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元気な頃の私
3月27日日赤病院の緩和医療課から電話があり「、明日キャンセルが出たので来院できるか?」
と言う。
慌ててガンセンターの相談室に電話して、私の担当医からの紹介状やそのほかの書類が揃うか
聞いてみた。書類はそろうがどの様に取りに来るかと聞かれ「着払いでバイク便を使って欲しい」
と頼み、3時ごろ書類は届きました。
28日、3時の予約でしたが、初めての病院だったので、息子と私は1時半に家を出ました。
用賀がから高速に乗って、事故渋滞にうんざりした所で、肝心の書類を忘れた事に気が付きました。
パニックに成りかかる私に、「出来るだけの事をしてみる。遅れると解ったところで電話した方が良 い」と言い、三軒茶屋で高速を下りて、渋谷から家に向かって乗り直し。
幸い下り車線は空いていたので、家に帰って書類を取り、用賀に戻った時は、30分前、
日赤に少し遅れるかもしれないと電話を入れて了解を取り、私はホッとし、無言で切り抜けてくれた息 子に感謝です。
病院には5分前に着き、予定通り、「緩和ケアー」の医師による審査がありました。
まず聞かれた事は、家庭環境、夫は居るか?子供は何人?男?女?結婚している、独身?
働いているか、前は何をして働いていたか?どの子と同居しているか?
次は何故緩和治療を選んだか。主治医から自分で選択してと言われてとこれまでの経緯を説明。
で、なぜ科学治療でなく、緩和医療を選択したか?と聞かれ、「最後まで自分の足で立っていたい。
寝たきりで過ごすのは生きているとは思えない、最期まで生きているという実感が欲しいから」
と応えました。
「自分の性格はどんなだと思う?」と聞かれ「頑張りやさん、目標があれば結構頑張れる。
でも臆病」と応えたら笑っていた。
「これで審査に掛け、引き受けると成ると、まずは外来で通院しながら様子を見ていく事になるでしょ う。
決まったら郵便で次からの外来治療日をお知らせします。」
と言う事で面接は終わり、緩和治療病棟を見学させてもらった。
兎にも角にも患者さん中心の広く綺麗でゆったりとした病棟だった。
此処に何時ごろからお世話に成るのだろう。なんとも複雑な気持ちで見て回った。
11日の10時に診察予約が入りましたと手紙で知らせが入った。
5日にはガンセンターに予約が入っているので、最期の診察を受け、私は日赤病院の患者になる。
何かが確実に決まって、少し腰の落ち着きが良くなったかな。
生きる
生きることの むずかしさ
生きることの ありがたさ
生きることの うつくしさ
まかせきって
生きることの
よろこびに燃えよう
坂村 真民
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