma仙人

    2016/11/8(火) 午後 5:32

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    > 道産子さん
    第2回は泣かした女の・・・いや・・・女に泣かされた特集にしようかなぁ〜〜(笑)

    kuma仙人

    2016/11/8(火) 午後 5:33

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    > jh1*mkさん
    山小屋の関係者がやばい人と言うのは、「春を背負って」という小説じゃないですか?あれは、国師と甲武信の中間あたりの架空な山小屋の話です
    金峰小屋の親父は、良い人でしたが交通事故で亡くなってしまいました
    そうです、川上村はストレンジな村ですね〜〜

    kuma仙人

    2016/11/8(火) 午後 5:35

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    > やじおさん
    まあ、そんなに波乱万丈で、人様にご披露するほどの話でもありませんが
    100年の半分くらいを期に、少し記録しておこうかと思いまして・・

    kuma仙人

    2016/11/8(火) 午後 5:36

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    > 知床桜さん
    オレもこれから、髪の毛の塩梅が知床兄さんと共通して来るので
    楽しみです

    kuma仙人

    2016/11/8(火) 午後 5:37

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    > Lupinさん
    ん〜〜そんなに変わってないというか、激しい人生でもありませんよ
    ここまで、なんだか、あんまり価値ある生き方が出来ていないというか、とりあえず、目の前にぶら下がった人参を求めて突っ走る馬みたいな感じで・・・・
    まあ、あと何回か、ノンビリ書いてみたいと思います

    kuma仙人

    2016/11/8(火) 午後 5:40

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    麓 登山口の小屋だから別の小屋みたいですね。
    殆んど泣き寝入りで、凄い人数だったとか
    今 無人ですが管理はされてます

    川上 今は 中国管理労働者 結構稼ぐとか

    「犬と1000km」だけでも本
    欧州難民 悲惨でお話にならない距離

    [ jh1*mk ]

    2016/11/8(火) 午後 9:26

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    > jh1*mkさん
    あ〜〜〜!!みずかき山の山荘の事ですね!!!
    川上は今は外国人ばっかりだそうです
    オレも、5年くらい村には帰っていません
    世界中には悲惨な人が悲惨なほどいますね

    kuma仙人

    2016/11/8(火) 午後 9:38

    返信する

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