くらじろうが往く

更新さほりまくりで、すいません。m(__)m

お城めぐりとウォーキング

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全6ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6]

[ 前のページ | 次のページ ]

砦跡で雨宿り

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

(またまた過去ブログからです)
大府方面に出向いたついでに、大府高校の南にあたる石ヶ瀬川古戦場と東浦の村木砦跡と村木神社周辺を散策してきました。今川方と織田方との戦闘のあとですが、遺構はほとんど残っていません。古戦場の説明板は工事中のため撤去されたらしいです。残念・・・。
足を棒にしながら散策中、急に雨が降り始めたので、村木砦跡の八剣神社でしばらく雨宿りさせてもらいました。しかし考えてみると、戦死者の鎮魂のために建てられた神社であり、無礼千万でした。お詫びにお参りしてきました。すると、数分後には陽が差し始めました。

村木砦跡までJR武豊線尾張森岡駅から徒歩5分余りと至便なのですが、何分本数が少ないので(1時間に2本)、かなりのロスタイムが出てしまいました。次回は何としても車で回らないと・・・。久々に常滑周辺の城を再訪したいと思っています。

(撮影訪問日:平成16年9月6日)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

[船岡城跡(舟岡要害):宮城県柴田郡柴田町船岡舘山]

別名:柴田城(館)、四保城(館)、近世の藩政期は舟岡要害
城主:四保氏・柴田氏〜屋代氏〜原田氏〜柴田氏
時期:天文年間〜明治維新
遺構:土塁・石塁・空堀・井戸

鎌倉初期に芝田次郎がここを拠点とした際に、源頼朝の命を受けた宮城四郎の追討を受けたといわれています。
16世紀初頭、柴田氏の先祖である四保但馬定朝が居城とし、2代宗義の時に柴田氏に改めました。慶長年間に屋代氏が所領とし、元和3年原田甲斐宗資が入封しましたが、寛文11年(1671)原田甲斐宗輔一族が寛文事件(伊達騒動)で滅びると、柴田氏が再度領主となり元禄年間に現在の三の丸に居館を構え、明治維新に至りました。近世に至るまでの中心は本丸、二の丸にありました。仙台藩領内には舟岡要害も含めて21箇所の要害(支城)が存在していました。

現在城跡は船岡城址公園となり、白石川堤の桜並木とともに桜の名所として知られています。JR船岡駅から徒歩15分かけて城跡に到着したところ、ちょうど秋のしばた菊の祭典(菊人形まつり)が開催されていてたいへん賑わっていました。スロープカーを利用して平和観音まで登り、蔵王連峰の眺めを楽しみました。各種イベントが開かれていて、何か私には場違いのような気がしました。三の丸跡が菊の祭典の会場となっているため、井戸跡はじっくり見られませんでした。本丸にも土塁遺構が認められますが、三の丸周辺に土塁遺構が良く残っています。
山本周五郎の作品「樅ノ木は残った」のモデルとなった樅の木の古木や記念碑なども見ることが出来ます。興味のある方は、時間があれば城下に建つ資料館で関係展示を見ていかれても良いかもしれません。
(撮影訪問日:平成17年11月13日)

イメージ 1

イメージ 2

[若林城跡(若林屋敷):宮城県仙台市若林区古城]  

伊達政宗公が、寛永5年(1628)に完成させ、同13年(1636)に70歳で亡くなるまでの間、日常生活をこの城で送りました。家臣の屋敷などが立ち並び、城下町を形成していたようです。
城は東西約400m、南北約300mの平城で、周囲には土塁が築かれ、その外は幅約25mの堀で囲まれていました。政宗公が亡くなると,廃城となり、建物の一部が仙台城の二の丸に移されました。土塁や堀跡が残ってはいますが、城跡は矯正施設の敷地内であるため、見学は出来ません。若林区にある松音寺の山門(市指定)は若林城の遺構であると言われます。
訪れたのは、11月の午後5時過ぎ。日暮れ時でしたし、背広姿とはいえ、怪しくあたりをうろうろしていたので、おそらく不審者と思われていたかもしれませんね(笑)。
※上から2番目の画像は、仙台城三の丸跡の政宗公像です。

(撮影訪問日:平成17年11月13日)

猛暑のウォーキング

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

午前中の仕事を終えた後、JR飯田線を利用して新城方面に単独ウォーキングに出かけました。ついでに数年前に失った城跡画像の撮り直おしをしてきましたw。
1両編成の飯田線車両は家族連れなどの乗客でほぼ満席状態。帰省客あり、墓参り客あり。お話を聞いたところ、9連休、10連休の方もけっこう多いようですね。うらやましい〜。
野田城駅で下車。ここは無人駅。待合室もレトロですね。私以外降車したのは若い女性2人だけ・・・。まず飯田線踏切を越えてすぐの場所にあるタイヤゴジラに出会った後、
国道151号線に出て稲木から新城警察署あたりで折り返し、旧151号線を経て野田城駅に戻るコース約6kmを歩き続けました。今日も一段と厳しい暑さで溶けてしまそうでした。1時間半でへばりました(汗)。帰りの電車は、豊橋まで約30分間立ちっぱなしでさすがに疲れました。

タイヤゴジラ君は暑くないですかね?この猛暑のなか見上げると、色のせいもあるのか余計暑くなってきましたよ(笑)。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

JR東海のさわやかウォーキングに参加してきました。本日のコースは「三河國一宮 砥鹿神社と山本勘助ゆかりの地めぐり」。飯田線三河一宮駅スタート、豊川駅ゴールの約12kmコースでした。
豊橋駅発午前8時12分発の飯田線天竜峡駅行き普通電車に乗車したのですが、これがまた参加者であふれかえりひどい混み様でした。こんな混み様は大学時代(西武新宿線のラッシュ)以来でしょうか。さすが大河ドラマの影響はすごいです!
8時28分三河一宮駅に到着。しかし、なかなか改札口までたどり着けない・・・。お子さんの参加者の悲鳴も。スタート前にすでに疲れた気がしました(笑)。さらに空は今にも泣き出しそうな感じで、時々ポツポツと・・・。
三河一宮砥鹿神社にまず参拝しました。明日は新車のお祓いにまたやって来なければいけません。続いて、一宮砦跡の東側から橋尾方面に南下、東名高速道路をくぐり賀茂橋に至り豊川を渡れば、豊橋市賀茂町に入ります。賀茂神社で茅の輪くぐりをして参拝。菖蒲園の菖蒲は既に盛りを過ぎていましたが、アジサイとともに気分を和ませてくれました。
照山を右手に見ながら、勘助ゆかりの本願寺へと向かいました。勘助の両親のものと伝わる墓石、先祖の位牌を見せていただき、地区内に建てられている勘助生誕地碑を見学。寺の境内では、地元の方々がお茶菓子の接待をしてくださり、野菜・果物の販売をされていました。野菜が飛ぶように売れていました。参加者の両手にはいくつもビニール袋が、ほのぼのとした光景です♪
さて、一服した後は、また賀茂橋を渡り、豊川市麻生田町に入ります。私が小学校時代に遠足で来たこともある玉林寺で樹齢600年の大楠を見学しました。このあたりは桶狭間合戦の前哨戦で活躍した贄掃部の屋敷跡があった地域です。見上げるような大楠の下でしばし休息。もうゴールまで一息。国道151号線も次第に見えてきます。ビニールハウスに囲まれて牧野城址の土塁がわずかに残っていますが、ゴールを目指す参加者はほとんど見向きもしません。というかしっかりとした案内板もないからなあ・・・。
地下道を通って151号線を渡ると、三明寺の三重塔(16世紀前半建造、国重文)が見えてきます。ここらあたりまで来れば、私が子供の頃遊びまわった地域となります。
そして飯田線豊川駅ゴールです!午前11時05分。少しゆっくり回りすぎてウォーキングとしては手を抜いてしまったようです(笑)。

ん?ゴールの受付テントの前は長蛇の列!!富士宮参加の時もこんなことはなかったですよね・・・。さて受付でゴール確認のスタンプを押してもらい、念願の飯田線全通70周年記念バッジGET!、無料のペット茶もいただきました。そういえば静岡開催のコースではお茶などは無料でもらえなかったなあ。

全6ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6]

[ 前のページ | 次のページ ]


.
倉次郎
倉次郎
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

ブログバナー

友だち(14)
  • 陽路々(ひろろ)
  • dream50_sh
  • hana080*0*07
  • おけいけいちゃん
  • マイリバ
  • 穂の国
友だち一覧
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
検索 検索

過去の記事一覧


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事