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父の月命日の2/25、旦那方の伯父さんが肝臓がんで亡くなりました。
79歳でした。
正月明け早々に肝臓の3分の2を摘出したんだけど、
その後、十二指腸潰瘍が7か所に出来て下血が止まらず、
肝機能も低下し、黄疸が出て、浮腫も凄かったです。
その伯父さんには息子がいるんだけど、離婚していて、
心臓にペースメーカー入れてる奥さんしか付き添いができなくて、
私がちょいちょいS会病院まで行っていました。
2月20日頃から昏睡状態で酸素マスクをしていました。
胸水・腹水もひどく、昏睡状態でも私には苦しそうに見えました。
伯母さんは何をしたらいいのか分からずオロオロ状態で、
私は『そばにいてくれるだけでいいんやよ』と言いました。
足のむくみが特に凄かったのでリンパマッサージをすると
少しずつ浮腫がなくなり、伯父さんの顔も少し楽になったように思えました。
耳はちゃんと最期まで聞こえる・・・これ、本当ですよ。
伯父さんに『おんちゃん、まだ伯母ちゃんが話したいことあるんやって。おんちゃんもあるやろ?』
と、昏睡状態の伯父さんに尋ねると酸素マスクで下顎呼吸だった伯父さんの呼吸が
『ガーガー』から『スースー』とその時だけ変わったのです。
伯母さんもびっくりしてました。
伯父さんとはいい、身内で癌で亡くなるのは辛いです。
しかも、摘出手術を79歳の高齢でもやるというから少し安心していたのに…。
伯父さん本人が選んだ道だから仕方ないけど…。
おんちゃん、もうお酒もたくさん飲めるからね!
ゆっくり休んでください。
今までありがとう。
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早いもので父が亡くなってからもうすぐちょうど一年が経とうとしています。
実感はまだないですね…。なんか父が世界一周旅行に行ってる感じです。
息子も同じことを言っています(笑)
先月の12/5に私たち姉妹家族・父の兄弟で一回忌を行いました。
父の実家のお寺に一回忌をお願いしたら断られてしまいました。
祖父母とは別に私たちだけで供養したかったのでその旨を伝えたら
≪無理です≫と断られました。
なので、父の兄弟のお寺でやりました。
一応同じ浄土真宗だし、父は宗教にあまり関心がなかったし、
気持さえこもればいいかなと思い行いました。
一回忌の後、みんなで父がよく釣り友達と釣りをしていた海に行きました。
環境汚染なのでちょっと気が引けましたが、
父の好きなバラを海に投げました。
荒波の日本海、この日は天気はすごくよかったのですが、
風がきつく波も荒く、すぐに沖のほうへ流れて行きました。
我が家では毎日欠かさず息子と娘がお茶とご飯とおやつをあげています。
改めて父の偉大さに気づく今日この頃。
毎日、子供たちはじぃちゃんとの思い出話やじぃちゃんがいたら・・・と話しかけてきます。
じぃちゃんのこと、無理して忘れなくていい。
悲しくなったら泣けばいい。
いつかきっと、じぃちゃんが自分たちのじぃちゃんでよかったと思える日が来るから。
祖父母とは全く連絡していません。
逢ってもいません。
命日をどんな思いで過ごすのかな?
もうすぐ、1時37分。。。
私はこの1年間の思いとこれからのことを父に話しながら
眠りにつきたいと思います。
ずっと更新していなかったのにいつも来てくれて、ありがとう。
みんながいるから、私は頑張れます。
ファザコンでヾ(゚д゚;) ゴメンナサイ(笑)
父子家庭で、しかも末っ子だったもので父LOVEです♪
これからも父との思い出や、生い立ち、書いていく予定です。
今年は頑張って書きます!!
福井は雪がちらつき寒いです。
みなさんも風邪などひかぬように・・・。
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今、今までのブログを読み返してました。
初期のことが書かれていない!!
今更ながら書かせてもらいます。
2009年4月中旬
父が「最近、肩こりがひどいんや〜」と言うようになった。
いつも息子と戦いごっこをしてたから、
その頃は「お父さんも63歳やしな〜。湿布でも貼ったら?」程度にしか誰も思っていなかった。
GW中・・・
飲食業をしていた父が仕込中に「ネギのみじん切りが出来なくなった。手が痺れる。」と・・・。
店はGW中、臨時休業となった。これが父が仕事着を着る最後の日となった。
GW明け早々に…
姉と町医者(○病院(総合病院))にかかった。
レントゲンを撮ると医者(院長)が「来週、家族とまた受診してください。」と言った。
傷み止めに[ロキソニン]をもらった。
翌週・・・注射針ではなくメスで生検を行った。
医者は「来週、また家族と受診してください」と言った。
この日、「肺がん、もしくは悪性リンパ腫の疑いがあります」と聞いた。
翌週・・・生検の結果がまだ出ていなかった。
医者が「明日、医科大の先生が来るので家族と来てください」と言った。
翌日・・・医科大の先生の受診。(この先生が父の主治医となる)
「もっとよく調べたいので明日、医科大で検査を受けてください」と言われる。
翌日・・・医科大でMRI・CT・採血をした。
「来週、○病院で私が診察します。家族と来てください。」と言われ、この日は何も病気について言われなかった。
翌週・・・○病院の院長・医科大の先生の診察。
院長「肺がんか悪性リンパ腫は間違いないです。後は医科大に任せます。設備がないので…」
医科大の先生「明日、早急にペット検査をするので医科大に来てください。がんは間違いないです。」
この時、父は治療はしないと言った。
「苦しみたくない」と…。
翌日・・・医科大にてペット検査。
父が検査中、主治医に呼ばれた。
「原発は肺でした。詳しくは来週、話します。旅行に行かれるなら早めに・・・。」
丁度、父の64歳の誕生日が近かったので早急に温泉に行くことにした。
傷み止めに[オキシコンチン]をもらった。
温泉で「やっぱり頑張る。雄哉の入学式が見たい。まだ死ねない!!」と言ってくれた。
6月初旬・・・
「結果が出ました。進行性肺腺癌・リンパ節転移 ステージⅣです。入院の日取りは…任せます。余命は…2年です。」
主治医からの告知。父も同席してた。(告知希望だったので)
先生「かなり先の話ですが、延命措置はどうしますか?」
父「もうあかんのに苦しいのは嫌。しないで欲しい。だけど、治療は頑張ります。まだ死なれんのや。」
父が点滴している間に主治医に呼ばれた。
「先程はお父様がいたので余命を延ばして言ってしまいました。本当は無治療で4ヶ月。緩和も考えてください。」
・・・病院の外に出て、周りの人も気にせず凄く泣いた。
この時、私は「癌について勉強しよう。誰よりも父の支えになりたい。」と強く思った。
この日、祖父母に父が自ら「癌やった。」と話した。
そして…私たちは祖父母の言葉でさらに傷ついた。
この頃に祖父が「いくらかかってもいい。少しでも良くなる医者を早く探せ」と言い、
姉の紹介で東京の免疫療法の治療を受け始めた。
これは世間体の為だと亡くなった後に気付く…。
結局、父が「やるなら早くやらないと!!」ということで、6月中旬には入院した。
最初の抗がん剤はタキソールとカルボプラチンだった。
免疫療法・温熱療法も一週間に二回東京から往診に来てもらっていた。
これを3クール行った。
副作用は脱毛と直後に酒酔い状態になるだけで比較的楽だったと思う。
息子に父が「コロコロでじぃちゃんの頭、掃除して♪」とよく言ってた。
息子は「じぃちゃんが一人で丸坊主は可哀想やから僕も丸坊主にするわ」と、
息子は人生初[0.5ミリの丸坊主]になった。
しかし、耐性が出来てしまい当時の新薬≪アリムタ≫に切り替えた。
この頃から傷み止めも[デュロテップ](貼る麻薬)に切り替えた。
かなり便秘に悩んでたので[ラキソベロン]ももらい、
調整は私がしてたのですが難しく、下痢にさせてしまったこともあった。
当時、医科大では9人ほどアリムタを投薬している人がいた。
ほぼ皆さんに効いていたのだか、父には合わなかった。
まだ[アバスチン]の認可がおりていなくて、
東京の先生が早く実費でアバスチン・アリムタでやった方がいいと言っていた。
祖父母は「そんなもん金儲けしたいだけや。医科大に任せる。」と言い、
話は流れてしまった。
大まかですが、こんな感じでした。
父はタキソール・カルボプラチンの1クールが終わって退院した時から我が家に帰ってきました。
12月の年末の退院の時に祖父母の家に移りましたが…。
だから、実際に祖父母の家に父が済んだのは年末の2日間と亡くなる前の一週間だけ。
なのに、今でもあの人たちは「息子を住まわせてやった。」と周りに言っているようです。
私はたった9ヶ月間だったけど、一生懸命100%の力を出し切った感はあります。
亡くなる一週間前はほぼ24時間床擦れと腹水とおなかのあちこちに回った癌が傷み、
「起こしてくれ」「寝かせてくれ」と1〜5分間隔で言い、
ヘルパーさんと私と姉達と少しでも父の苦痛が取り除けるように
自分の身のことなど関係なくやってきました。(私はヘルニア持ちです(;^ω^))
しかし、「してやった」とは全く思いません。
「させてもらったから、今もこうして後悔もなくいられる」のです。
父のおかげです。
今、こうしてたくさんの方に私の駄文ブログを閲覧していただいています。
父が言った「何か闘病記録を残したいなぁ」の一言で始めましたが、
今は私が「父の人生そのものを残したいなぁ」という気持ちで書かせていただいています。
また時間がある時に父の生い立ちでも書こうかな?と思っています。
明日は息子のラジオ体操の公開録音(!?)があるのでそろそろ寝なくては…。
皆さん、こんな長文ブログを本当に読んでくださいましてありがとうございます。
おやすみなさい( u _ u ) クゥゥゥ。o◯
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