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3rd grade at Summerside Junior school in North Finchley, London, UK.
名前はほとんど忘れてしまったけど、
のエマだけはちゃんとしっかり覚えている。仲良しデイヴは、スポーツ万能で結構、悪い連中からかばってくれた。
隣に座っているリンダは、うるさかった。
いつか、またロンドンを訪れた際は、自分の足あとを辿って、あの頃の自分に
戻ってみたい。
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私の履歴書
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詳細
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今では事務方の総務課に属しているが、
入社してから十数年間は営業マンだった。
異動もあるわけで、支店も転々とした。
入社時は東京・板橋区の成増から始まり、
池袋、吉祥寺、自由ヶ丘、高崎(群馬県)、
柏、浦和。
正直、地方店舗と言ったら、高崎支店ぐらいなもので、
普通の営業マンは札幌だの名古屋だの関西、九州と飛び回る。
私はそんな地方巡りがない。
それが良いのか悪いのか分からないけれども、離婚したのが
高崎の時で、柏に異動させてくれたのも実家に少しでも近くにと言う
人事の配慮もあったからだと思う。
それは、いいとして、
いろんな支店を見て
一番アホな支店だったなと言うのが
「池袋支店」
もう時効だから言っちゃうけど、
2002年に日韓合同開催のサッカーワールドカップがあったよね。
その時、日本戦の時、広い営業場にあるプラズマテレビを付けて
支店長も含めて、営業マンは、場中(マーケット中)に営業をそこそこにみんなテレビにくぎ付け。
(^_^;)あほだったね〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。
しかし、私の課の課長は渋い顔をしていた。
(;一_一)まず〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。
ゴールが決まりそうになると
周囲から歓声が。
(;一_一)課長をチラ見・・・
まず〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。
ココロの中はドキドキもんだよ。
試合が終わった。
この後の結末は・・・
はい、ご想像の通りで
ウチの課長の怒鳴り声
おまえら〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!(怒)
(>_<)やっぱり。
今まで行った支店の中で
池袋支店は2番目に良かったかな。
良くも悪くも。
一番は高崎支店かな。
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ロンドンの生活が始まった
昭和55年1月6日。
数日後、家の近くの現地の小学校に入る。
Summerside Junior School。
ここで、小学4年生に上がるまで学校生活を送る。
当然、最初は、寂しくて、泣いていた。
英語も出来ない。
馴染めない。
でも、私だけは、特別に個別にひとりの先生がつき、
英語を学んだ。
一番、嫌だったのは、給食の時間。
マッシュポテト、ボイルドソーセージなど。
今まで口にしたことがない食べ物ばかり。
体育館兼講堂で食事をするのだが、
二人の怖い監視役のようなおばちゃんが見張っていた。残すことは許されない。そのプレッシャーで、何度、むせてオエオエしたことか。
あと、私は受けなかったが、授業態度や素行の悪い子は、校長室に連れていかれ、ムチを打たれていた。
(今はそのような体罰はないだろうが)
ただ、私が一番好きだったのは、ラウンダーズという野球に近いスポーツを体育の授業で、思いっきり活躍出来た事。バットは野球のものより短く、片手で打ち、ピッチャーは下手投げ。
ある大会で、私は打ったボールがピッチャーの顔面に直撃させてしまったこと。これは、本当に悪いことしたなと反省。
途中で日本人の転校生が入ってきた。私と同学年。
けれど、この学校では彼は1年下でした。
約1年半過ごしてきた現地校で、最後の方で、私はイジメを受けた。ひとつ上の学年の二人の生徒から。
それから、学校に行きたくなくなり、親にも言えなかった。
ようやく、3月に私は学校を去ることに。
というのは、4月から日本人学校に入学するため。
現地校、最終日、仲良かった友達から祝福され、私はみんなにグリコのおまけ付きのキャラメルを配った。
そして、ひとつ上の女子からお別れのキスをもらった。
これが、人生の初キス?(笑)
本当は、クラスに好きな子がいたのだが。
Emmaという金髪のそばかす顔の可愛い子。
今はどうしてるだろうな。
4月。
ロンドン日本人学校に入学。
当時は小学四年生からでないと入れなかった。
(現在は一年生から入学出来る)
現地校で一緒だった、唯一の日本人の友達も
同じくして入学。
日本人学校では、
小学四年生から中学部卒業するまで学校生活を過ごし、
昭和62年の1月、高校受験のために帰国するまで過ごした。
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昭和55年1月5日
成田空港北ウィングターミナル
午後10:30発
日本航空ロンドン行きの搭乗を待つ。
当時は東西冷戦でシベリア上空を飛べる便は少なく、
欧州便はほとんどが北回り経由(アラスカ・アンカレッジ)。
私、母親、弟の三人は、祖母や従姉妹たち家族に見送ってもらった。
エスカレーターで降りるとき、みんなは私たちに大きく手を振ってくれた。
私と弟は母親のうしろを歩いて飛行機に搭乗した。
夜も遅い。
緊張していた私たちは機内であやとりをしていた。
何時間たったのだろう。
飛行機は給油のためにアンカレッジ空港に到着。
乗客はいったん降ろされる。
待合ロビーには売店があり、おそばもあり、食べてみたが正直、まずかった。
これは、誰も言っていた話。
そして、また私たちは機内に搭乗し、飛行機は一路ロンドンへ。
窓からはアラスカの白銀の雪に包まれた山々が。
その中に、そびえたつ山が見えた。
マッキンリー山。
次第に外は暗くなり、
夜になったのだ。
1月6日
飛行機はロンドンのヒースロー空港に早朝に着いた。
眠気眼だった私は現地のJALのスタッフに誘導されて
出国ゲートを出た。
そこに現れていたのは、父親の姿だった。
迎えに来てくれていたのだ。
そこから、あまり憶えていないのだが、
タクシーに乗って家に向かったと思う。
家に着いたとき、すぐさままた眠りに就いた。
時差ボケを初めて経験した。
起きた時は夕方。
ここから、英国での生活がスタートする・・・。
なにもかも初めてみる光景。
つづく
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のエマだけはちゃんとしっかり覚えている。

