空・・花・・人・・かんじるままに・・

素直に素直に・・・・感じましょ。お話ししましょ

全体表示

[ リスト ]

イメージ 1
 
  宝塚シネピピアめふで一日限りの上映会が大盛況で終了しました。
  4回上映で300名以上の方がお越し下さり予約だけでも100名近い方が
 いらしてくださいました。
 一回目は11時上映にも関わらず9時半から並んでくださってました。
 急きょ市民の声が上がりこの上映にこぎつけてくれたため多目的ホールの臨時上映会になり100名の席も追加した位。
  
イメージ 2
和風ホールだったので座席も座卓形式で見る上映会。
こんな形式もなかなかアッとホーム的な形式。。
 
反対に画面が近くすごい迫力があり、観客の方の中にはずっと泣いておられる方もいらした。
小学生の子どもさんは怖かったと、ドキドキしながらみてくれたよう。
代表が4回上映後。トークを行った。
さすがの代表も4回トークは少々きつかったよだが、見てくださった方達の熱心な
勢いに負けじと熱く語られた。
イメージ 3この映画がどのように作られたか。
そして当時の教師たちがお金を出して作り市民9万人の出演のいきさつ。
映画にを作った時のエピソード。
そして命とは。愛とは。人権とは。。
そしてこのフィルムをリカバリーしたい旨を語り、皆さんが この映画を見て感じたことをメッセージに書いてください。このメッセージを集めて。英語版のDVDとともに。国連やオバマ大統領に送ることを説明。
世界各国で上映するためにも核はいらないんだということを訴えますと・・
みなさん理解してくださって熱いメッセージが寄せられた。
 
小学生から70代の方たちまで・・・みなさん真剣に代表の言葉に耳を傾けていらした。
そして市民の方たちから「NHKでこの映画は放送するべきだ!」「市長はみたのか!」「中学生や高校生に見せるべきだ!」「この映画はなぜ今日だけなのだ!」
 
なかには、「12歳のときにこの映画を見空ひばりとノ2本立てで見たけどこの映画の衝撃的な映像に呑みこまれた」
「馬が原爆で倒れて行くシーンがいまだに頭に残り、パパ・ママ・ピカドンの言葉が
頭から離れなかった意味がやっと理解できた」
「隣人は広島出身の方で、当時のことを辛くお話をされることを聞いてたので、お誘いしなかったけどこの映画のことをお話してみるわね」
みなさん・・この映画を見られたらたくさんの人に紹介してください。
民衆が市民が声を上げることが上映にも結び付きますと代表も仰った。
 
上映と上映の合間に代表に電話がかかり。「埼玉のものです。今群馬の前橋でこの映画を見た帰りです。この映画を今から地元の映画館に行って上映してもらえるように掛け合ってみます」と興奮した声で電話があり、こうゆう声が実に嬉しいねと。
 
イメージ 4このメッセージは2008年横川シネマデ初めてこの「ひろしま」を上映した時のメッセージです。
 
 
このメッセージから今現在があります。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そして昨日京都新聞に記載された月丘夢路さんの記事・・・
 
 
イメージ 5
 
 
 
ひろしまのDVD でも同じことを仰っていた。アメリカのスターたちが社会奉仕する姿が当たり前というのに自分は何もしていない。その時分に何かできること・・
そしてこのひろしまの主演がめぐり会わせてくれたと。。
 
吉永小百合さんも月丘夢路さんも多くの人に見ていただきたいという想いは皆同じ・・
 
本当に多くの人の目に触れることを祈ってお盆を迎えます。
 
昨日8月12日毎日新聞の中に学生たちがつくキャンパルの記事に・・・
 

キャンパる

戦争を考える/中 世界へ広がれ、映画「ひろしま」

 ◇1953年公開 監督補の息子、思い継ぎ各地で上映

 9万人の広島市民が出演し、キノコ雲の下の惨状を忠実に描いた映画「ひろしま」。1953(昭和28)年に公開されたが、当時の映画界の事情もあり、あまり広がりを見せることはなかった。半世紀以上の時を経た今、映画プロデューサー、小林一平さん(64)と、賛同した学生らが中心になって、「ひろしま」を国内外へ伝えていく「奇跡への情熱プロジェクト」が進んでいる。【「戦争と平和」キャンパる取材班】

 ◇「原爆体験伝えよう」学生ら英訳版作る

 小林さんが初めて、「ひろしま」を見たのは、大学生の時だった。「すごい映画を見たという思い。でも今思うと、当時はその価値の10分の1も理解していなかった」
 当時映画界には5社協定があり、俳優や監督は所属映画会社に縛られていた。それでも「作るべき映画を作りたい」とレッドパージで東宝を辞め、「ひろしま」の監督補を務めたのが一平さんの父、大平(たいへい)さんだった。
 だが、映画館は特定の大手映画会社と契約していたため、小さなプロダクションに作品上映の場はなかった。そのため支援する全国の教師たちは、映写機が無い山村の村々で、紙芝居にして「ひろしま」を広めた。
 出演した9万人の市民はエキストラ以上の存在だった。メークからセットまで、プロも素人もなく皆で作り上げた。がれきとして使う瓦は家から持ち寄り、爆発直後のシーンは、子どもたちが着てきた衣服を燃やして撮影に臨んだ。彼らの意識は「あの日」に戻り、画面に映らなかった人も、涙を流していたという。
 大平さんが08年に亡くなり、「ひろしま」の素晴らしさを、映画人としてさらに広めたいという思いを深くした小林さんは、同年広島で上映会を行った。そこで被爆者だと初めて明かした女性と出会った。「ぜひこの映画を世界に広めてほしい」。当時を知る人間の思いは、小林さんをつき動かした。「ひろしま」を再び世に出し、核廃絶を目指すプロジェクト「奇跡への情熱」をスタートさせた。
   ◇   ◇
 小林さんの情熱は、学生たちに連鎖した。昨年10月、京都市の立命館大学でプロジェクトの初上映会後、「英訳を手伝いたい」と小林さんを訪ねて来たのが、竹下由佳さん。当時立命館大学国際関係学部4年生だった。
 竹下さんは、原爆について「広島だけの問題じゃない」と話す。劇中、親を亡くした子どもたちが、観光客にがれきを売って生計を立てる場面がある。「他のどこに落ちても原爆孤児は生まれたはず。戦争を知らない若い世代には、想像力を働かせ、知ろうと努力する課題がある」。「ひろしま」を見て、広島市民の原爆経験は世界中で共有すべきだと感じた。そんな竹下さんの熱意に、小林さんは英訳を託した。
 今年1月、立命館大で上映会を行い、同志社大の米国人留学生2人を含む、16人が翻訳に集まった。
 翻訳作業を始めたのは2月。歴史背景を調べ、複数の辞書を引いた。表現一つとっても、その解釈には意見が割れる。時間をかけ、せりふを丁寧に理解したかった。
 劇中、市民は原爆を「ピカ」と呼ぶが、そのまま「Pikadon」と直訳し、最終的に英訳のふりがなを付けて「Pikadon(Flash−bang)」とした。被爆者の体験に根差す単語を生かそうという結論だった。
 広島平和文化センター理事長、スティーブン・リーパーさん(63)による最終チェックを経て、3月、英語の字幕スーパー付き「ひろしま」はこうして誕生した。2カ月後、スペインのバルセロナで行われた「国際平和博物館会議」で、英訳版が初めて上映された。
   ◇   ◇
 「この映画は単なる記録ではない。極限状況下でも、親と子、友を思い合う様子が描かれている」と小林さんは語る。「ひろしま」が伝える人間の本質は、世界中で共感を呼ぶはずだと小林さんらは信じる。海外では平和活動家たちが上映の準備を進めている。時代を超えた情熱を乗せ、「ひろしま」は今、再び世に出ようとしている。
   ×   ×
 「ひろしま」は、今月26日まで、東京のオーディトリウム渋谷(03・6809・0538)で公開中。

 ◇「忘れられたら冗談じゃない」−−広島で生まれ、教師役で出演・月丘夢路さん

 「私の意思が強かったものですから」。映画「ひろしま」で、教師役を演じた女優の月丘夢路さん(88)はそう振り返る。当時所属していた松竹に熱心に掛け合い、独立プロ製作の「ひろしま」出演を志願した。
 戦後渡米し、当たり前に行われる俳優の慈善活動に触れ、自分に何ができるかを考えるようになった。帰国後「ひろしま」製作のうわさを耳にする。「(社会に)恩返しさせてもらえる、良いものがあった」
 「やはり、故郷は一つしかありませんものねえ」。生まれ育った広島への思いは常にあった。たった一つの大切な場所を破壊された人々、離れることを余儀なくされた人々の悲しみの深さ。月丘さんの関心は同じように故郷を奪われた3月の東日本大震災へと向く。
 戦争も原発も「お国はずるい」。政治主導で行われた戦争に、一連の原発事故が重なる。「人民が強いんだ、というシステムをつくらないと。二度とやっちゃダメよ」と。穏やかだった口調が一瞬強まった。「戦争があって、こういう思いがあって、反省があってということ、伝え続けなければ」
 責任感の裏には、危機感がある。「だんだん薄れて忘れられてしまう。でも忘れられたら、冗談じゃないわよ」
 女優としてその人生を駆け抜けてきた月丘さん。「せっかく生まれてきたんだから、楽しく思いやって、何か一つでも残して」
バトンは私たちに託された。
 
 
渋谷でも一生懸命取材し、話を聞き、感じてくれたこの記事。
とてもいい記事になりました。
 
最後の
バトンは私たちに託された。   この言葉を忘れないで行こう・・・
 

この記事に

閉じる コメント(4)

顔アイコン

素晴らしい記事ですね…「傑作!」です。

4回上映で300名以上の来場者。思いが繋がっていっていること
その気持ちの広がりが強く感じられます。
代表も、4回のトークは大変だったことでしょう。
東京、関西と、kurukuruさんも代表と同じ位にお疲れの事と思います。
暑い中での活動ですので、どうぞお気をつけ下さい。

「だんだん薄れて忘れられてしまう。でも忘れられたら、冗談じゃないわよ」。月丘さんの言葉、
それは広島市民全ての思いであることでしょう。
この映画に込められた月丘さんの強い思いが届きました。

2011/8/13(土) 午後 9:12 alf's mom 返信する

顔アイコン

我が故郷・宝塚でこんなにもこの映画に人が集まったことはとても嬉しいですね。
めふは小さな町ですがここに集った人々の感動も、これからの反核社会の一端を担ってくれるのね。

お疲れ様でした。

ポチ☆

2011/8/13(土) 午後 11:52 [ kimako ] 返信する

顔アイコン

alfmonさん
いつもありがとうございます。本当に小さな劇場なんですが市民の方たちが4回の上映時間の前に人だかりの用に集まってくだ際ました。送れて走ってこられた方も何人もいました。
私たちは何も大きな後ろ盾はありません。皆一つ一つ手創りです。月丘さんのメッセージが出た新聞を草津の市役所の方が持ってきてくださって知った次第です。こ屋って皆さんの関心が少しずつ広がっていることが実感できる喜びです。

2011/8/14(日) 午前 8:36 [ kurukuru ] 返信する

顔アイコン

キマちゃん

いつもありがとう、、、お陰さまで300人を超しましたことに映画館長もびっくりでした。
市民の方が声をあげてくださってすぐに上映をしようと動いてくださった管長さん。本当に感謝です。あいてる劇場はなく急きょこのホールでの上映会でした。皆さんの熱心な姿にびっくりしました。
キマちゃんの広報本当にありがとうございました。
九条がどうなるだろうと。この調子じゃ恐ろしいなと管長さんは頭を抱えてました。本当に連日大盛況だったら嬉しいな。ありがとうね〜〜

2011/8/14(日) 午前 8:40 [ kurukuru ] 返信する

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

.


みんなの更新記事