腹膜ガンからの逃亡中

癌と戦いながら、いかに日々楽しみを見出すか挑戦です。

全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

きつい駄目だし

イメージ 1

             時々お花を届けてくれる優しい友がいます。


  一心同体のように私の病気とも付き合ってくれる息子は、私のブログの読者でもあります。

  其の息子に、気つ〜い駄目だしをされてしまいました。

  「あの長い奈良旅行記は何?このブログに何が書きたくて始めたの?ただの旅行記?」

  言われてみて私愕然としました。

  朝の5時6時までかかって、写真アップしたり、旅行記を書いたり、神社の詳しい事調べたり、
 心の中 では、こんな病気で明日どうなるか解らない私が、ブログに楽しかった事を、
 嬉々として書いて、上手く写真がアップ出来ず四苦八苦したり、
 「こんな私って、頑張っているでしょ う」くらいの気持ちだったのに。

  「そんな風に言われたら心外だわ」って言い返したら、
 
  「じゃそう書けば、楽しかった奈良旅行、それを朝まで掛かって、
 ブログにアップしてる、凄いで  しょうって書けば。
 あれでは何故そんなにあの旅行が楽しかったのか、
 それを何故夢中でアップしたのか、ちっとも伝わらないよ」

  むむ、正解言われてるかも。で、考えました。

  何時も私の周りで、私を気使い、理解してくれようとしている人達と一緒だったから、
 特別楽しい旅 だったんだ。
 そう思い返してみると、いつも皆笑っていた。疲れて途中リタイアしても、
 変に気にしないで他の皆は 見学してる。
 それは私にとっても嫌ではないし、外で待ってて出てきた皆が満足そうだったら、
 それで私も嬉しかった。

  次はあそこ、次はこっちが見たい。そんな私の希望を(我が侭?)皆もそうしたいと思っていたかの  ように受け入れてくれて、車回してくるからここで待ってて、と私の体を心配してくれて、
 当たり前のようにタバコなんぞくゆらせて車の来るのを待ってた私。

  あの旅の楽しさは、奈良と言う特別な場所の魔法に掛かったからだと思っていたが、
 それも1因ではあったが、
 殆どは彼らが魔法を掛けてくれていたんだと、気が付きました。

  そして家に戻って魔法が解ければ、私は何時来るか解らない恐怖に押しつぶされそうになっていた。

  どんな強気な事を行っても、奇麗事を並べても、いつか来るぞ!と言う恐怖感は私を悩ませる。

  本当のところ、あの宣告を受け、あの決断をした時は、トントンとそれがやって来るもので、
 私は流れに身を任せていれば良いのだと思っていたのだが、

 ガンセンターの先生医療ミスしたんじゃないの?と思える位元気で食欲もある自分が現実にいると、
 「何時来るのよ〜」って叫びたくなる夜もある。

  だから私は、毎日朝までパソコンに向かい、旅行記を書くことに逃げていたんだ。

  そして疲れて眠る事で考える事を拒否していたんだった。

  もっと言えば、あそこに行きたい、今度はこっちに行きたいというのも現実逃避でしかなかったのだ

  今こんな風にはっきりと自分の気持ちに気付いた以上、もう其処から逃げ出すことは出来ない。

  今度こそ、真剣に「生きるということ」「死ぬと言う事」と向き合わなければ。

  治療を止めて、自分の足で立って、という事は、あちこち出掛けて歩くと言う事だけではなく、
 シッカリ現実を見詰めると言う事でもあったのだ。 

  短い間でも、生きた証みたいなものが欲しかったんだ。

  改めて、目をそらさずに、其の事と向き合おうと腹を括りました。

  これからのブログの中にそれが反映されたら、このブログをアップしてる意味があるんだと、
 やっと本来の意味に気付かされました。

  さて、どうなりますか、請うご期待!!です。

  

イメージ 1

            奈良で取った写真ですが、何処の何とい仏様か?



  日赤病院は、正確には「日本赤十字社医療センター」と言うらしい。

 博愛社創立当時の救護員は男性のみであり、1877年(明治10年)2月15日に起こった西南戦争でも男性のみが救護活動を行っいたという。
 1880年(明治13年)5月24日に開かれた博愛社社員総会に出席した社員のヘンリー(ハインリッヒ)・フォン・シーボルトは、ヨーロッパで行われている赤十字活動では女性社員が加入しているほか、救護活動の面でも女性が適していると指摘しました。
 (明治17年)2月に渡欧した橋本綱常(はしもと つなつね)陸軍軍医総監は、ジュネーブで開催した第3回赤十字・赤新月国際会議(赤十字国際会議といわれていた)にオブザーバーとして出席、このとき決議事項に女性救護員の教育が取り上げられていたことから、橋本は帰国後、救護員養成機関としての病院設立を提唱しました。
 1885年(明治18年)に開かれた社員総会では、博愛社の総長であった小松宮彰仁(あきひと)親王から、外科病院を設けて「医師、看護師の養成」を行っていく方針が示され、さらに橋本綱常が社員の資格で「病院設立建議書」を提出。これに基づいて翌年の5月14日に開催した臨時議員会で、博愛社の病院設立が正式に決議された。

  と、まぁ古い歴史を持った病院な訳です。私の治療は其の広尾にある日赤で行われる事になった。

  4月8日 初めて治療に行きました。

  比べてもしょうがないのですけど、ガンセンターは一歩入ったら、ピカピカで無機質で、患者は全て
  がん患者な訳で、
  それはそれで、何も考えず、人目も気にしなくて、気楽に治療を受けにいけました。

  でも、日赤はそうは行かないのです。
  病院そのものも古いし、廊下だけでも「狭いなぁ」と思わせる。

  何よりの違和感は、骨折した人風引いた人、難病かもしれないし、がん患者かもしれない。
  そんな人がゴッチャに居る訳ですよね。

  で、名前呼ばれて「5番の診察室の前でお待ちください」って言われる訳。
  で、5番の診察室の前にだけ「緩和ケアー」という札が下がっているんですよね。

  そこの、他の患者さんは「へぇ!」とか「ふ〜ん」とかって思うのかなぁ
  何て勝手に思って居心地が悪いわけなんですよ。

  担当医は「茅根 義和」先生。
  まだ若そうだけど、とても穏やかな話し方をする方です。

  「一寸お腹拝見してよいですか?」「はい」

  此処でガンセンターなら、息子は外へ出される訳だけど、「僕は・・・」「居ても良いですよ」
  勿論医師の影で、すっかり見える訳でははないけど、息子としては居ずらそう。

  診察の過程も、その結果も、家族で共有してくださいと言う訳らしい。

  診察の結果は、右腹部にしこりの様な物が感じられるという事と、腸も胃も動いてる様子がない。

  「これではお腹がはって苦しいでしょう。胃や腸が動いてくれる薬と排便を促す薬を出しておきまし ょう」という診察で、レントゲン写真と血液検査をして帰ってください。と言われ其の日の診察は終わ りました。

  そうそう、薬の処方箋も前は医師がはいと言って渡してくれたのに、外で待っていると看護士さん  が、わざわざ持ってきてくれるんです。

  勝手が解らないので、廊下に張ってあるテープを辿って、血液検査室に、息子は外で待っていたら、 其処から中を通ってレントゲン室へ。
  終ってからぐるりと回って息子の待ってるところまで出て、驚くやら新鮮に「これが普通の病院だ」 と思いましたね。

  次週の血液検査でも、腫瘍マーカーなど測ってないし、肝臓が少し悪いですね。位。
  レントゲンの結果も、やはり腸の動きが悪いから便が腸にいっぱい残ってますねぇ。で終わり。

  ガンセンターの医師が、医療ミスでもしたかのように、、あの宣告、決断から変わらず元気な 毎日 です。少し、疲れが早く来るかなぁと、しょっちゅう熱っぽくなる位。

  東京が桜満開の時、桜に背を向けて奈良に行ってきたので、今度は桜を追っかけて北に行ってみよう と思っています。又其の時の写真アップしますね。
 
  

奈良旅行−6

イメージ 1
吉野山・さこや


イメージ 2
さこや・最後の夜 


イメージ 3
さこや・薪ストーブ


イメージ 4
さこや・古い灰皿?


イメージ 5
さこや・オルガン?


イメージ 6
         さこや・伊藤博文の書



イメージ 7
さこや・一刀彫高砂



イメージ 8
          吉野山・金峯山寺



イメージ 9
吉野山・金峯山寺から下り蔵王権現本堂を仰ぎ見る



イメージ 10
吉野山・金峯山寺からの帰り道



イメージ 11
吉野山・天満宮


イメージ 12
特別史跡・石舞台古墳


イメージ 13
特別史跡・石舞台古墳


イメージ 14
特別史跡・石舞台古墳 仲から空が見える


イメージ 15
特別史跡・石舞台古墳 入り口で





     法隆寺を後にした私達は、今夜の宿吉野山「さこや」へ向かう事にしました。

  途中、日本一大きい前方後円墳、仁徳天皇陵古墳や崇神天皇陵などを見て歩きましたが、
  あまりに大きく冗談ではなく、ナスカの地上画のようにヘリコプターなどで、上から見ないと
  全容は掴めません。

  そこから、「さこや」まで、車のナビで調べたら2時間と出ました。
  さぁ大変です。もう5時過ぎています。甥は免許を取ってからまだ真のない、初心者マークが取れて
  1年位なので山道は大変です。
  必死で走りました。吉野山に掛かった頃は、グルグル回る狭い山道、運転手だけでなく乗ってる私達  もキャーキャー大騒ぎしながらやっと「さこや」の前に到着。

  時間が遅いので直ぐに食事にしてもらいました。
  食べている私達の前に、女将さんが挨拶に来て申すには、「さこや」は創業280年も建つ由緒ある  宿で、明治の終わり頃、伊藤博文や政府の要人がお泊りになったとのこと。
  私達は、歴史好きも居るのでヘェーとかホォーとか畏まって聞いていたのですが、隣で食事していた  人達は、女将さんが話し始めるや否や、「お茶ください」と言ってしまって、女将さん怒って「何と  かさんお茶持ってきて」と、大声で言って立ち去りました。
  私達皆、クスクス。

  食後、露天風呂に行くことにしました。
  お上さんの話では、「露天風呂にやたがらす(八咫烏)というお酒を置いてあるのでお好きなだけお  飲みください」と言われたから早速・・・

ちなみに、皆さんもご存知のように、やたがらすは「道案内の鳥」ということから、日本サッカーの未来を導いていくと考えられ、
 日本サッカー協会のエンブレムマークにも使われています。

「やたがらす」は、3本足の大きな鳥のことで、
 日の神(太陽)のシンボルであるといわれ、神武天皇東征の際の神話に登場します。

 神武天皇が熊野から大和に入る吉野の山中で道に迷われ、その時に天の神が、
 道案内のためにつかわした3本足の大きな鳥が「やたがらす」であるといわれています。

 成るほど、露天風呂に出て行くと、幅の広い溝に板で橋が掛けてあり、その向こうの左手に樽でやたが らすが置いて在り、枡が添えられてありました。
 右手に中くらいの大きさの桶に温泉がありました。
 やたがらすを一口づつ飲んで、湯に浸かっていると、隣から「つめてぇ」とか「さむい〜」とか
 聞こえます。うん??と思いましたが其のまま出てきたのですが後で聞いてビックリでした。

  彼らは、橋の掛かっていた溝に浸かっていたのだそうです。
  湯のはずが冷たいし、「でも、女将さん少しぬる目だって言ってたジャン」木の葉やなんかが浮いて  て汚いし、底はヌルヌル滑って溺れそう。

 大笑いです。桶湯には一人小父さんが入っていて、暫くして、出て行ったので其方に入ったとのこと
 甥は終始、「これ違うんじゃないの」と言いながら息子達に押し切られ其処でやたがらすを飲んでいた よと言って、またまた爆笑です。先に居た小父さんは如何思っていたのかと言うだけで、腹が痛くなる ほど笑いました。
 桜の木の枝を通してお月様が明るく、風情のある露天風呂だったのですがね。

 良く聞いてみると、其処は木枠で出来ており、腰掛けるベンチも在ったと言う事で、桜が咲いて宿がい っぱいになったら、お掃除をして、お湯を入れるのかもしれません。
 それでも考えると笑えて、何度も其の話で笑っちゃいました。

  翌朝、私は一人で宿の近くにある金峯山寺にお参りしました。
  金峯山寺は大和国吉野山、神話の里、桜の名所の下千本桜の下の端っこにある。
  わが国主験道の根本をなす金峯山寺蔵王堂を中心に、南朝60年の悲史とロマン。
  数多くの史跡が有る山です。

 朝食の後、今日は帰るだけの日になります。
 沢山の楽しみと、思い出と、心の安らぎを得た旅でした。

 帰り道、明日香にある「石舞台古墳」を見ることが出来ました。
 横穴式石室は、築造7世紀と言われ、6世紀後半この地で政権を握っていた蘇我馬子の墓ではないかと
 言われているそうです。
 此処もまた桜があったらと思わせる程桜の木が沢山あり2分咲き程度に咲いていました。

 もう一路帰るだけけです。沢山の思い出に、奈良に、ありがとうです。

イメージ 4

イメージ 7

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 1

イメージ 2

















イメージ 3































イメージ 5  
イメージ 6















イメージ 8




















法隆寺では沢山写真を撮ったので、別口で乗せてみました。
写真の説明しておきます。

 1枚目   回廊の外で、桜まだ1分咲き。
 2枚目   東院鐘楼        3枚目   食事所から先・立ち入り禁止でした。    
 4枚目   外に出て振り返って   5枚目左  何の樹?なんのはな  
 6枚目右  法隆寺・五重の塔    7枚目   西円堂ー国宝   鎌倉時代のものだそうです。
 8枚目   五重の塔        9枚目   夢殿から
 10枚目  南大門  
 6枚目右  法隆寺・五重の塔    7枚目    夢殿から  

奈良旅行 5

イメージ 1
   法隆寺・と掘られた大きな石に迎えられて。


イメージ 2
   法隆寺・五重の塔  何処の塔も良いけど、酢後ももかんぎられるのは屓目?  お釈迦様の遺骨が収められているとの事です。



イメージ 3
   法隆寺・聖雲院



イメージ 4
   三経院


イメージ 5
   法隆寺・東室西室の前





私達は奈良最期の寺社に法隆寺に来ました。奈良に来たら法隆寺を見ないで帰る訳にいきませんもの  ね。

  法隆寺が何たるものであり、聖徳太子の事も、世界最古の木造建築で世界遺産に日本で最初に登録さ  れた事も、 誰でも知っている事ですよね。

  一歩寺社の中に入ったら、飛鳥の時代にポンと放り出されたように、身も心も、し~んと静まり
  何故か小声で話しながら、どの建物を見ても、どの仏様を拝んでも、涙がこぼれて来る様に感動す   る。

  改めて私は奈良が好き、奈良に、今訪れる事が出来た幸せをかみ締めずにはいられませんでした。

  何時までの離れがたく、もう4時半で閉めました、という何かの展示室に、「看板だけでも見せてく  ださい」と入り込み、受付の小父さんも私達の迫力に押されて、看板で何を展示してか説明してくれ  ました。

  どれかの建物を補修する為に解体したら、天井の梁に、当時の大工さんが落書きをしていた。

  という話でその画が看板に写真で張ってあったのです。へーと驚いたり、その稚拙な絵に、
  これ私並、と笑ったりしていたら、他の観光客、外人さんだったのですが、
  入ってきてしまったので、これでは  迷惑に成ると、早々に其処から出ました。

  最期に出口の側に休憩所があり、一服しながら振り返って、暫く離れる事が出来ませんでした。

  

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事