腹膜ガンからの逃亡中

癌と戦いながら、いかに日々楽しみを見出すか挑戦です。

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病気と心

其の時々の思い

  其の時々私がどう思ったか、二年も過ぎた今思い出すのは難しい。
初めて入院しなさいと言われた時、私は随分簡単な病を想像していたと思う。よく膝に水が溜まったなどの話を聞くが、「おなかに水が溜まっています。直ぐ入院したほうが良い」と医者に言われた時も、其の程度にしか考えていなかった。
 お粗末と言えばお粗末だが、知識がないのと、自分の健康に故の無い自信を持っていたから、それ以上のことは考えられなかったのである。ましてや、ガンなど想像もしていなかった。ガン体質は遺伝すると巷では言われているお伽話を私も鵜呑みし、家系はみな高血圧が原因の脳梗塞で亡くなっていたから、寧ろ寝たきりになることのほうを恐れていた。

 入院して、私は有るとあらゆる検査をした。最初の二週間で、血液検査はもちろん、腹水を取っての検査、婦人科の検査、乳がんリンパ腺、胃カメラを飲み、内視鏡の検査、℃Tと。結果医師の言葉は「解らない」だった。其の頃子供たちは、「末期癌」の宣告を受けていたらしい。
 その頃はもう三日に1度の割合で腹水を抜いてもらわないと苦しくなっていた、最後の検査だと言って、
MRIの検査を受けることになった。
検査をするとき突然、直行が「MRIも中は面白い音が聞こえると言う」といいだした。どんな音がするのか、一生懸命聞いてみたが。ロックが聞こえた。みんなで大笑いした。少しピリピリして来ていた私を和ませてくれた数少ないエピソードだ。結果は二週間後に出ると言う。
担当の医者に「ガンではないんですか?」と探りを入れたが、「がんだったら治療もせずにほっときませんよ」とはぐらかされたのも其の頃。 既に息子たちは、「末期癌」の宣告を受けていたらしい。私にはまだなぜか解らないとしか教えてくれなかった。確かにどこにガンが在って、腹水が溜まるのか医者にもわかっていなかったようなのだが。 
 
 私のお腹は、腹水のため妊娠八ヶ月の様子だったので、看護士さんに「妊婦さんは一階下の病室です」と言われ、妊婦と間違えられてしまったなんて本当に合った笑い話。
私は覚悟を決めて、「結果が出たら私も話を聞きたい」と医師に通してもらっていた。
そして其の時、映画やドラマでよく目にする場面だ。三人で待っていた私たちに、婦長さんが「國田さん」と呼びに来た。私たち3人が腰を浮かすと、婦長さんが慌てて「お兄さんだけチョット」と言う。なんと下手な遣り方、これでは私に癌だと解ってしまうではないか?と思っていた。後々聞いた話では「末期とは言わず、卵巣がんの初期。」と告知しますと言う密談だったらしい。其の上で自信の無い医師はペットという、癌がどこにあるか一目でわかる機械での検査を進めてきた。
其の時は「もう何でもやれるだけの事はやってみよう」と言う気分でいた私は横浜まで行って其の検査を受けた。付き添ってくれた佳津彦が、検査が終わってから、横浜のラーメン館に連れて行ってくれた。
懐かしい北海道のラーメンなど三種類少しずつ食べた。初めて長男と2人での一刻、忘れられない味で、良い思い出になった。
「良いことも有るじゃない」

こうして、其の病院での40日は終わった。
ペットの結果を見て医師は「此処の婦人科の先生が治療を始めたいと言っていますが、ガンセンターに行ってみますか?」と聞いてくれた。
2つ返事でガンセンターに行くことを決めた。私の中には(40日もわからない)で通した医師への不信感みたいなものが芽生えていたからだ。 
 其の数日前から、私は「ガンだったらガンセンターで治療したい」ということを亜樹彦に伝えていたから一患者としてしかガンセンターで治療は受けられないと言われても、それ以外のことは考えられなかった。
亜樹彦は私の気持ちを最優先で考えてくれていたから、朝の六時から受付を待ってくれ、一緒に「腹膜ガン」の告知を聞いてくれた。
 こうして思い返してみると、佳津彦、亜樹彦、直行はどの場面にも私の側にいてくれた。
特に亜樹彦は最初の入院の日も、様々の検査で病名が解らないと言われ焦れていた時も、ベッドの横で、暗くなった待合室で、私の言うことには黙って首をふり、ノウとは一度も言わず、DVDを見られるようにしてくれたり、ビデオを借りてきてくれたり。少しでも入院生活が過ごし易いように気を使ってくれた。
ガンセンターで、九割完治はないと言われた時も。
 私一人だったら逃げ出していたであろう時々に側にいてくれた。
だから、私は今も逃げ出さず治療を受け入れられるのだと思う。「このまま治療を受けずに死にたい」と言った時も「それで納得できるんだったら良いよ。どの時に死を選んでもご苦労さんって言ってあげるよ」と言ってくれた
入院した私の側に目立たない様にいて、あれこれ世話を焼いてくれる息子に、同室の人が「旦那さんですか?」と聞いて来た。思わず二人で笑ってしまったが、
それ程亜樹彦は私の側にいてくれたと言う逸話だ。
それがどんなに私を勇気付けてくれたことか。感謝の言葉だけでは足りない。やはり、ガンの告知は応えた。このまま死にたいとも思った。
だからこそ、色んな時に側にいてくれた2人の息子と直行が私を生かしてくれているのだと思う。
もう一人大切な人が居る。
私の親友の岡村さん。私が入院してから週1度見舞いに来てくれ、退院してからはお昼を作って家のお掃除にきてくれる。2年と4ヶ月1日も欠かさず週1度来てくれるのだ。
金曜日の岡ちゃんと日曜日の直行のお陰で、この辛い日々をやり過ごせたと思うとどう感謝していいか解らない。
きっと、がん告知された方々は、周りに居てくれる人たちにが、誰でも等しく、生かさせて貰えているのだと実感できる瞬間だ。

今だから言えるが、少しだけ「シメタ」とも思ったのも事実。
寝たきりが一番の恐怖だったから、ガンなら確実に死ねると思ったのだ。
しかしそう簡単に生きると言うことは運ばないようだ。
二度も完治に近い状態まで持ちこたえたのだし、この先の事も皆目見当がつかない。
ところで、良くドラマや映画、本などで、がん告知を受けて、人生の生き方、考え方が劇的に変わったという話を聞きますよね。
私も手術など終わった後とか、1度直った時とか、何か変わるのかと思っていたのですが、何も変わらないのですよ。ある種期待していたのに、何も変わらない自分で良いのか変われないのがおかしいのか、悩んでしまいます。
再発が解った時担当の医師に「再発したら余命はどの位ですか?」と訊ねた時
「何故知りたいの?」と切り替えされて、
何度こんなことが繰り返されるか知りたいとは言えず「残りの時間しっかり向き合って生きたいからです」と応えたものの、
本当の所どう生きてよいか考えて良いか思い付かなかったのです。
先日なすびさんが岐阜から出てきてくれて新年会をした時この話をしたら
彼は「何も変わらないということが貴方の持ち味。
何か無いとお話に成らないからドラマになるだけで、普通はそんなのじゃないですか」と言われた。
「何にも変わらないをテーマで書いたら」とも言われました。なるほどです。
ところで、直行君とかなすびさんは亜樹彦の友達で、
病気して以来私を常にサポートしてくれている素敵な私の友達です。
 それでも何か生かされていると言うことには返事がほしいとは思っているのです。
まず姪に頼んでブログを立ち上げてもらいました。
こんな私の体験が誰か1人のがん患者の悩みに応えられたらとの思いと、何か見つかればとの思いからです。
もう一つ、行きたいと思っていた所見たいと思っていた所は何処にでもいける限り行こうと決めました。これからの何日か何ヶ月か何年か、探し続けます。
このまま変わらない自分で行けたらそれも誇りに思えるかも・・・
闘病日記
「三ステージ」 2007年1月25日
去年の11月再発した腹膜癌をねじ伏せたと思った。
その後1ヶ月に1度づつ検査を受けていたのですが、今月18日の検査で残念ながら再発してしまいました。
今日CTとレントゲンの検査をしてきました。
再発か、転移かの特定の為です。

今回はあまりに早い再発で、心の準備が出来ません。

妹のところへ三姉妹で温泉旅行へいく、来月直ぐ岸和田七社詣でをしに行こう、と何故か焦っているみたいに計画を入れています。

今度、と残して今度が無かったら・・・・と思うとドキドキしてしまいます。

まだまだ、悟れない。情けない自分です。良く生き、よく死ぬ覚悟はした積りでも心は揺れます。

まあぁ、揺れて当たり前なんでしょう、私如きが・・・

焦らず、私のペースをもう1度掴もうと努力するしかないですね。

今日は2週間前に検査したCTとレントゲンの結果を聞きに病院に行ってきました。

 結果は、「マーカーの数値が300位だと影も見えない」と言われてお終い。
又3週間様子を見ましょう。と言うことでした。

 抗がん剤を始めると、やっぱりドンドン辛くなるので、3週間の猶予をもらったと思って、
又、どこか行って来ようか考えています。

 少し暢気すぎかな?


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