丸子城、あと3回分くらいになりそうです(笑)。申しわけありません。
北曲輪は今川氏領有時代の主郭部分と考えられています。西側(画像後方部分)と北側虎口と見られる周辺は土塁で囲まれています。
三の曲輪へと続く曲輪部分。左手の細道は武者走りです。
三の曲輪に抜ける途中にあるやや南西側寄りの土橋。土橋の外側はそれぞれ竪堀となり東西へと落ちています。ここから先のパーツは武田氏によって増築された城域と考えられています。
竪堀の先が気になって見下ろします。そこには丸子城の見所である西側斜面の壮大な横堀が南北に走っています。こちらから見ると、堀が二重構造になっているのがよくわかります。
二の曲輪。南北に長い長方形をなしています。
二の曲輪のやや南東部に位置する枡形虎口です。向かい側上方に本曲輪があります。大堀切を挟んで本曲輪から板橋がかけられていたと思われます。自然崩落のためか、崩壊がかなり進んでいるようです。
二の曲輪と本曲輪(主郭)との間にある大堀切です。
本曲輪側から二の曲輪の枡形虎口を見下ろしました。
堀底を上がると、今度は本曲輪の枡形虎口が立ちふさがっています。(本曲輪側から撮影)
虎口の左右は長めの土塁により厳重に囲まれています。(本曲輪側から撮影)
枡形虎口を抜けると。「千畳敷」と称される南北にやや長い本曲輪が広がっています。武田氏時代の主郭と考えられています。左手に見える開口部は、喰違い虎口で、下段の物見曲輪につながっています。
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この城が、こんなに遺構の残る城郭だったとは!!
安倍川の上流あたりですよね〜
三日月堀も、幾つも走る堀も写真でしっかり解りますね
次の記事待ってます〜
2009/3/22(日) 午後 9:50
おつかれさまでした^^。
昔の隠密や武士同士が、戦ったのかもしれませんね。
今の時代に生まれて、ほっとしていますよ。
2009/3/22(日) 午後 10:55 [ アンクルなが ]
倉次郎さんの記事見てたら、第二次丸子城攻めの気分が盛り上がって来ました。
でもETCの割引が始まるから、我が館から遠く東美濃、東三河(2度目)、飛騨の地に遠征したいな〜
野望は膨らむばかり、でもお財布はしぼむばかりです(爆)
いつもゆるいコメント、すいません。
2009/3/22(日) 午後 11:21 [ 三日月堀 ]
おしょうさん
遺構の残存状況は県内屈指だと思います。甲州流の築城技術をこれほどしっかり見ることができるのはありがたいことです。
拙いレポですが、ご覧いただきありがとうございます。記事がんばります(汗)。
安倍川上流となると安倍城ではないでしょうか。丸子城はJR静岡駅の南西方向になると思います。
2009/3/23(月) 午前 1:03
アンクルながさん
こんばんは〜!
寄せ手の気持ちで城を歩いてみましたが、城の中心に行こうとしてもがけばもがくほど遠回りをさせられ、行き場を失って四方八方から攻撃を受けてあえない最期を遂げそうな感じがしました(汗)。運動神経も鈍いし、ほんとこの時代に生まれていなくてよかったです。
2009/3/23(月) 午前 1:16
三日月堀さん
いつもありがとうございます!
なんと、東三河もターゲットになっていますか!
東海地方への遠征帰りにでも、ぜひ第二次丸子城攻めをご計画ください!
5月前後に畝状竪堀目的で美濃方面へ出向く予定(ぼんやりとした予定です)でおります。
当方も単独で城攻めオンリーの遠征できるほど資金が潤沢ではございません。どこかに埋蔵金でもあればよいのですが・・・(笑)。
またご遠征計画お聞かせください♪
2009/3/23(月) 午前 1:24