腹膜ガンからの逃亡中

癌と戦いながら、いかに日々楽しみを見出すか挑戦です。

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奈良旅行 4

 
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   薬師如来像


 
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   薬師寺・南大門


 
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    薬師寺・南大門
  

 
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    薬師寺・東院堂


 
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    薬師寺・東塔


 
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    薬師寺・西塔


 
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    垣根の外から唐塔・西塔を望む


 
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    御影堂の外の道


 
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    金堂の前に咲いていた桜


 
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      薬師寺に咲いていた枝垂れ桜 


 
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  御影堂・校倉     




私達は薬師寺に向かいました。

 薬師寺は天武天皇により発願(680)持統天皇によって本尊開眼(607)文武天皇の御世に至り
 飛鳥の地において堂宇の完成を見た。
 その後、平城遷都(710)に伴い現在地に移されたものである。

 薬師如来を中に右に日光菩薩、左に月光菩薩、合わせて薬師三尊像といいます。
 薬師如来は東方浄瑠璃浄土の教主で、
 又の名を医王如来とも言い人々の身と心を救ってくれる仏様です。

 今この時の私が何をお願いするのかおかしな図です。

 勿論心の平安のままその時を迎える事は願いますが、この身を健康にとは願う訳ではない。
 しかし子供等やその家族が健康でありますようにとお願いしました。

 薬師寺は、金堂・西塔・東塔・中門・回廊・大講堂と白鳳伽藍の美しい建築美を誇っています。

 東西両塔を挟んで金堂を仰ぎ見るのは、ため息が出るほど美しかったです。

 回廊を歩くと、飛鳥の時代に遡っていく意識が、朦朧と心地よい思いに誘ってくれます。

 広いお寺さんの中を散策していると、刻と時間を忘れさせてくれますね。

 玄装三蔵院伽藍を参拝する事が出来、三蔵法師のお話を思い出し話をしながら見学していたら、
 玄装三蔵院の等身大の像の前にフエルトで出来た真新しい長靴が像の前に揃えてあり、
 「その時代こんな靴を履いてたとしても、今置くのは可笑しいねぇ」なんて立ち止まって話していたら
 小父さんが興味に惹かれて我々を押し退けて、覗き込んできて、倒れ込みそうになり、
 思わず連れが手を出して起こしたものの、「そんなに剥きに成らなくても」と、
 ビックリするやら一寸引いてしまう瞬間がありました。
 
 そんな笑い話があり、しっとり雰囲気に浸る時がありで時間は、あっという間に過ぎ去ります。

奈良旅行 3

 
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    瓦に願いを書く私  「緊張してます。字は下手だけど心はこもっています。



 
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    瓦に願いを書くに当たり基金として3千円受領しましたと言う請書


 
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    見事な石に「唐招提寺」と彫り込められていました。


 
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    鼓楼  境内唯一の重層建造物舎利殿


 
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    唐招提寺  弥勒如来さん。  


 
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    正倉院   外から建物を見るだけでした。開帳する事が有るのだろうか。


  2日目のです。ハイウエィを戻って、正倉院によりました。
 そこは中に入れず外から見るだけでした。

 そこから車で古刹唐招提寺に向かいました。

 行ってビックリです。
 丁度金堂大修理中で工事用の壁に囲まれていました。
 御朱印帖を持って受付で書いてもらいながら聞いてみると
 痛みが激しくなって来たので1度解体して修理しながら立て直すのだそうです。

 そこで広く修理基金を募るため「瓦結縁」として
 願いを書いた瓦を新しい建物に乗せる事が出来るのだと言う。

 早速、甥が3千円を払って私に書いてといいます。
 300年後又修理の時下ろして見て痛んでいなければ又修理後の金堂に乗せるのだと言う。

 さて今の私の願い事とは何だろう。
 「病気平癒」は可笑しいし、交通安全、学業成就でもない。
 悩んだ末に、私の周りの人々のことを考えて「家内安全」と書きました。

 瓦に字を書くのは難しいです。筆もボロボロに成っているし、
 「弘法筆を選ばず」ですが、字が下手な私は書く前から色々言い訳しながら、
 私と息子と甥の連盟で今日の日付けを入れ出来上がりです。

 旅って面白いですね。
 お目当ての金堂には会えませんでしたが、
 新しい金堂に願いを書いた瓦を乗せると事が出来ると言う滅多にない経験が出来る。

 考えて見てください。私の下手な字で願いを書いた瓦が
 300年後まで残るんですよ。

 300年後ってどうなっているのでしょう。
 今盛んに言われているように、温暖化のせいで地球は破滅しているのでしょうか。
 それとも、やっぱり人々は賢く危機を乗り越え、
 日本も中国もアメリカもなく大きな地球と言う平和なところになっているのでしょうか。
 地球外生物に乗っ取られているのかも。

 考えると色んな事が思い浮かんでファンタジーですね。
 でも案外あっという間で今とあまり変わらないのかな。
 一つだけ「今より平和でありますように」それはシッカリ願いを込めました。

 そんな300年後の事を皆でがやがやお喋りしながら、講堂や御影堂などを軽く見学して
 次の薬師寺に先を急ぎました。


  唐招提寺

 都が奈良にあった時代は奈良の中心地に位置し、759年天武天皇の皇子新田部親王の旧邸地を賜って
 此処に唐招提寺が創建された。
 唐の国から来朝された鑑真和尚招提ーみ仏の下に修行する人達の場と言う意味を寺名として掲げた。
 
 開山唐僧鑑真和尚は天武天皇の願っての招聘に応え、受戒の師とし来朝するに当たり、
 12年の時を要し前後5回に及ぶ難航海に失敗したにも拘らず、
 初志を曲げず、奈良の都に着いた時は、 両目を失明していたほどである。

 画して大仏殿の前に戒壇を設け、聖武・孝謙両帝を初めわが国の多くの高僧達に受戒した。
 既に仏教国の形態を整えていたわが国が、画竜点晴の実を挙げ得たのは正に大和尚のお陰である。

奈良旅行 2

 
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   東大寺正門の阿吽の像 「これはどちらでしょう」

 
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   東大寺の正門  「古くって大きくて」


 
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   東大寺の古模型  「最初はこんな風だったのね」


 
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   回廊を巡る


 
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    大仏ざま   「兎に角人のいかにに小さいいかをおしえられます。悩みだって小さなものなんだよね、キット
   


 
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   回廊を巡って出口へ」


 
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    枝垂れ桜  「美しい、豪華でした」


 
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    宿から奈良の町が一望できる。「夜には奈良の夜景も結構綺麗でした」


 
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   宿の部屋の前で咲いていた花 「なんという花でしょう」


 
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   宿の前の桜  「まだまだ固い蕾でした」

 
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   新若草山ドライブウェイの看板


 お汁粉を食べて元気が出た私達一行は、東大寺に向かった。
 今度の旅行でもう1度会いたかった大仏様に会える。

 其の時まで私達は門限があるということを知らなかった。

  やっと東大寺に着いた時、法被を着たお兄さんに「東大寺に行くの、急がないともう時間
 がないよ。
 と言われた時もう4時を過ぎていた。門限は5時だという。
 此処は国宝のお寺。働いているのは県のか市のお役人。5時になったら仕事は終わり。
 さっさと帰ってしまうのだという。

 慌てて中に入った私達は門の大きさにも、古さにもまず驚き、圧倒された。

 私は御集印帖を持って歩いていた。この御集印帖は前回奈良に来た時求めた物でそれによると前回東大 寺に来たのは、平成11年2月13日だったようだ。

 今回この御集印帖には東大寺大仏殿の印と「華厳」東大寺と書かれている。

 「華厳の教えとは」

 東大寺は、華厳経のお寺で、その根本を解く「大法広佛華厳経」は、時間と空間を超えた佛を説いた教 えであり、偉大で、正しく、広大な佛の世界を、菩薩の様々な実践の華によって飾る事を解くお経だそ うです。

 「華厳経」では、佛とは、毘ル遮那(ヴァィローチャナ)佛の事を指し、その意味は、遍く照らし出し ている無限の光明そのもであり、光明遍照と訳されます。

 この大佛さまは、お釈迦様が、無限の修行をして悟りを開き、人々を救うために蓮華蔵世界という「悟 りの世界」の教主様になられたお姿で、実に人間的な佛様です。

 密教では、同じ毘ル遮那が「大日如来」となり、心理そのものの人格化で、宇宙の生命そのものと考え るのです。その事が華厳と異なる。ところです。

 というような事が書いてあるのを読みながら、
 大仏様の大きさにただただ見上げて立ち竦むのみでした。

 もっとこの時空の中に居たかったのですが、何しろ時間がない。
 後ろ髪惹かれる思いで東大寺を後にしました。

 今日の宿は、新若草山ドライブウウェイを入って直ぐのところにある
 「三笠温泉」と言う所にしました。

 結構奈良は人気が有るらしくなかなか宿が取れず、こんな上まで上がってきたのです。

 心地よい疲れを温泉で癒し、今日は早寝です。


 「東大寺」

 東大寺は奈良時代聖武天皇の発案で創建された、大和の国分寺でル舎那大仏が本尊とされた。
 天平勝宝四年(752)盛大な開眼供養が行われた。

 その後度々損傷を蒙りその都度修理されていた。
 両手は桃山時代、頭部は江戸時代、のものである。

 大仏殿は創建以来、治永四年(1180)と、永禄十年(1567)に兵火に蒙っていて
 江戸時代に立て直された三度目のものである。横幅が3分の2に縮小されているが、
 それでも木造建造物としては世界一の規模を誇っている。

奈良旅行 1

 
 
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   興福寺の北円堂


 
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   北円堂に桜2分咲き


 
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   興福寺で見つけた看板 「こう生きたいものですね」


 
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   興福寺五重の塔 「ポカンと口をあけて見とれますね」


 
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   猿沢の池に桜


 
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 五重の塔に咲く桜  「3〜4分咲きと言う所満開に成ったら綺麗でしょうねぇ」

 
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   歩き疲れてお汁粉を食べてる私 「以外に美味しかったです」


 
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   氷室神社


 
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   氷室神社に枝垂れ桜 「満開に咲いていました。美しかったです」


 
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   松の真ん中から竹が生えていました。長い時間を感じます。


 
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   浮き見堂


 
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   浮き見堂の側にも桜。満開の時は素晴しいんでしょうね。


 
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   奈良公園  沢山の鹿が遊んでいました。


 
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    荒池


 
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   興福寺の南円堂


 
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  丸窓梅林 「元春日大社経庫を改造した丸窓亭(鎌倉時代)付近1帯に梅樹が多くこの名が付いたと言う」


 
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   夕暮れの中の五重の塔


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   近鉄奈良駅前にある平城京の看板



  先週チーム佳江で奈良へ旅行しました。

 チーム佳江は息子と病気に成ってから欠かさず週1度私を見舞ってくれて、

 サポートしてくれた、息子の友達、私の親友の4人です。

  偶々名古屋に居る甥から電話があり、この旅行の話を聞き参加したいと言う事で、彼は車で、

 近鉄奈良駅で待ち合わせという事で、朝10時頃の新幹線で出掛けました。

 奈良は初めてではないのですが、年を経て行けばその時その時で違う感動を与えてくれる、奈良が好き でどうしてももう1度行って置きたかったのです。

 近鉄奈良駅には1時半頃着きました。

  奈良駅の喧騒から1っ歩路地を中に入るとそこはもう興福寺の境内で、一気に喧騒が消え、
  広大な静 寂の中

 時間軸も違う、別な時空の中に入り込んだ不思議な気分に襲われます。

 ユックリと境内を散歩し、その足で奈良公園をぶらぶら散歩しながら東大寺を目指す事にしました。

 途中、猿沢の池の周りを巡り、鹿を追っかけたり、3分咲き位の桜に喜んで、(東京は桜満開だという

 のにね)歩き疲れ、小さな店の飯台に座って、お汁粉を食べたり、他所の子が鹿に煎餅やるのを眺めた 
 り何が有ると言う訳ではないのに、楽しくって、ケラケラ笑いながら東大寺に向かいました。



 興福寺の歴史

 興福寺は法曹相宗の大本山として知られています。
 その前身は飛鳥の「厩坂寺」であり、さらに遡ると、天智朝の山背国「山階寺」が起源となる。

 その山階寺は、天智8年(669)に藤原鎌足が重い病を患った時夫人が夫の回復を祈願して、釈迦三 尊、四天王などの諸仏を安置する為に造営したものと伝えられている。

 その後応仁の乱(672)の後、飛鳥に都が戻った際に移築され、地名を取って厩坂寺とされました。

 平城遷都の際、藤原不比人等の計画により、移されると共に「興福寺」と名付けられた。

 その後、天皇や皇后、藤原氏に手厚く保護され、平安時代に春日大社の実権を手中にに収め、大和国を 領する。又、鎌倉、室町時代には山和国の守護の任に当たり、徳川政権下では、地検で、春日大社興福 寺合体の知行として2万1千万石と定められた。

 その後、明治時代、神仏分離令、廃仏毀釈、社寺上地令などで荒れ果てましたが、寺僧有縁の人々の努 力で復興し新たな興福寺としての歴史を刻んでいる。

緩和ケアー

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                元気な頃の私

 3月27日日赤病院の緩和医療課から電話があり「、明日キャンセルが出たので来院できるか?」

 と言う。

 慌ててガンセンターの相談室に電話して、私の担当医からの紹介状やそのほかの書類が揃うか

 聞いてみた。書類はそろうがどの様に取りに来るかと聞かれ「着払いでバイク便を使って欲しい」

 と頼み、3時ごろ書類は届きました。

 28日、3時の予約でしたが、初めての病院だったので、息子と私は1時半に家を出ました。

 用賀がから高速に乗って、事故渋滞にうんざりした所で、肝心の書類を忘れた事に気が付きました。

 パニックに成りかかる私に、「出来るだけの事をしてみる。遅れると解ったところで電話した方が良  い」と言い、三軒茶屋で高速を下りて、渋谷から家に向かって乗り直し。

 幸い下り車線は空いていたので、家に帰って書類を取り、用賀に戻った時は、30分前、

 日赤に少し遅れるかもしれないと電話を入れて了解を取り、私はホッとし、無言で切り抜けてくれた息 子に感謝です。

 病院には5分前に着き、予定通り、「緩和ケアー」の医師による審査がありました。

 まず聞かれた事は、家庭環境、夫は居るか?子供は何人?男?女?結婚している、独身?

 働いているか、前は何をして働いていたか?どの子と同居しているか?

 次は何故緩和治療を選んだか。主治医から自分で選択してと言われてとこれまでの経緯を説明。

 で、なぜ科学治療でなく、緩和医療を選択したか?と聞かれ、「最後まで自分の足で立っていたい。

 寝たきりで過ごすのは生きているとは思えない、最期まで生きているという実感が欲しいから」

 と応えました。

 「自分の性格はどんなだと思う?」と聞かれ「頑張りやさん、目標があれば結構頑張れる。

 でも臆病」と応えたら笑っていた。

 「これで審査に掛け、引き受けると成ると、まずは外来で通院しながら様子を見ていく事になるでしょ う。

 決まったら郵便で次からの外来治療日をお知らせします。」

 と言う事で面接は終わり、緩和治療病棟を見学させてもらった。

 兎にも角にも患者さん中心の広く綺麗でゆったりとした病棟だった。

 此処に何時ごろからお世話に成るのだろう。なんとも複雑な気持ちで見て回った。

 11日の10時に診察予約が入りましたと手紙で知らせが入った。

 5日にはガンセンターに予約が入っているので、最期の診察を受け、私は日赤病院の患者になる。

 何かが確実に決まって、少し腰の落ち着きが良くなったかな。



   生きる

         生きることの むずかしさ

         生きることの ありがたさ

         生きることの うつくしさ

    まかせきって

    生きることの

    よろこびに燃えよう
                    坂村 真民


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