腹膜ガンからの逃亡中

癌と戦いながら、いかに日々楽しみを見出すか挑戦です。

病気と心

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全7ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

[ 前のページ ]

病院に行ってきた。

イメージ 1

        私が通っているガンセンターです。

今日は2週間前に検査したCTとレントゲンの結果を聞きに病院に行ってきました。

 結果は、「マーカーの数値が300位だと影も見えない」と言われてお終い。
又3週間様子を見ましょう。と言うことでした。

 抗がん剤を始めると、やっぱりドンドン辛くなるので、3週間の猶予をもらったと思って、
又、どこか行って来ようか考えています。

 少し暢気すぎかな?

 今日は息子と一緒だったので、最近ブログで色んな人がアクセスして来てくれている話をし、今の自分の気持ちを確認してみました。

 私の考えている事だから、今、癌で治療中の方々や、家族を癌で亡くされた方々に勝手なこと言うな!と叱られるかも知れませんが、あくまで、私個人の考えだと承知してください。

 私は癌だと知った時から、死と言うことは覚悟しました。
それが何時来るのかは解らないが、確実に来る物なのだと言う前提の下、それまでどう生きるかを考えたいと思いました。

 それで病気の事は、幸いにもガンセンターという今、日本で一番、癌のことに精通している病院で、
がんのことしか頭に無い医師に見て貰っているのだから、其処にお任せ、
後は、神様の言うとおりで、それ以上の事、余計な事は考えない事にしました。


本当に此処の先生は癌以外のことは考えないんですよ。肝臓の数値が高くても、ガンではないと解るとそれっきり、血糖値が高いと言っても気にもしない。
それらは近所の病院で対処してもらっています。

 痛い苦しいは医師。 寂しい、辛いは神様(仏様)(ご先祖様)にお任させ。
来るとこは来ると、執着やしがみ付くジタバタハしない事に先ず決めました。

 それで、どう生きたいか?

 最期まで人として恥ずかしくない生き方をしたい。

 何か意味が有るのならその意味を知る努力をする。

 でも、私ごときにそんな大きな意味が掴めるなんて思うのもおこがましい。
解らないままや行きたい所、したい事、見たい事を過ごすだけで終るかもしれません。
 (今から何も見つけられない言い訳をしてる?)

 病人なんだからと、甘えたり、少々理不尽なことも許される、何て思わずに、あくまで、人間として、「それ遣っちゃいけないでしょう」と言うような生き方はしない。
それだけは決めているのです。

 其の外に、今、生きているのだから、生かされているのだから、何か意味が有るのだろう。それを探りながら、勉強しながら生きて生きたい。

 でも全く他の人の世話にならずになんて生き方は、できません。

 現実に、先日岸和田の七社詣をしたいと思って、実行した際、息子や其の友達、親友、そして岸和田で土生神社の宮司様、其のお友達に精一杯世話になりました。
 行きたいは、私の我が侭、でも理由は、良く生きる為のヒントが欲しい。だったのです。
それなら、と、息子達は一緒に行ってくれ、たぶん宮司様達は、そんな私の意気込みを買って下さったのだと理解しています。
 何時も誰かの世話に成っていると言う事、一人では生きられないのだと言う事を忘れず、感謝、「ありがとう」を常に肝に銘じて生きたいと考えています。

 死ぬ時後悔しないように、思いを残さないように、精一杯生きて行きたいと思っています。

 そうなると、私が死んだ後、側に居た亜樹彦は私の身内から、

 もっとして上げる事が有ったのではないか?

 他の方法を何故試して上げなかったのだ?と攻められる事に成るかも知れません。

 息子は、「今精一杯側で看病している。だから後で後悔はしない。あくまでお母さんの考え方を尊重しているから」と言ってくれています。

 だから、病気であくせく時間と気持ちを使わなくて済むと言うメリットが有ります。
じっくりと、
 自分のしたい事、

 するべき事、

 それらはただの我が侭か?人として恥ずかしい事ではないか?だけを考えて行動すれば良く
実にシンプルに生きられます。

 ただし、シンプルゆえに、より良く生きると言う事はどんな事か酷く悩みます。

 時々家族だから息子だからと、甘えてしまったり、甘やかしてくれる親友や、息子の友達に我が侭を言ったり、したりの、失敗は時々あり反省しきりの毎日です。

 最近、より良く生きようなんて、本当はとても難しいことだと思い知った。が、それしか今私には無いのだと、それも肝に銘じている。

 このまま変わらない(何も発見できない)そんな自分で行けたらそれはそれで、自分らしさを貫けたらそれも誇りに思えるかも・・・

  追伸

 病気した頃からボチボチ其の日の体調など書いていたノートを再発を期に開いてみたら、こんな記載がありました。

 「人生百とすれば、五十は半途、峠です。私は峠に来ました。(中略)峠と言っても、向こうは下りとは決まっていません。
 ヤコブの夢の天にかけたる階段(創世記28章12節)のように山の上にも山があり、山の奥にも山がある。
 人の生(よ)の旅は唯上りです。」
 
 その登りは中年の時のように強いられたり、または推偉の座を守る、栄賞を守るためのステップではありません。
 この場合自分のみを防御したり、飾ったりするといった付加物をつける必要は無く、裸の自分になれば良いのですから気楽です。周囲にとらわれず、自由人として生きれば良いのです。

徳富蘆花が五十歳の誕生日に随筆「新春」の中で、このように述べています。


 こんな文章が書き残してありました。これを書き移しながら何を考えていたのでしょう。

 山の上に山があり、山の奥にも山がある。

 この先の自分にも、決して楽な下り坂など無いのだと、心に言い聞かせていたのかも知れません。
ただ、私の山を登るのだから徳富蘆花が言うように何事にも捕らわれず、裸の自分で自由人として、生きたいものです。、

 

全7ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

[ 前のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン
コンタクトレンズで遠近両用?
「2WEEKメニコンプレミオ遠近両用」
無料モニター募集中!
お肉、魚介、お米、おせちまで
おすすめ特産品がランキングで選べる
ふるさと納税サイト『さとふる』
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事