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[本佐倉城跡:千葉県印旛郡酒々井町本佐倉・千葉県佐倉市大佐倉] (もとさくらじょう) ■別称:将門山城 ■城主:千葉輔胤〜 ■築城時期:文明年間(1469〜86) ■廃城時期:天正18年(1590)小田原合戦後 ■遺構:空堀・土塁・曲輪(10郭)ほか 【歴史】 15世紀半ば、名族千葉氏の内紛により宗家が滅び、庶家の輔胤が宗家を引き継ぎ、文明年間に印旛沼の湿地帯南端、陸路・水運の要衝の当地に築城。天文年間、安房里見氏などの侵攻もあって後北条氏と結んだが、千葉氏の内紛で当主が殺害されるなどした。天正13年千葉邦胤の殺害を受けて、後北条氏の直轄とされ勢力下に置かれるようになった。こうして本佐倉城が大改修を遂げることになります。天正18年秀吉の小田原攻めにより後北条方の城として接収されました。 本佐倉城を北方から望む 東光寺ビョウ前から城山、東ノ馬場方面を望む セッタイ山(郭)西の空堀 セッタイ山 セッタイ山から倉跡方面を見下ろす(下方は空堀) セッタイ山東南側の空堀 城山郭(主郭)・奥ノ山間の堀切 城山郭(発掘調査中です) 東ノ馬場から城山郭(左前方)、無名郭(右前方)を見上げる 城山郭から東ノ馬場方面を見下ろす 【メモ】 千葉氏が築いた当初の城が、城山周辺の主郭部分にエリアに留まっていたのに対して、後北条氏はセッテイ(セッタイ)山周囲に大規模な堀を築き、荒上、向根小屋など外郭を広げ、櫓、土塁、馬出(向根小屋南端部に設置)などの装置を備えて防御を強固なものにし、城下に領民を取り込んだ総構の城を完成させています。 平成10年国史跡指定。発掘調査・整備が継続しています。 昨年関東滞在時に千葉方面の城を散策した折に再訪したものです。早朝から、謙信一夜城、臼井城、師戸城、佐倉城など数箇所の城を電車と徒歩で訪ね、大佐倉駅を下車したころにはもう足がかなり攣り始めていました。やはり歳のせいでしょうか。でも懲りずにウォーキングも楽しみたいです(笑)。 ◇再訪日:平成20年3月9日午後3時30分過ぎ
◇最寄の公共交通機関:京成電鉄大佐倉駅下車、徒歩13分 |
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前回、佐倉城を訪城した際、あちこち本佐倉城を探しましたが、見つかりませんでした(汗)
次回は、下調べをもっとちゃんとしてでかけるつもりです。
写真を見て堀切など遺構がかなり残ってますね。
まだ、発掘してましたか?
2009/2/3(火) 午後 3:59
案内が十分じゃないので迷いますよね。私は二度目でしたが少々迷いました。
訪問したのが昨年3月なので、発掘の現状はわかりません、すいません。
立入禁止だった主郭を含め、かなり大規模に発掘していました。ビニールシートだらけで…。
まだまだ手付かずの場所もあったので、あの規模では調査は数年はかかるんじゃないでしょうか。
2009/2/3(火) 午後 8:18
本佐倉城って、すごく分かりやすく曲輪とかが残っているんですねぇ♪実は先週末、公約のとおり〜旦那さんに連れられ山城に行ってきましたけどぉ〜、こんなに分かりやすくなかったですよ。
もう雑木林の中を、けものみちを進むって感じでしたぁ ε=(>ε<*)プッ。
2009/2/3(火) 午後 9:23
dreamさん
相当な伐採があって現在の本佐倉城跡の姿があります。ほんと回りやすくなりました。
確か先の遠征先は美濃方面でしたか?もしや鉈尾城かはたまた北上して篠脇城あたりまで行かれましたか?
ご夫婦で山城攻めができるなんてうらやましいですよ。わが家ではありえません(泣)
2009/2/3(火) 午後 10:31
徐々に整備されつつありますね。昔に比べたら…
ここは本当にデカくて驚きました。空堀のバカデカさは尋常じゃないですよね…
2009/2/3(火) 午後 11:15
竹林は竹林でもったいない気がしましたが、堀などのスケールをじゅうぶん堪能できるようになり、たいへん有り難いです。
初めて上州箕輪城を歩いた時も驚愕しましたが、本佐倉もたしかに半端ではないですね。
2009/2/4(水) 午前 1:36
こんばんは!
(セッテイ)セッタイ山が気になりました。
もしかしたら、もてなしの「接待」のことでしょうか。
千葉氏が築いた当初の城が意外に広く大きかったようですね。
2009/2/4(水) 午後 8:02
九条さん
おはようございます!出勤途上の車内でレスしています。
そうです。セッタイ、セッテイ…。茶壷や大皿が発見されていますが、接待という説以外にもいくつか説があります。名前の由来を考えるのも楽しいです。
誰を接待するのでしょうかね。後北条家関係者なのでしょうか?想像が膨らみます♪
2009/2/5(木) 午前 8:20