腹膜ガンからの逃亡中

癌と戦いながら、いかに日々楽しみを見出すか挑戦です。

奈良旅行

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法隆寺では沢山写真を撮ったので、別口で乗せてみました。
写真の説明しておきます。

 1枚目   回廊の外で、桜まだ1分咲き。
 2枚目   東院鐘楼        3枚目   食事所から先・立ち入り禁止でした。    
 4枚目   外に出て振り返って   5枚目左  何の樹?なんのはな  
 6枚目右  法隆寺・五重の塔    7枚目   西円堂ー国宝   鎌倉時代のものだそうです。
 8枚目   五重の塔        9枚目   夢殿から
 10枚目  南大門  
 6枚目右  法隆寺・五重の塔    7枚目    夢殿から  

奈良旅行 5

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   法隆寺・と掘られた大きな石に迎えられて。


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   法隆寺・五重の塔  何処の塔も良いけど、酢後ももかんぎられるのは屓目?  お釈迦様の遺骨が収められているとの事です。



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   法隆寺・聖雲院



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   三経院


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   法隆寺・東室西室の前





私達は奈良最期の寺社に法隆寺に来ました。奈良に来たら法隆寺を見ないで帰る訳にいきませんもの  ね。

  法隆寺が何たるものであり、聖徳太子の事も、世界最古の木造建築で世界遺産に日本で最初に登録さ  れた事も、 誰でも知っている事ですよね。

  一歩寺社の中に入ったら、飛鳥の時代にポンと放り出されたように、身も心も、し~んと静まり
  何故か小声で話しながら、どの建物を見ても、どの仏様を拝んでも、涙がこぼれて来る様に感動す   る。

  改めて私は奈良が好き、奈良に、今訪れる事が出来た幸せをかみ締めずにはいられませんでした。

  何時までの離れがたく、もう4時半で閉めました、という何かの展示室に、「看板だけでも見せてく  ださい」と入り込み、受付の小父さんも私達の迫力に押されて、看板で何を展示してか説明してくれ  ました。

  どれかの建物を補修する為に解体したら、天井の梁に、当時の大工さんが落書きをしていた。

  という話でその画が看板に写真で張ってあったのです。へーと驚いたり、その稚拙な絵に、
  これ私並、と笑ったりしていたら、他の観光客、外人さんだったのですが、
  入ってきてしまったので、これでは  迷惑に成ると、早々に其処から出ました。

  最期に出口の側に休憩所があり、一服しながら振り返って、暫く離れる事が出来ませんでした。

  

奈良旅行 4

 
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   薬師如来像


 
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   薬師寺・南大門


 
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    薬師寺・南大門
  

 
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    薬師寺・東院堂


 
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    薬師寺・東塔


 
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    薬師寺・西塔


 
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    垣根の外から唐塔・西塔を望む


 
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    御影堂の外の道


 
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    金堂の前に咲いていた桜


 
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      薬師寺に咲いていた枝垂れ桜 


 
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  御影堂・校倉     




私達は薬師寺に向かいました。

 薬師寺は天武天皇により発願(680)持統天皇によって本尊開眼(607)文武天皇の御世に至り
 飛鳥の地において堂宇の完成を見た。
 その後、平城遷都(710)に伴い現在地に移されたものである。

 薬師如来を中に右に日光菩薩、左に月光菩薩、合わせて薬師三尊像といいます。
 薬師如来は東方浄瑠璃浄土の教主で、
 又の名を医王如来とも言い人々の身と心を救ってくれる仏様です。

 今この時の私が何をお願いするのかおかしな図です。

 勿論心の平安のままその時を迎える事は願いますが、この身を健康にとは願う訳ではない。
 しかし子供等やその家族が健康でありますようにとお願いしました。

 薬師寺は、金堂・西塔・東塔・中門・回廊・大講堂と白鳳伽藍の美しい建築美を誇っています。

 東西両塔を挟んで金堂を仰ぎ見るのは、ため息が出るほど美しかったです。

 回廊を歩くと、飛鳥の時代に遡っていく意識が、朦朧と心地よい思いに誘ってくれます。

 広いお寺さんの中を散策していると、刻と時間を忘れさせてくれますね。

 玄装三蔵院伽藍を参拝する事が出来、三蔵法師のお話を思い出し話をしながら見学していたら、
 玄装三蔵院の等身大の像の前にフエルトで出来た真新しい長靴が像の前に揃えてあり、
 「その時代こんな靴を履いてたとしても、今置くのは可笑しいねぇ」なんて立ち止まって話していたら
 小父さんが興味に惹かれて我々を押し退けて、覗き込んできて、倒れ込みそうになり、
 思わず連れが手を出して起こしたものの、「そんなに剥きに成らなくても」と、
 ビックリするやら一寸引いてしまう瞬間がありました。
 
 そんな笑い話があり、しっとり雰囲気に浸る時がありで時間は、あっという間に過ぎ去ります。

奈良旅行 3

 
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    瓦に願いを書く私  「緊張してます。字は下手だけど心はこもっています。



 
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    瓦に願いを書くに当たり基金として3千円受領しましたと言う請書


 
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    見事な石に「唐招提寺」と彫り込められていました。


 
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    鼓楼  境内唯一の重層建造物舎利殿


 
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    唐招提寺  弥勒如来さん。  


 
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    正倉院   外から建物を見るだけでした。開帳する事が有るのだろうか。


  2日目のです。ハイウエィを戻って、正倉院によりました。
 そこは中に入れず外から見るだけでした。

 そこから車で古刹唐招提寺に向かいました。

 行ってビックリです。
 丁度金堂大修理中で工事用の壁に囲まれていました。
 御朱印帖を持って受付で書いてもらいながら聞いてみると
 痛みが激しくなって来たので1度解体して修理しながら立て直すのだそうです。

 そこで広く修理基金を募るため「瓦結縁」として
 願いを書いた瓦を新しい建物に乗せる事が出来るのだと言う。

 早速、甥が3千円を払って私に書いてといいます。
 300年後又修理の時下ろして見て痛んでいなければ又修理後の金堂に乗せるのだと言う。

 さて今の私の願い事とは何だろう。
 「病気平癒」は可笑しいし、交通安全、学業成就でもない。
 悩んだ末に、私の周りの人々のことを考えて「家内安全」と書きました。

 瓦に字を書くのは難しいです。筆もボロボロに成っているし、
 「弘法筆を選ばず」ですが、字が下手な私は書く前から色々言い訳しながら、
 私と息子と甥の連盟で今日の日付けを入れ出来上がりです。

 旅って面白いですね。
 お目当ての金堂には会えませんでしたが、
 新しい金堂に願いを書いた瓦を乗せると事が出来ると言う滅多にない経験が出来る。

 考えて見てください。私の下手な字で願いを書いた瓦が
 300年後まで残るんですよ。

 300年後ってどうなっているのでしょう。
 今盛んに言われているように、温暖化のせいで地球は破滅しているのでしょうか。
 それとも、やっぱり人々は賢く危機を乗り越え、
 日本も中国もアメリカもなく大きな地球と言う平和なところになっているのでしょうか。
 地球外生物に乗っ取られているのかも。

 考えると色んな事が思い浮かんでファンタジーですね。
 でも案外あっという間で今とあまり変わらないのかな。
 一つだけ「今より平和でありますように」それはシッカリ願いを込めました。

 そんな300年後の事を皆でがやがやお喋りしながら、講堂や御影堂などを軽く見学して
 次の薬師寺に先を急ぎました。


  唐招提寺

 都が奈良にあった時代は奈良の中心地に位置し、759年天武天皇の皇子新田部親王の旧邸地を賜って
 此処に唐招提寺が創建された。
 唐の国から来朝された鑑真和尚招提ーみ仏の下に修行する人達の場と言う意味を寺名として掲げた。
 
 開山唐僧鑑真和尚は天武天皇の願っての招聘に応え、受戒の師とし来朝するに当たり、
 12年の時を要し前後5回に及ぶ難航海に失敗したにも拘らず、
 初志を曲げず、奈良の都に着いた時は、 両目を失明していたほどである。

 画して大仏殿の前に戒壇を設け、聖武・孝謙両帝を初めわが国の多くの高僧達に受戒した。
 既に仏教国の形態を整えていたわが国が、画竜点晴の実を挙げ得たのは正に大和尚のお陰である。

奈良旅行 2

 
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   東大寺正門の阿吽の像 「これはどちらでしょう」

 
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   東大寺の正門  「古くって大きくて」


 
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   東大寺の古模型  「最初はこんな風だったのね」


 
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   回廊を巡る


 
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    大仏ざま   「兎に角人のいかにに小さいいかをおしえられます。悩みだって小さなものなんだよね、キット
   


 
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   回廊を巡って出口へ」


 
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    枝垂れ桜  「美しい、豪華でした」


 
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    宿から奈良の町が一望できる。「夜には奈良の夜景も結構綺麗でした」


 
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   宿の部屋の前で咲いていた花 「なんという花でしょう」


 
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   宿の前の桜  「まだまだ固い蕾でした」

 
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   新若草山ドライブウェイの看板


 お汁粉を食べて元気が出た私達一行は、東大寺に向かった。
 今度の旅行でもう1度会いたかった大仏様に会える。

 其の時まで私達は門限があるということを知らなかった。

  やっと東大寺に着いた時、法被を着たお兄さんに「東大寺に行くの、急がないともう時間
 がないよ。
 と言われた時もう4時を過ぎていた。門限は5時だという。
 此処は国宝のお寺。働いているのは県のか市のお役人。5時になったら仕事は終わり。
 さっさと帰ってしまうのだという。

 慌てて中に入った私達は門の大きさにも、古さにもまず驚き、圧倒された。

 私は御集印帖を持って歩いていた。この御集印帖は前回奈良に来た時求めた物でそれによると前回東大 寺に来たのは、平成11年2月13日だったようだ。

 今回この御集印帖には東大寺大仏殿の印と「華厳」東大寺と書かれている。

 「華厳の教えとは」

 東大寺は、華厳経のお寺で、その根本を解く「大法広佛華厳経」は、時間と空間を超えた佛を説いた教 えであり、偉大で、正しく、広大な佛の世界を、菩薩の様々な実践の華によって飾る事を解くお経だそ うです。

 「華厳経」では、佛とは、毘ル遮那(ヴァィローチャナ)佛の事を指し、その意味は、遍く照らし出し ている無限の光明そのもであり、光明遍照と訳されます。

 この大佛さまは、お釈迦様が、無限の修行をして悟りを開き、人々を救うために蓮華蔵世界という「悟 りの世界」の教主様になられたお姿で、実に人間的な佛様です。

 密教では、同じ毘ル遮那が「大日如来」となり、心理そのものの人格化で、宇宙の生命そのものと考え るのです。その事が華厳と異なる。ところです。

 というような事が書いてあるのを読みながら、
 大仏様の大きさにただただ見上げて立ち竦むのみでした。

 もっとこの時空の中に居たかったのですが、何しろ時間がない。
 後ろ髪惹かれる思いで東大寺を後にしました。

 今日の宿は、新若草山ドライブウウェイを入って直ぐのところにある
 「三笠温泉」と言う所にしました。

 結構奈良は人気が有るらしくなかなか宿が取れず、こんな上まで上がってきたのです。

 心地よい疲れを温泉で癒し、今日は早寝です。


 「東大寺」

 東大寺は奈良時代聖武天皇の発案で創建された、大和の国分寺でル舎那大仏が本尊とされた。
 天平勝宝四年(752)盛大な開眼供養が行われた。

 その後度々損傷を蒙りその都度修理されていた。
 両手は桃山時代、頭部は江戸時代、のものである。

 大仏殿は創建以来、治永四年(1180)と、永禄十年(1567)に兵火に蒙っていて
 江戸時代に立て直された三度目のものである。横幅が3分の2に縮小されているが、
 それでも木造建造物としては世界一の規模を誇っている。

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