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先週チーム佳江で奈良へ旅行しました。 チーム佳江は息子と病気に成ってから欠かさず週1度私を見舞ってくれて、 サポートしてくれた、息子の友達、私の親友の4人です。 偶々名古屋に居る甥から電話があり、この旅行の話を聞き参加したいと言う事で、彼は車で、 近鉄奈良駅で待ち合わせという事で、朝10時頃の新幹線で出掛けました。 奈良は初めてではないのですが、年を経て行けばその時その時で違う感動を与えてくれる、奈良が好き でどうしてももう1度行って置きたかったのです。 近鉄奈良駅には1時半頃着きました。 奈良駅の喧騒から1っ歩路地を中に入るとそこはもう興福寺の境内で、一気に喧騒が消え、 広大な静 寂の中 時間軸も違う、別な時空の中に入り込んだ不思議な気分に襲われます。 ユックリと境内を散歩し、その足で奈良公園をぶらぶら散歩しながら東大寺を目指す事にしました。 途中、猿沢の池の周りを巡り、鹿を追っかけたり、3分咲き位の桜に喜んで、(東京は桜満開だという のにね)歩き疲れ、小さな店の飯台に座って、お汁粉を食べたり、他所の子が鹿に煎餅やるのを眺めた り何が有ると言う訳ではないのに、楽しくって、ケラケラ笑いながら東大寺に向かいました。 興福寺の歴史 興福寺は法曹相宗の大本山として知られています。 その前身は飛鳥の「厩坂寺」であり、さらに遡ると、天智朝の山背国「山階寺」が起源となる。 その山階寺は、天智8年(669)に藤原鎌足が重い病を患った時夫人が夫の回復を祈願して、釈迦三 尊、四天王などの諸仏を安置する為に造営したものと伝えられている。 その後応仁の乱(672)の後、飛鳥に都が戻った際に移築され、地名を取って厩坂寺とされました。 平城遷都の際、藤原不比人等の計画により、移されると共に「興福寺」と名付けられた。 その後、天皇や皇后、藤原氏に手厚く保護され、平安時代に春日大社の実権を手中にに収め、大和国を 領する。又、鎌倉、室町時代には山和国の守護の任に当たり、徳川政権下では、地検で、春日大社興福 寺合体の知行として2万1千万石と定められた。 その後、明治時代、神仏分離令、廃仏毀釈、社寺上地令などで荒れ果てましたが、寺僧有縁の人々の努 力で復興し新たな興福寺としての歴史を刻んでいる。
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くにちゃん、今晩は。念願の奈良にいかれて興福寺もいって猿沢の池もまわり鹿も見て奈良公園までいかれて楽しかったでしょう。それからまだ東大寺にいかれたのですか?後は疲れが出ない様にゆっくりしてくださいよ。一度に無理をしてはいけませんよ。くにちゃん奈良に行く時は携帯しますと行っておられたので待っていましたが掛かってこなかったので心配していました。元気で行ってこられてこれで私安心しました。又こちらの方にこられる時があれば連絡してくださいね。
2007/4/5(木) 午後 9:34
さくらさん、コメントありがとう。2泊3日の旅でした。帰って3日は寝てましたね。電話しないでゴメンネ。時間がなかったの。どうしてももう1度さくらさんや岸和田に行きたいので、待っててね!
2007/4/6(金) 午前 2:14 [ kunichan ]
旅行の楽しかった様子が伝わってくるようです^^ 「自らを正しくととのえ 次に他人に教えよ」 いい言葉ですね。 クニちゃんさん、教えてくださいね^^
2007/4/7(土) 午前 0:53
矢車草さんコメントありがとう。とっても心に沁みる言葉だよね。自らが正しいかどうかを客観視出来るかどうかだよね。そこが一番大切な事だとこれを読んで感じました。難しいよ!!
2007/4/7(土) 午前 1:45 [ kunichan ]