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おはようございます。
お盆の入りの朝は大雨と落雷で幕開けです。
すごい雷で目が覚めた今朝・・山へお墓参りに行くのが微妙になりました。
ゆっくり仏様をお迎えする準備をしましょう。
オリンピックの閉会式も終わり感動をありがとう・・・
そしてゆっくり新聞を読み始めたころ目に入ったのが(ひととき)の記事でした。
義母が記していた原爆
1945年7月、医師120人が広島市の陸軍病院に集まった。
40,50歳代や病弱者が軍医予備員として召集されたのだ。
脊椎カリエスで療養していた37歳の義父も呼び寄せられた。
医師団は疎開して空き家になった住宅を壊すなど、およそ医者らしくない
作業に従事し、8月6日を迎えた。
朝礼が終わったころ、音もなく閃光がよぎり、義父は意識を失った。気付くと
皆が地にうごめいていた。
土地勘のあった義父は幸い仮説の病院にたどりつき、一命を取り留めた。
生き残ったのは、義父を含め3人だけだった。
以上は、10年前に93歳で逝った義母が残した手記だ。
義父の被爆体験が原稿用紙15枚につつ‘られている。義父は70年にガンで亡くなった。被爆の影響は明らかではない。
義父も義母も生前は原爆についてほとんど語ることはなかった。
私も広島出身だが語れる記憶はない。
義母は記していた。
「平和利用の名の下に原子力が脚光を浴びるが、爆発した恐ろしさは
広島・長崎の被爆が如実に物語っている」
お盆にやってくる孫に、インクが薄れつつあるこの手記を見せよう。
平和な日々の大切さを伝えたい。
70歳の主婦の方の手記でした。
映画「ひろしま」の中の出来事・・・肥田先生がこの映画にないのは
匂いだけだと仰いました。
それぞれの人生を一気に変えた原爆・・
今年はオリンピックイヤーだからか。原爆記念日の記事もニュースも
少なかったように思います。
伝承する意味・・
先人たちが私たちに遺した事実を伝えて行く意味があると思います。
私が子どのだったころ、よく戦争展がデパートでも開かれてました。
母に毎年連れていかれてました。
母は当時15歳の少女でした。祖父も戦争に行き無事に帰国できましたが
戦争の話はタブーだったそうです。
母も多感な少女だった時期にこの戦争が起こり原爆があり、終戦を迎え、新しい時代に必死で生きて、結婚をし、私たちを授かりやっと我に帰った時この戦争はなんだったんだろうって
顧みてたんでしょうか・・
展示物を食い入るように見つめていた母を思い出します。
涙してた母がいました。当時子どもだった私は母がひっそりと涙を拭く光景が
心の中でなぜ泣いてるんだろう・・聞いてはいけないのかなって思ったまま
聞かずじまいで終わってしまいました。
やはり伝承する意味は大切です。
被爆は今まさにじわじわと広がりつつあります。
未来ある子どもたちに平和を与えるのが私たちの役目でしょう・・・
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この一文・・・
>「平和利用の名の下に原子力が脚光を浴びるが、爆発した恐ろしさは広島・長崎の被爆が如実に物語っている」
今、電力需給に原発が必要か否かばかりが問われていますが、まずは人の命を守れるかどうかですよね。
その恐ろしさは私にはわからない、わからないけどもう二度と被曝者を出してはいけないことだけは心から願います。
2012/8/13(月) 午後 1:18 [ kimako ]
体験者の言葉や思いほど、
その出来事の悲惨さを的確に伝えるものはないと思います。
被爆者や戦争体験者の方々が超高齢化していかれるのを感じるにつけ
その想いを受け留めた「戦争を知らない子どもたち」だった私たちが
更に次の世代に伝えていかねばならないのだと
近年切に思うようになりました。
2012/8/13(月) 午後 11:12