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ほぼ一か月振りの更新です。おまたせ〜!って誰も待っていないか・・
壊れたパソコンに代わって、我が家にもやっとノートパソコンが日曜日にやってきた。とりあえす自宅でもブログやれる事になりましたが、壊れたCDプレーヤーの替わりはもう少し先。
日曜日に久しぶりに本屋へ行った。新刊売り場にエラリー・クイーン著‘Xの悲劇‘の角川文庫版が並んでいた。見ると20年ぶりの新訳ということで、予定外の購入。‘Xの悲劇‘は推理小説の大傑作なのですが、今回の話は、この角川文庫版が5冊目ということ。もちろん、同じ本なのだが、翻訳者が違う。
有名な作品は翻訳権が切れると、様々な出版社から違う訳がでる。最近では‘星の王子さま‘なんかたくさん出ましたね。
そもそも翻訳とは厄介なもので、だれが訳しても違ったものになるのは当たり前。良いも悪いも翻訳者の個性が出る。本来、翻訳とは元の言葉を単に近い形で言い換えたに過ぎず、乱暴に言ってしまえば原案が誰それの翻訳者の文章だと思う。外国の作品は原書で読むしかない・・・といっても私を含め、普通の人はなかなか出来ることではないので、どうしても訳書に頼るしかない。
厄介な事に、私は音楽の聴き方と同じく(あくまで表面的な面として)気に入った本は、違った訳が出ると買って読みたくなる。本質的に意味がないのはわかっていても。
英語であれば原書を買って(なんとか)比べながら楽しんでいる。たとえばシャーロックホームズなどは原書と7種の訳で持っている。困るのは英語以外。昔、ドストエフスキー、ハイデッカー、ニーチェなどを原書で読みたくてロシヤ語やドイツ語の入門書を買っては見たものの、読めるようになるはずもなく、結局訳書だけが頼り。
ドストエフスキーの罪と罰も去年、亀山氏の訳の一冊目がでて7種の訳がそろいましたね(笑)
ちょっと長くなりますが、具体例でも。どれが良い悪いではなく、言葉遊びの気分で。
罪と罰より、主人公のラスコーリニコフの様子から。
< 中村白葉 訳 >
翌日彼は、不安な睡りのあとで、もう遅くなってから眼をさましたが、睡りも彼を力づけてはくれなかった。彼はむしゃくしゃした、苛立たしい、ひねくれた気分で眼をさますと、憎悪に満ちた眼でじろじろと自分の小部屋を見まわした。
< 米山正夫 訳 >
彼は翌日、不安な眠りののちに、もう遅くなってから眼をさました。しかし、眠りも彼に力をつけなかった。彼はむしゃくしゃといら立たしい意地わるな気持で眼をさますと、さも憎々しそうに自分の小部屋を見まわした。
< 江川卓 訳 >
彼が翌日、不安な眠りから目をさましたのは、もう遅かった。だが、眠ってても元気にはなれなかった。不機嫌な、とげとげした、腹だたしい気分で目をさまし、自分の小部屋を憎々しげに見まわした。
< 池田健太郎 訳 >
あくる日おそく、彼は不安な眠りから目をさましたが、眠ったのに元気にならなかった。むしゃくしゃした、いらだたしい、不機嫌な気持ちで目ざめると、彼は憎悪をこめて自分の小部屋を見まわした。
< 工藤精一郎 訳 >
彼は翌朝おそく不安な眠りからさめた。眠りも彼に力をつけてくれなかった。彼はむしゃくしゃするねばつくような重い気分で目をさますと、憎悪の目であなぐらのような自分の部屋を見まわした。
< 小泉猛 訳 >
翌日おそく、彼は不安な眠りから目を覚ましたが、眠りも彼を元気にしてはくれなかった。苦々しい、いらいらした、意地の悪い気持で眼を覚ますと、彼は憎悪の目で自分の小部屋を見まわした。
< 亀山郁夫 訳 >
翌日遅く、彼は不安な眠りから目を覚ましたが、眠りによっても元気は出なかった。不機嫌でいらだたしい、むしゃくしゃした気分で目を覚ますと、憎々しげに部屋のなかを見まわした。
といった具合で微妙な違い。訳によっては雰囲気、印象すら変わる場合もある。もちろん、誤訳はあってはならないはずだが、これが世の中には結構あるらしい。
音楽は言葉と違って全世界共通です。翻訳など要らない素晴らしいものです。
それでも、音符から読み取れるもの、音楽から感じ取れるものは人様々。
同じ曲でも演奏者によって驚くほどはっきりとした違いが出る。このことはある意味とてもすばらしいことではないでしょうか。もちろん、あまり自分勝手なものは困りますが。
久しぶりなので長くなってしまい、読んで下さった皆様、すみませんでした。
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