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今日は8月15日。
阿見町のお寺のお坊さんが、お経をあげに来てくれました。
曹洞宗のお坊主さまで「甘露門」というお経でした。
ご先祖さまのご供養だけではなく、集まった方々皆さん(霊さん?)をご供養して、
その功徳がご先祖さんに届くのだそうです。
毎年来てくれるお坊主さま、ニコニコ笑顔の方です。
今日は、終戦記念日。
「ということは、お父ちゃん、この日から大変だったの?」
終戦を父は満州で迎えました。当時17歳。15歳のとき、少年義勇軍として、
満州国へ行き、17歳で終戦。ソ連軍が攻めて来て、それはそれは地獄の日々。。
7〜8回、もうダメだと思った時があった。。でも生きていた。
シベリアへ送られるところを、「まだ少年たちだから」と進言してくれた人がいて、
炭坑で働いて生きて来た。炭坑でも何回が事故が起きて。。
今は誰と話しても、ひょうきんで明るいと言われる父。
戦争の話も、何だかおもしろ可笑しく話すのですが、
私が忘れられない言葉は
「死ぬと思っていたから何も怖くはなかった。ただ、腹が空くことがとても辛かった。」
まだ17歳。。一番の食べ盛りだもんね。。
ソ連兵たちの宿舎に、少年たちは「掃除をします」と言って入り、
食堂のパンをみんなで盗んで食べた。見つかれば銃で撃たれる。。
死ぬより空腹が耐えられなかった。
満州国での灰色オオカミや熊や雉の話や、
現地の人々の話は、とても楽しい。
満州での夜明けはすごい。。。
はるか地平線の彼方から太陽が登った。。。とその瞬間に、
父の後ろ、はるか続く平原の後方までずっと影が伸びるんですって!!(巨人の影?笑)
15歳で異国で行き、終戦の動乱を生きぬいて、19歳で帰国。
焼け野原東京で、くず鉄集めたり、食堂で働いたり。。
それを友だちが全部もって逃げてしまったり。。
母と結婚した頃、父は短気でどこかすさんだ人だったらしい。
母は戦争の辛さを味わったからと思っていた。
年をとって、いつの頃か明るいひょうきんな人柄に。。
うん、、この父の娘です、、
元気でいなくちゃね☆☆
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