腹膜ガンからの逃亡中

癌と戦いながら、いかに日々楽しみを見出すか挑戦です。

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病気と心

 「春が来た」  2007年2月28日

大井町で電車を待っていた。

まるで春のように、日がうらら。

駅では止まらない電車がスピードを上げて走り去った後、土手の上に花が咲き乱れているのが見えた。

もう春なんだ。

2日後の検査の結果が気になり、心は塞ぎ込んでいる。

そんな事とは関係なく、季節は確実に動いている。

「そんなに急がないで、私の残り時間が少なくなる」

心が悲鳴を上げる。

「あったかいねぇ」友達の声に我に返り

「ほんと、春が来たんだねぇ」と、微笑む。

こんな時何故笑える・・・?
此処まで来る間、私はいろんな事をして来ました。
暮れには郡山にいる妹の所に泊まりに行き、会津に連れて行ってもらいました。今まで行かなかった「7日町」や「大内宿」へ連れて行ってもらいました。
年が明けてからは、三姉妹で雪の裏磐梯に温泉旅行もしました。雪を被った磐梯山はとても綺麗でした。
お友達と3人安芸の宮島へも行ってきました。
此処は前から1度行ってみたいと思っていた所で、生憎の雨でしたがそれも風情がありとても感動を貰いました。其の足で尾道へ行き、美味しいお魚と「名刹浄土寺を拝観し、因島まで渡ってきました。
大阪では弟夫婦が待っていてくれ、嵐山の保津峡の中にあるしっとりとした素敵な宿でユックリしました。
思い付きみたいに「岸和田七宮詣で」にも出掛けました。ブログでお知り合いになれた宮司さんや其のお友達にすっかり案内してもらい、楽しい1日を過ごす事が出来たのも、今思えば奇跡みたいなものでした。大阪ではブログでお友達になった、さくらさんや和子さんにも逢えました。
本当に行きたいと思っていた所やりたいと思ったことをしてきました。
其れでもまだこの動揺は、生きていたいという心の叫びなのでしょうか?
まるで迷子なった子供のように、ただ呆然として佇んでいる私が見えます。可哀そう?抱きしめてあげたい?でも其処は一人ボッチでいることしか出来ない所なのでしょう。見守る事しか出来ない母のようにハラハラしています。

病気と心

「病院に行ってきた 2」  2007年2月8日

 今日は息子と一緒だったので、最近ブログで色んな人がアクセスして来てくれている話をし、今の自分の気持ちを確認してみました。

 私の考えている事だから、今、癌で治療中の方々や、家族を癌で亡くされた方々に勝手なこと言うな!と叱られるかも知れませんが、あくまで、私個人の考えだと承知してください。

 私は癌だと知った時から、死と言うことは覚悟しました。
それが何時来るのかは解らないが、確実に来る物なのだと言う前提の下、それまでどう生きるかを考えたいと思いました。

 それで病気の事は、幸いにもガンセンターという今、日本で一番、癌のことに精通している病院で、
がんのことしか頭に無い医師に見て貰っているのだから、其処にお任せ、
後は、神様の言うとおりで、それ以上の事、余計な事は考えない事にしました。


本当に此処の先生は癌以外のことは考えないんですよ。肝臓の数値が高くても、ガンではないと解るとそれっきり、血糖値が高いと言っても気にもしない。
それらは近所の病院で対処してもらっています。

 痛い苦しいは医師。 寂しい、辛いは神様(仏様)(ご先祖様)にお任させ。
来るとこは来ると、執着やしがみ付くジタバタハしない事に先ず決めました。

 それで、どう生きたいか?

 最期まで人として恥ずかしくない生き方をしたい。

 何か意味が有るのならその意味を知る努力をする。

 でも、私ごときにそんな大きな意味が掴めるなんて思うのもおこがましい。
 病人なんだからと、甘えたり、少々理不尽なことも許される、何て思わずに、あくまで、人間として、「それ遣っちゃいけないでしょう」と言うような生き方はしない。
それだけは決めているのです。

 其の外に、今、生きているのだから、生かされているのだから、何か意味が有るのだろう。それを探りながら、勉強しながら生きて生きたい。

 でも全く他の人の世話にならずになんて生き方は、できません。

 現実に、先日岸和田の七社詣をしたいと思って、実行した際、息子や其の友達、親友、そして岸和田で土生神社の宮司様、其のお友達に精一杯世話になりました。
 行きたいは、私の我が侭、でも理由は、良く生きる為のヒントが欲しい。だったのです。
それなら、と、息子達は一緒に行ってくれ、たぶん宮司様達は、そんな私の意気込みを買って下さったのだと理解しています。
 何時も誰かの世話に成っていると言う事、一人では生きられないのだと言う事を忘れず、感謝、「ありがとう」を常に肝に銘じて生きたいと考えています。

 死ぬ時後悔しないように、思いを残さないように、精一杯生きて行きたいと思っています。

 そうなると、私が死んだ後、側に居た亜樹彦は私の身内から、

 もっとして上げる事が有ったのではないか?

 他の方法を何故試して上げなかったのだ?と攻められる事に成るかも知れません。

 息子は、「今精一杯側で看病している。だから後で後悔はしない。あくまでお母さんの考え方を尊重しているから」と言ってくれています。

 だから、病気であくせく時間と気持ちを使わなくて済むと言うメリットが有ります。
じっくりと、
 自分のしたい事、

 するべき事、

 それらはただの我が侭か?人として恥ずかしい事ではないか?だけを考えて行動すれば良く
実にシンプルに生きられます。

 ただし、シンプルゆえに、より良く生きると言う事はどんな事か酷く悩みます。

 時々家族だから息子だからと、甘えてしまったり、甘やかしてくれる親友や、息子の友達に我が侭を言ったり、したりの、失敗は時々あり反省しきりの毎日です。

 最近、より良く生きようなんて、本当はとても難しいことだと思い知った。が、それしか今私には無いのだと、それも肝に銘じている。

 このまま変わらない(何も発見できない)そんな自分で行けたらそれはそれで、自分らしさを貫けたらそれも誇りに思えるかも・・・

  追伸

 病気した頃からボチボチ其の日の体調など書いていたノートを再発を期に開いてみたら、こんな記載がありました。

 「人生百とすれば、五十は半途、峠です。私は峠に来ました。(中略)峠と言っても、向こうは下りとは決まっていません。
 ヤコブの夢の天にかけたる階段(創世記28章12節)のように山の上にも山があり、山の奥にも山がある。
 人の生(よ)の旅は唯上りです。」
 
 その登りは中年の時のように強いられたり、または推偉の座を守る、栄賞を守るためのステップではありません。
 この場合自分のみを防御したり、飾ったりするといった付加物をつける必要は無く、裸の自分になれば良いのですから気楽です。周囲にとらわれず、自由人として生きれば良いのです。

徳富蘆花が五十歳の誕生日に随筆「新春」の中で、このように述べています。


 こんな文章が書き残してありました。これを書き移しながら何を考えていたのでしょう。

 山の上に山があり、山の奥にも山がある。

 この先の自分にも、決して楽な下り坂など無いのだと、心に言い聞かせていたのかも知れません。
ただ、私の山を登るのだから徳富蘆花が言うように何事にも捕らわれず、裸の自分で自由人として、生きたいものです。

病気と心

  闘病日記


「三ステージ」 2007年1月25日


去年の11月再発した腹膜癌をねじ伏せたと思った。
その後1ヶ月に1度づつ検査を受けていたのですが、今月18日の検査で残念ながら再発してしまいました。
今日CTとレントゲンの検査をしてきました。
再発か、転移かの特定の為です。

今回はあまりに早い再発で、心の準備が出来ません。

妹のところへ三姉妹で温泉旅行へいく、来月直ぐ岸和田七社詣でをしに行こう、と何故か焦っているみたいに計画を入れています。

今度、と残して今度が無かったら・・・・と思うとドキドキしてしまいます。

まだまだ、悟れない。情けない自分です。良く生き、よく死ぬ覚悟はした積りでも心は揺れます。

まあぁ、揺れて当たり前なんでしょう、私如きが・・・

焦らず、私のペースをもう1度掴もうと努力するしかないですね。

今日は2週間前に検査したCTとレントゲンの結果を聞きに病院に行ってきました。

 結果は、「マーカーの数値が300位だと影も見えない」と言われてお終い。
又3週間様子を見ましょう。と言うことでした。

 抗がん剤を始めると、やっぱりドンドン辛くなるので、3週間の猶予をもらったと思って、
又、どこか行って来ようか考えています。

 少し暢気すぎかな?

病気と心

「病院に行ってきた 2」  2007年2月8日

 今日は息子と一緒だったので、最近ブログで色んな人がアクセスして来てくれている話をし、今の自分の気持ちを確認してみました。

 私の考えている事だから、今、癌で治療中の方々や、家族を癌で亡くされた方々に勝手なこと言うな!と叱られるかも知れませんが、あくまで、私個人の考えだと承知してください。

 私は癌だと知った時から、死と言うことは覚悟しました。
それが何時来るのかは解らないが、確実に来る物なのだと言う前提の下、それまでどう生きるかを考えたいと思いました。

 それで病気の事は、幸いにもガンセンターという今、日本で一番、癌のことに精通している病院で、
がんのことしか頭に無い医師に見て貰っているのだから、其処にお任せ、
後は、神様の言うとおりで、それ以上の事、余計な事は考えない事にしました。


本当に此処の先生は癌以外のことは考えないんですよ。肝臓の数値が高くても、ガンではないと解るとそれっきり、血糖値が高いと言っても気にもしない。
それらは近所の病院で対処してもらっています。

 痛い苦しいは医師。 寂しい、辛いは神様(仏様)(ご先祖様)にお任させ。
来るとこは来ると、執着やしがみ付くジタバタハしない事に先ず決めました。

 それで、どう生きたいか?

 最期まで人として恥ずかしくない生き方をしたい。

 何か意味が有るのならその意味を知る努力をする。

 でも、私ごときにそんな大きな意味が掴めるなんて思うのもおこがましい。
 病人なんだからと、甘えたり、少々理不尽なことも許される、何て思わずに、あくまで、人間として、「それ遣っちゃいけないでしょう」と言うような生き方はしない。
それだけは決めているのです。

 其の外に、今、生きているのだから、生かされているのだから、何か意味が有るのだろう。それを探りながら、勉強しながら生きて生きたい。

 でも全く他の人の世話にならずになんて生き方は、できません。

 現実に、先日岸和田の七社詣をしたいと思って、実行した際、息子や其の友達、親友、そして岸和田で土生神社の宮司様、其のお友達に精一杯世話になりました。
 行きたいは、私の我が侭、でも理由は、良く生きる為のヒントが欲しい。だったのです。
それなら、と、息子達は一緒に行ってくれ、たぶん宮司様達は、そんな私の意気込みを買って下さったのだと理解しています。
 何時も誰かの世話に成っていると言う事、一人では生きられないのだと言う事を忘れず、感謝、「ありがとう」を常に肝に銘じて生きたいと考えています。

 死ぬ時後悔しないように、思いを残さないように、精一杯生きて行きたいと思っています。

 そうなると、私が死んだ後、側に居た亜樹彦は私の身内から、

 もっとして上げる事が有ったのではないか?

 他の方法を何故試して上げなかったのだ?と攻められる事に成るかも知れません。

 息子は、「今精一杯側で看病している。だから後で後悔はしない。あくまでお母さんの考え方を尊重しているから」と言ってくれています。

 だから、病気であくせく時間と気持ちを使わなくて済むと言うメリットが有ります。
じっくりと、
 自分のしたい事、

 するべき事、

 それらはただの我が侭か?人として恥ずかしい事ではないか?だけを考えて行動すれば良く
実にシンプルに生きられます。

 ただし、シンプルゆえに、より良く生きると言う事はどんな事か酷く悩みます。

 時々家族だから息子だからと、甘えてしまったり、甘やかしてくれる親友や、息子の友達に我が侭を言ったり、したりの、失敗は時々あり反省しきりの毎日です。

 最近、より良く生きようなんて、本当はとても難しいことだと思い知った。が、それしか今私には無いのだと、それも肝に銘じている。

病気と心

其の時々の思い

  其の時々私がどう思ったか、二年も過ぎた今思い出すのは難しい。
初めて入院しなさいと言われた時、私は随分簡単な病を想像していたと思う。よく膝に水が溜まったなどの話を聞くが、「おなかに水が溜まっています。直ぐ入院したほうが良い」と医者に言われた時も、其の程度にしか考えていなかった。
 お粗末と言えばお粗末だが、知識がないのと、自分の健康に故の無い自信を持っていたから、それ以上のことは考えられなかったのである。ましてや、ガンなど想像もしていなかった。ガン体質は遺伝すると巷では言われているお伽話を私も鵜呑みし、家系はみな高血圧が原因の脳梗塞で亡くなっていたから、寧ろ寝たきりになることのほうを恐れていた。

 入院して、私は有るとあらゆる検査をした。最初の二週間で、血液検査はもちろん、腹水を取っての検査、婦人科の検査、乳がんリンパ腺、胃カメラを飲み、内視鏡の検査、℃Tと。結果医師の言葉は「解らない」だった。其の頃子供たちは、「末期癌」の宣告を受けていたらしい。
 その頃はもう三日に1度の割合で腹水を抜いてもらわないと苦しくなっていた、最後の検査だと言って、
MRIの検査を受けることになった。
検査をするとき突然、直行が「MRIも中は面白い音が聞こえると言う」といいだした。どんな音がするのか、一生懸命聞いてみたが。ロックが聞こえた。みんなで大笑いした。少しピリピリして来ていた私を和ませてくれた数少ないエピソードだ。結果は二週間後に出ると言う。
担当の医者に「ガンではないんですか?」と探りを入れたが、「がんだったら治療もせずにほっときませんよ」とはぐらかされたのも其の頃。 既に息子たちは、「末期癌」の宣告を受けていたらしい。私にはまだなぜか解らないとしか教えてくれなかった。確かにどこにガンが在って、腹水が溜まるのか医者にもわかっていなかったようなのだが。 
 
 私のお腹は、腹水のため妊娠八ヶ月の様子だったので、看護士さんに「妊婦さんは一階下の病室です」と言われ、妊婦と間違えられてしまったなんて本当に合った笑い話。
私は覚悟を決めて、「結果が出たら私も話を聞きたい」と医師に通してもらっていた。
そして其の時、映画やドラマでよく目にする場面だ。三人で待っていた私たちに、婦長さんが「國田さん」と呼びに来た。私たち3人が腰を浮かすと、婦長さんが慌てて「お兄さんだけチョット」と言う。なんと下手な遣り方、これでは私に癌だと解ってしまうではないか?と思っていた。後々聞いた話では「末期とは言わず、卵巣がんの初期。」と告知しますと言う密談だったらしい。其の上で自信の無い医師はペットという、癌がどこにあるか一目でわかる機械での検査を進めてきた。
其の時は「もう何でもやれるだけの事はやってみよう」と言う気分でいた私は横浜まで行って其の検査を受けた。付き添ってくれた佳津彦が、検査が終わってから、横浜のラーメン館に連れて行ってくれた。
懐かしい北海道のラーメンなど三種類少しずつ食べた。初めて長男と2人での一刻、忘れられない味で、良い思い出になった。
「良いことも有るじゃない」

こうして、其の病院での40日は終わった。
ペットの結果を見て医師は「此処の婦人科の先生が治療を始めたいと言っていますが、ガンセンターに行ってみますか?」と聞いてくれた。
2つ返事でガンセンターに行くことを決めた。私の中には(40日もわからない)で通した医師への不信感みたいなものが芽生えていたからだ。 
 其の数日前から、私は「ガンだったらガンセンターで治療したい」ということを亜樹彦に伝えていたから一患者としてしかガンセンターで治療は受けられないと言われても、それ以外のことは考えられなかった。
亜樹彦は私の気持ちを最優先で考えてくれていたから、朝の六時から受付を待ってくれ、一緒に「腹膜ガン」の告知を聞いてくれた。
 こうして思い返してみると、佳津彦、亜樹彦、直行はどの場面にも私の側にいてくれた。
特に亜樹彦は最初の入院の日も、様々の検査で病名が解らないと言われ焦れていた時も、ベッドの横で、暗くなった待合室で、私の言うことには黙って首をふり、ノウとは一度も言わず、DVDを見られるようにしてくれたり、ビデオを借りてきてくれたり。少しでも入院生活が過ごし易いように気を使ってくれた。
ガンセンターで、九割完治はないと言われた時も。
 私一人だったら逃げ出していたであろう時々に側にいてくれた。
だから、私は今も逃げ出さず治療を受け入れられるのだと思う。「このまま治療を受けずに死にたい」と言った時も「それで納得できるんだったら良いよ。どの時に死を選んでもご苦労さんって言ってあげるよ」と言ってくれた
入院した私の側に目立たない様にいて、あれこれ世話を焼いてくれる息子に、同室の人が「旦那さんですか?」と聞いて来た。思わず二人で笑ってしまったが、
それ程亜樹彦は私の側にいてくれたと言う逸話だ。
それがどんなに私を勇気付けてくれたことか。感謝の言葉だけでは足りない。やはり、ガンの告知は応えた。このまま死にたいとも思った。
だからこそ、色んな時に側にいてくれた2人の息子と直行が私を生かしてくれているのだと思う。
もう一人大切な人が居る。
私の親友の岡村さん。私が入院してから週1度見舞いに来てくれ、退院してからはお昼を作って家のお掃除にきてくれる。2年と4ヶ月1日も欠かさず週1度来てくれるのだ。
金曜日の岡ちゃんと日曜日の直行のお陰で、この辛い日々をやり過ごせたと思うとどう感謝していいか解らない。
きっと、がん告知された方々は、周りに居てくれる人たちにが、誰でも等しく、生かさせて貰えているのだと実感できる瞬間だ。

今だから言えるが、少しだけ「シメタ」とも思ったのも事実。
寝たきりが一番の恐怖だったから、ガンなら確実に死ねると思ったのだ。
しかしそう簡単に生きると言うことは運ばないようだ。
二度も完治に近い状態まで持ちこたえたのだし、この先の事も皆目見当がつかない。
ところで、良くドラマや映画、本などで、がん告知を受けて、人生の生き方、考え方が劇的に変わったという話を聞きますよね。
私も手術など終わった後とか、1度直った時とか、何か変わるのかと思っていたのですが、何も変わらないのですよ。ある種期待していたのに、何も変わらない自分で良いのか変われないのがおかしいのか、悩んでしまいます。
再発が解った時担当の医師に「再発したら余命はどの位ですか?」と訊ねた時
「何故知りたいの?」と切り替えされて、
何度こんなことが繰り返されるか知りたいとは言えず「残りの時間しっかり向き合って生きたいからです」と応えたものの、
本当の所どう生きてよいか考えて良いか思い付かなかったのです。
先日なすびさんが岐阜から出てきてくれて新年会をした時この話をしたら
彼は「何も変わらないということが貴方の持ち味。
何か無いとお話に成らないからドラマになるだけで、普通はそんなのじゃないですか」と言われた。
「何にも変わらないをテーマで書いたら」とも言われました。なるほどです。
ところで、直行君とかなすびさんは亜樹彦の友達で、
病気して以来私を常にサポートしてくれている素敵な私の友達です。
 それでも何か生かされていると言うことには返事がほしいとは思っているのです。
まず姪に頼んでブログを立ち上げてもらいました。
こんな私の体験が誰か1人のがん患者の悩みに応えられたらとの思いと、何か見つかればとの思いからです。
もう一つ、行きたいと思っていた所見たいと思っていた所は何処にでもいける限り行こうと決めました。これからの何日か何ヶ月か何年か、探し続けます。
このまま変わらない自分で行けたらそれも誇りに思えるかも・・・
闘病日記
「三ステージ」 2007年1月25日
去年の11月再発した腹膜癌をねじ伏せたと思った。
その後1ヶ月に1度づつ検査を受けていたのですが、今月18日の検査で残念ながら再発してしまいました。
今日CTとレントゲンの検査をしてきました。
再発か、転移かの特定の為です。

今回はあまりに早い再発で、心の準備が出来ません。

妹のところへ三姉妹で温泉旅行へいく、来月直ぐ岸和田七社詣でをしに行こう、と何故か焦っているみたいに計画を入れています。

今度、と残して今度が無かったら・・・・と思うとドキドキしてしまいます。

まだまだ、悟れない。情けない自分です。良く生き、よく死ぬ覚悟はした積りでも心は揺れます。

まあぁ、揺れて当たり前なんでしょう、私如きが・・・

焦らず、私のペースをもう1度掴もうと努力するしかないですね。

今日は2週間前に検査したCTとレントゲンの結果を聞きに病院に行ってきました。

 結果は、「マーカーの数値が300位だと影も見えない」と言われてお終い。
又3週間様子を見ましょう。と言うことでした。

 抗がん剤を始めると、やっぱりドンドン辛くなるので、3週間の猶予をもらったと思って、
又、どこか行って来ようか考えています。

 少し暢気すぎかな?


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