くらじろうが往く

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(平成18年3月15日)
埼玉県東松山市に立ち寄った際に吉見百穴と松山城跡を見学しました。ここも大学1年以来の再訪でした。当時(20数年前)、たしかさわやか散歩とかいうガイドブックがあって、それを片手に埼玉や都内・都下の史跡を巡った覚えがあります。

東武線東松山駅からバスが出ていますが、私は徒歩(約15分)を選びました。百穴は何度見ても不思議な存在。妖怪でも住んでいそうな気がします(笑)。

松山城は応永年間扇谷上杉家に仕えた上田氏の築城に始まると言われていますが、北条氏、武田信玄、上杉謙信による争奪の場になりました。その後、北条氏の傘下に入った上田氏ですが、秀吉の小田原攻略の際、前田利家の3万の大軍に包囲され開城しました。
松平忠頼の浜松転封により慶長6年(1601)廃城となりました。

早朝の訪問でしたので、誰も見学者はおらず、じっくり回ることができました。遠方にはかすかに富士山の姿も拝めました♪

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武蔵嵐山にて

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(平成18年3月14日の日記から)
埼玉県立歴史資料館がある菅谷館跡などを除き、学生時代に訪れていなかった武蔵杉山城跡を訪問しました。
交通の便が悪いのが難点(東武東上線武蔵嵐山駅から徒歩40分くらいでしょうか)ですが、土の城に見せられた人間は苦になりません(笑)。
大手口にある積善寺の右手の道を上ると、広場の先に真新しい説明板があり、まずは南東ノ曲輪から進攻。南四ノ曲輪の虎口から南に向かって土橋が見られその先には馬出遺構がありました。そこから南四ノ曲輪に入ると、そこは発掘中。とんだ邪魔をしてしまいました。
それにしても同城はコンパクトなのに実に入り組んだ構造です。主郭、南二ノ曲輪と続く西側は切岸、横堀、竪堀などの装置があります。東、南東側もそうですが、攻め手は常に横矢をかけられて掃討されます。
鎌倉街道沿いの上杉方との接点にある杉山城は極めて重要な拠点であったはずですが、城の来歴は不明です。
あちこちで土のうなどで補強してある部分が見受けられました。細かい案内表示などもこれから整備されるのでしょうか。もしかして浜松の高根城跡のように櫓などの復元もあるのかな。発掘調査の方々に一言聞いておけばよかった…。
それにしてもこうして楽しく見学できるのも、地主さんのご理解とご協力があってこそですね。 有り難いことです。

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